2016/01/25: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-39 東光山 本照寺 (No.2575)

今日のお寺は「奇っ怪なお寺」なのです。 門柱の名前と、本堂の額の名前が違うのです。あとで考えましょう。

昨日のお終いは、参道という提灯の前でしたね。向かい側に道があります。で、石の柱があるでしょう。「南無妙法蓮華経」らしい。こんなところに、寺の入口があるのかなあ?

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KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA   渡って見に行きました。「南無妙法蓮華経 東光山 本照寺」と、書かれています。でも、お寺らしきものは見えません。見えないといっても、ビルの中に入っているかも知れませんので、とりあえず此路を入って行きます。道の突き当たりは細い路地になり、入って行くと墓地の中にでました。どうやら、「本照寺の墓地」のようです。仕方がないので、墓地を通り抜けました。なんと、寺の入口は、「山手通り」に面していたのです。ということは? 最初に見た石柱は何だったのだろう?首をひねりながら、正面の写真を写してきました。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 
本堂はこちらです。それで、問題の「額」は、下に。

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此のお寺は、「新編武蔵風土記稿」にはこう書かれています。

『(北品川宿)本照寺 除地三段七畝十五歩、光厳寺の東隣なり、法華宗池上本門寺末、東光山と號す、古は真言宗にて東福山と號せしが、天文十七年本山八世東照院日純開山として改宗す、日純は同十九年三月二十一日寂す、本堂六間に五間本尊三寶外に鬼子母神を置、又日蓮自作の木像あり、裏に弘安二年十月日蓮と彫る、境内に建武五年戊寅七月逆修と彫る古碑あり。 稲荷社。本堂の左にあり。』

たしかに、「東光山」と号しています。 問題は、真言宗の時代です、「東福山」ではなくて「長福山」だったのではないか?と、一瞬考えました。しかし、この額を書いているのは、「日還」・・日蓮宗の方でしょう。しかも、左からの横書きですから、戦後の揮毫でしょう。このお寺、現在は「日蓮宗系単立」寺院なのだそうです。ですから、ひょっとすると独立する時に、「長福山」と変更しようと考えた方がおられたのかも知れませんね。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA真言宗から日蓮宗に変わったのは、例の「法論」です。『古くは真言宗であったが、天文年中時の住持と、池上本門寺九世東眼院日純上人と法論をし、真言側が破れて改宗し、日純が開山となる。時の住持の名は不詳である。(「品川区の文化財」より)』 この方法で、日蓮宗はずいぶん寺を増やしました。。

写真は観音様です。本堂前に立っておられます。

木瓜爺は気が付かなかったのですが、墓地に近い場所に、「安政の大地震」と「関東大震災」の犠牲者の供養碑が並んでいたのだそうです。供養されたのは大正年代の住職さんのようです。

ということで、ここは終了。「新編武蔵風土記稿」の品川宿部分がダウンロード終了しましたので、南品川も安心して(?)歩けそうです。

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「山手通り」を「新馬場駅」の方に戻って来ました。京急線の高架をくぐっています。ここで、右折して、駅へ。ということで、第一回品川宿は終了。できれば続けて、「東海寺」や「荏原神社」を歩きたいです。「品川寺」にも行かないといけませんね。

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