2016/01/24: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-38 日夜山 善水院 正徳寺 (No.2574)

「北品川宿本陣跡」から100m程で、357号線(山手通り)の「東海道北品川」という交差点に出ます。横断歩道を渡って進むと「荏原神社」のある地域に進むのですが、今回はそろそろ蛙がなくので、東海道北品川交差点まで行かずに、一つ手前の道を右折。これが、品川神社の所から見えた「北品川商店街」のゲートがあった道のようです。

暫く進むと、150m程でしょうか、「正徳寺」の門前に差し掛かります。このお寺は「浄土真宗 大谷派」(東本願寺系)の寺院です。浄土真宗のお寺というのは、外回りはあまり見る物がないようです。

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「日夜山 正徳寺」の石柱が立っていました。 ここは「新編武蔵風土記稿」にも記載されたお寺です。『(北品川宿)正徳寺:除地二段五畝四歩、年貢地三畝廿二歩北馬場町の北側にあり、浄土真宗東本願寺末日夜山善永院と號す、永仁六年僧春應開基す、政題録に初は善永寺と稱し、延寳三年の頃今名に改むと云、本尊阿弥陀立像定朝の作。
寺寳:親鸞旅立像影一幅、定禅法橋の筆 光明石一顆。
門前町屋、貞享四年回禄の後寺社奉行大久保安藝守忠能に願ひ、舊に依て町屋を立、寳暦十一年二月町奉行支配となる、境内南東北の三方を續りてあり、小間三十九間半歩数四百五十三坪餘』KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

この新編武蔵風土記稿にある仏像とか仏画の作者の名前は、現在のお宝鑑定のように専門家によるめききではありません。寺伝とか、口頭の言い伝えとかを書いているのが殆どのようです。ですから、有名人の名前がやたらに多いのです。

やはり、こちらも外観的には、なにもないなあ? でした。

永仁六(1298)年開基の時は「善永寺」。延宝三(1675)年「正徳寺」に改名。「本尊 阿弥陀立像  住所:品川区北品川2-9-26。

昨日、品川の火事のことを気にしたのですが、『文政4年(1821)の北品川宿が火元の火事は、大井村に至る1387軒が類焼するという大火となり有名です。 』なのだそうです。

『嘉永5年(1852)には、北品川宿の旅籠屋から出火して南北品川宿・歩行新宿・二日五日村の678軒が全焼し、宿の機能の大半を失ったりしたことなどもありました。 』 昨日の本陣もこの頃一度は焼けているのでしょう。 『また、江戸に隣接していため、江戸市中で発生した火災により延焼したり、飛び火などで焼けたりもしました。明暦3年(1657)の江戸最大の火事[明暦の大火]も品川宿まで延焼しており、延享2年(1745)の青山六道辻から発生した[六道火事]では宿の半分を焼失しています。  品川宿には江戸府内のように火消組のような消防組織はありませんでした。 歩行新宿・北品川宿・南品川宿の三宿に、各三人ずつの鳶人足を雇っておくほか、自身番に組頭・家主などが交代で詰めて火の元の取り締まりを行っていました。 もし火災が起こったときには、宿内の15歳以上60歳以下の人たちが全員駆けつけて消火にあたることになっていたのです。 自身番は品川三宿と猟師町で四辻に15ヶ所ほどありました。 自身番に備え付けてある消防用具は、纏1本、梯子1挺、竜吐水(木製のポンプ)1柄、玄蕃桶(消火用の大桶)2つ、鳶口10本、纏提灯2張、鉄棒2本、割竹3本だけで、いかにも非力でした。

江戸の火消組は江戸府内が活動範囲であったため、府外である品川宿の中で起こった火事には、手助けに来てはくれませんでした。 このため宿内の人が自分たちで消さなくてはならず、数少ない消防器具も一因となって大きな火事になったようです。 このほか火災の延焼や御用物の避難場所のための空地として[火除地]も設けられました。 しかし街道に面していたため、もったいないので水茶屋などの商売に利用したいと借地を願い出る者が現れて、近隣の人たちとしばしばトラブルとなっていたようです。

代官所は、21項目におよぶ懇切丁寧な火の用心の注意を記した天保2年(1832)2月の触書など、たびたびの触書を出して人々に注意を促し防火に努めていましたが、品川宿は数多くの火事に見舞われ続けたのです。 』

これは、品川区役所 文化財係の書いた「東海道品川宿のはなし」の一節を転記したものです。
北品川商店街をぶらぶら歩いて来た木瓜爺「こんな狭い路に家屋がぎっしり、火事が起きたらひとたまりもないなあ・・・無事に過ごしているのは住民が相当注意して生活しているのだろうなあ」と思っていたのですが、歴史的に「町民皆火消し」が定着しているのでしょうかねえ? きっと、遺伝子に組み込まれてしまったのでしょうねえ・・・

それにしても、寺社を廻っていて、どこも火事のことに触れていないのは何故なのでしょう? 木瓜爺が歩いた多くの寺社では「火災のため・・・を焼失」と、文書・建物・仏像・文化財の少ない事を言い訳け(?)していたのですが・・・それだけ、この町はバイタリティにあふれていて、すぐ復興してしまったのでしょうか?

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これは、本堂の横に立っている庫裡。本堂の屋根にいる「逆立ち獅子」

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KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA 「正徳寺」を辞して、「新馬場駅」のもとろうとしています。この提灯。「品川宿参道」という意味がよく分かりません。位置的には、品川宿から「北の山王」つまり品川神社へお参りする道ではあるのですが・・・

おや? 向かい側に、もう一つお寺があるようです。もう一寺寄って行こうか・・

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