2016/01/21: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-35 臨海山 光照院 法禅寺 (No.2571)

「善福寺」から、商店街に戻り、東南方向に歩き出しました。この道、どうも古の「東海道」くさいのです。道巾は車はすれ違いできない程度、一方通行になったいます。

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後日出て来ますが、此路を200m程進んだところに、品川宿本陣跡という広場?が有りましたから、間違いないでしょう。昔の東海道は、この程度の道巾だったのかとちょっとビックリしました。こんな幅では、ドラマで見るような大名行列なんか通れないだろうに・・・暫く歩くと、右手に「法禅寺」の門が見えました。

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古東海道からは、20m程引っ込んでいます。ということは、古道は、実際はもう少しゆとりのある道巾だったのかもしれません。それはさておいて、このお寺は「浄土宗」。親戚筋の「時宗」の寺の横にあるのは、自然の成り行きなのでしょうね。大きさはこの「法禅寺」の方が遙かに大きいです。気に入らないのは、なぜ「禅寺」なのだ?紛らわしい! 由来で何か分かるかもしれません。

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門前には「品川小学校発祥之地」石碑が建っています。明治になって小学校を作る事が決まったとき、「寺子屋」のスペースを「小学校」に当てたのはここばかりではなく、木瓜爺撮歩でもおなじみのケースです。横にある石碑は「三十三観音 第三十一番」の表示です。 山門をくぐります。木瓜爺の真玉は、くるくるっと一回り。左に多分「地蔵堂」右に「稲荷の鳥居」と多分「観音堂」KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

正面が本堂、その横は多分「庫裡」と読み取りました。これがちゃんと出来ないときは見落としが多発してしまうのです。数が多そうなので、寄りながら進むことにします。

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最初の「地蔵堂」らしきものから寄ります。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAやはり、地蔵様ですが、「延命地蔵」ではなくて、「子安地蔵」の方ですね。

ただ、抱かれているのは、意外に年寄り顔、ひょっとすると兼用?

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観音堂と稲荷神社、その横に駐車場があります。まず、お稲荷さんを覗いてみるか・・

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「椙森稲荷」の額が上がっています。社は観音KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA堂の後ろに隠れているようです。回ってみると、小さな祠が置かれていました。方角的に考えると、これは、寺の鎮守。いや観音堂の守護かもしれません。「椙森(すぎのもり)稲荷」というのは、今の名前は「椙森神社」になっていますが、日本橋の堀留町にある「江戸の古社」の一つなのです。いずれお参りする予定です。

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KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA観音堂の方は、「東海三十三観音 第三十一番 本尊 正観音」となっていました。「間違いないか?」「にゃー」縁の下から返事がしました。お堂の壁面には「猫にエサを与えないでください」と書いて有りますが、お参りの爺婆から、きっと貰っているのでしょうね。「東海三十三観音」というのは、大正三年頃作られたもので、大田区、川崎市、横浜市などの範囲の霊場です。一番が鶴見の総持寺からはじまっていて、・・・三十五番まであるので変だな? と思った霊場巡り。「東海道三十三観音」とは別物のようです。少しすすむと、左側に煉瓦を積んでモルタルを塗ったような、一見へんな建物が並びます。それが、この看板と多少関係するようです。

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ここに書かれた「阿弥陀三尊」などは「品川歴史館」の方にあるのは、分かりますが、板碑はどこなの? 木瓜爺よく理解出来ません。建物の中に見えるのは石佛です。

あとで、観光協会の説明が出て来ますが、これらは、御殿山という場所で発掘された物だそうです。安政元(1854)年、品川台場の埋め立てをする土を集めにいったら、こういう遺物が地中から出て来たということのようです。

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建物が左の写真、右側には納骨堂らしきものが有ります。あとで分かりましたが、この三体づつ並んだ地蔵が「流民叢塚碑」なのだそうです。説明板は後に出て来ます。

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天明の飢饉で餓死した人々の供養塔だそうです。1700年代の飢饉で吉宗が「さつまいも」栽培を普及させたのですが、1833年はもっとひどいことになったのですね。「食料の緊急輸入」すればよかったのに・・などと、歴史を学ばない現代人は考えるのでしょうね・・・この頃は、昔のことを説明するのに、ものすごく苦労するのですよ。

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やっと、本堂前にたどり着きました。疲れたので、「猫の足あと」さんと「品川観光協会」さんにバトンタッチ!

最初は「新編武蔵風土記稿」から始めます。

『(北品川宿)法禅寺
除地七段八畝二十七歩、養願寺の北隣歩行新宿一町目の西側にあり、浄土宗芝増上寺末隣海山遍照院と號す、明徳元年言譽定賢起立し、茲年九月十三日寂す、本尊阿弥陀坐像長七尺、又圓光大師自作の坐像あり、長二尺、昔は表通海道に傍て二段四畝の地に門前町屋ありしが、享保七年歩行新宿に収入して其名廃し、境内に古碑四基あり、文保二年六月二十九日、建武五年、暦應三年、暦應四年四月二十一日の年月を彫刻せり。
寺寳:弥陀名號一軸。圓光大師筆、厨子戸帳の類は元禄十五年桂昌院殿の御寄附にて葵の御紋付。
観音堂。観音は桂昌院殿の賜物なり、當時尼公の仰に依て本尊圓光大師彫像を御覧に入、返し給ふ、時に此賜ありしと、立像長二尺。
塔頭貞樹院。門を入て左にあり、本尊弥陀長二尺。(新編武蔵風土記稿より)』

「歩行新宿に収入して其の名廃し」というのはどういう意味なのか? 名前も「遍照院」だったようです。塔頭はなくなっていますね。・・いや難しい!

次は「品川区の文化財」から・・『寺伝によれば、明徳元年(1390)に開山言誉上人が没してから、それ以前は草庵であったものと思われる。以後時代が下って宝永年間(1704-1710)十三世一誉上人の代に寺院として内外共に充実したものであろう。これは宝永4年(1707)付の知恩院43世応誉上人授与の文書にも「法禅寺奉安置元祖円光大師者即大師自彫之霊像及墨跡大字宝号也…」「東照神宮及び桂昌院殿帰依不浅之意趣…」とみえ、本山に認証を求めたりして寺の由緒、格式を高めようとしているところなどにもうかがわれるのである。(「品川区の文化財」より)』

そして、現在の「品川観光協会」の記述。さすがに、一番分かりやすいです。

『法禅寺:南北朝時代の末、至徳元年(1384)の開創。芝増上寺の末寺。(山号)臨海山光照院 浄土宗 門前に品川小学校発祥の地の石碑。明治7年、区内で最も古い品川小学校が開校。
■ 品川区指定文化財:木造阿弥陀如来坐像(彫刻第1号)、法然上人坐像(彫刻第2号)、紙本着色釈尊誕生変相図(絵画第2号)、紙本着色地獄変相図(民俗第12号)、流民叢塚碑(史跡第21号)、御殿山出土板碑(考古資料第1号)、イチョウ(天然記念物第7号)

○阿弥陀如来坐像:木造等身大の像で、この寺の本尊。右手を胸前に挙げ、左手を膝の上に置いて、来迎の印を結ぶ。頭部内部の銘によると、宝永2年(1705)に安阿弥末流の大仏師大部によって製作された。優美な姿の像である。

○法然上人坐像:木造、彩色の高さ29センチメートルの像。法然自身の作と伝えられる。5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院から寄進されたもの。毎年10月25日に開帳。』

観光協会の頁には、他の説明もありました。

『○法禅寺の絵画類:「紙本着色釈尊誕生変相図」=上野覚永寺の絵師、神田宗庭貞信(1765~1800)の作。 「紙本着色地款変相国」=宿内の素人画家、田村屋清七(画名讃系)が文政11年(1828)に奉納。 このほかに「仏涅槃」図」や「十六羅漢図」などがある。

○流民叢塚碑:天保の大飢饉、天保8~9年(1837~38)に餓死した品川宿の891名を弔うために安置した各3体の六地蔵。碑は明治4年(1871)に建てられ現在は納骨堂の上に安置されている。

○法禅寺のイチョウ:推定樹齢350~400年。樹高約25メートル。

○法禅寺の板碑:安政元年(1854)品川台場の築造のため、御殿山で土取り作業をした際に出土した板碑や宝きょう印塔、五輪塔。徳治3年(1308)から廷徳2(1490)の年号が記されている。』

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大きな「南無阿弥陀仏」の供養碑です。裏には文政七年の文字があります。

下の写真は、「法禅寺の大銀杏」樹齢300~400年と書いて有ったものです。

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明日は「養願寺」に参りますが、ここから先は撮影制限で、写真が少なくなります。それと、一日の記述量も減少してしまいます。あしからず・・・

おっと、忘れる所でした、東海七福神の二番布袋尊は、おられません。やはりここではなく、次の「養願寺」です。品川神社の前の小さな順路表示は間違いでした。

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