2016/01/20: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-34 時宗・音響山 伝相院 善福寺 (No.2570)

「品川神社」の鳥居の横から始めます。よく分からない石碑が建っていました。「新東京百景」って何でしょう? これ、もう30年位前の話じゃないのかなあ?

m94-34-01 G_9901品川神社

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気になるので、調べて見ると1982年10月1日の「都民の日」に、発表された都民による人気投票?「よい景色」の場所なのです。「新東京百景の新品も中古もあり」これなんだ? PCで検索したら、こういうのが出て来ました。いったいどうなっているの? 「中古品」になっているというのは正しいかも。もうまるで変わっているでしょうね。m94-34-03 G_9903

で、その横の赤い鳥居ですが、どうも品川神社の駐車場の鳥居らしい。ここをくぐると、左側に参道が一つありました。ここからも境内に入れるということです。

さて、「第一京浜」を渡ります。東に真っ直ぐ行くとあの門・・北品川商店街のゲート・・をくぐるのですが、目的地である時宗の寺に行くのは、もう少し「第一京浜」を北に進むようです。m94-34-04 G_9904

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ということは、「京急線」の線路沿いに歩けということか・・PCから打ち出した地図を持っているのですが、高架線路の下は何も情報が読み取れないないのですね。仮に道があっても、地図には線路が描かれているらしい。

と、考えたとき、木瓜爺思い出し笑いをしてしまいました。そばに人がいたら狂人だと思われたかも・・何を思いだしたかというと、Choi-Boke-World の住人達と安曇野に白鳥の写真を写しに行った時のことです。車で長峰山の山道をぐにゃぐにゃ登っていましたら、ナビがわめいたのです。「高速道路に入りました!」・・驚きましたねえ。どm94-34-06 G_9907ういう事かというと、地下に長野自動車道があったのです。  それはさておき、右に入る道路があって、そこで曲がるかどうか考えたときに、線路下にあった駐車場の塀越しに墓地が見えました。よく見ると、山門らしいものも見えています。地図を確認して、右に入った方が早そうだと判断。少し戻って、右に入り、そこからまた左折して、昔の東海道らしき道を進みますと、山門の正面に入る道がありました。

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ここを入れば良いのだな・・あれ?手前に宗教団体があった・・これは、パスしまよう。山門に到着しました。「音響山 善福寺」。「時宗」の寺です。「時宗」の寺はそう多くないのですが、藤沢に本山があるためか、品川には二つもあります。もう一つは、南品川にある「海蔵寺」です。いずれ、訪ねてみます。

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山門をくぐります。正面が本堂らしいのですが、相当いたんでいます。

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しかし・・・これは、凄いぞ! 木瓜爺のカンが震えました。寺の説明は後回しにして、木瓜爺が興奮した写真を先にお目に掛けてしまいます。

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分かりますか? 本堂の外壁に「鏝絵」です。この腕前は、多分あの人・・伊豆の長八さんだったけ? 鏝絵の名人・・

では、寺の説明に移ります。品川観光協会のページがあった筈なので、それから見つけます。

『善福寺:藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺で、永仁2年(1294 鎌倉時代後期)に、遊行二祖、他阿真教によって開かれた。(山号)音響山伝相院 時宗
・伊豆の長八の龍のこて絵が残っている。』

やはり「伊豆の長八」でした。木瓜爺の目は確かだったようです(まぐれ当たりですが)。

「時宗」とは、もうご存じでしょうが、簡単に説明します。浄土宗から派生した一派ですが、開祖は「一遍上人」。時を決めて念仏をとなえるところから「時宗」と呼ばれるようになりますが、「一遍」はそのことは知らずになくなっていますので、2世の「他阿真教」が事実上の開祖と云えるでしょう。「一遍」は寺に止まる事すら嫌っていたのですが、座間にある「當麻山 無量光寺」の場所では草庵を作って修業したようです。「他阿真教」は、一遍と一緒に遊行していた一番弟子です。一遍が亡くなった時は殉死しようとしたのですが、一遍の教えを世に広めたいと思い直して、一派を浄土宗から独立させ、あちこちに寺を作りました。そういう宗派なのです。

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「善福寺」の現本堂は、右側の建物だろうと思います。本尊は「阿弥陀如来」以外は考えられないので、「十念」を唱えます。

「猫の足あと」には収録されているかな? 有りますね。由来的な部分は「新編武蔵風土記稿」の引用です。木瓜爺も昨夜やっと、品川付近のダウンロードをしました。

『(北品川宿)善福寺
除地四段五畝二十四歩、法禅寺の北隣にて、是も歩行新宿一町目の町屋に添り、時宗藤澤浄光寺末音響山傳相院と號す、永仁二年遊行第二代他阿真教の開闢なり、昔は恵心作の弥陀を本尊とす、延享年間回禄に罹る、今の本尊は佛工の作坐像長三尺、東海寺御建立の時境内南の方御用地となり、其替地は御殿山の下にて下し賜ふ。
門前町屋。天和二年起立延享三年より町方支配となる、間口十三間歩数五十一、此餘昔は表通海道にて三段六畝二歩の地も門前町なりしが、享保七年歩行新宿に加入。(新編武蔵風土記稿より)』  
東海寺建設の影響を受けたようですね。そして、延享年間(1744-1748)に火災にあっています。昔の恵心の本尊は焼けてしまい、新しい本尊にしたと書かれています。
「品川観光協会」のページによりますと、墓地にいろいろ有るようです。

『石造念仏講供養塔:墓地を入って右手に3基〈品川区指定有形民俗文化財第2号〉。
一番左が万治元年(1658 江戸時代前期)建立の笠塔婆型の念仏供養塔で、念仏講の人々が逆修(生前供養、死後の極楽往生)を願って建立したものである。
正面に「南無阿弥陀仏 念仏講為逆修菩提也 善福寺住持想阿敬白」の銘文〈指定文化財・民俗第2号〉他に阿弥陀如来像 元禄5年(1692造立)地蔵菩薩像 同4年(1691造立)の舟形供養塔がある。』

木瓜爺は、墓地をうろつくのはあまり好きではないので、寄る事は止めます。遠くから「南無阿弥陀仏」。

木瓜爺渾身の一枚!・・大げさだなあ・・・でも、良いでしょう? 下の写真。

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最後に入れたのは、facebook に自動リンクさせたとき、多分最後の写真を使うだろうという読みなのですが、目論見通りになるかどうか? では、明日は、隣の(?)「法禅寺」です。

なお、「一遍上人」については、Choi-Boke爺ちゃんが、ものすごく詳しく書いた事がありますので、リンクしておきます。12月2日:浅間岳も秋 (一遍の迷い・・・木瓜爺の想像です)

あまり読んで頂けなかったブログです。

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