2016/01/28: 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-12 荏原神社  (No.2578)

荏原神社については、神社のHP優先で、「猫の足あとに記載された(品川区の文化m77-12-00 F2209財)」を補充、その後、木瓜爺の「新編武蔵風土記稿」からの追補という感じで書こうかと思います。こんな事に悩む神社は珍しいのですが・・・

「稼穡稲荷」から、川沿いの路に戻って東に進みます。石柱が二本立っています。あそこからが、荏原神社の領域なのでしょう。川の右岸から、「鎮守橋」を渡る参道ですと、次の写真のようになります。

m77-12-01 F2218鎮守橋

橋を渡りきると、パノラマで・・・

m77-12-02 F2221

左が先ほどの路です。鳥居に着く前に末社三社がありますので、最後に・・・
鳥居に隠れていますが、「恵比寿様」がおられます。例の東海七福神の「恵比寿」です。鳥居をくぐると「荏原神社」社殿。右にある通せんぼをした路は、社務所の入口です。その二つの間に、神楽殿のほうに行く道があります。

m77-12-04 F2224社務所

社務所入口の右の方にある「擬宝珠」は、昔の「鎮守橋」の欄干のようです。

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明治天皇は、生涯に四回こちらに行幸されたそうで、そのときの休憩所(?)跡が社務所の前にあったようです。

m77-12-03 F2223荏原神社

あらためて、鳥居をくぐります。もう、紅梅が咲いています。

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うららかな春の日よりの「恵比寿天」もご機嫌です。ただ、やはり品川、場所によっては冷たい浜風がかなり強い日でした。ここはうららかで、スマホやケイタイで、梅の花を写す人が絶えません。

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「手水舎」額にはいっているのは「句」の短冊です。「品川雪解句会」奉納となっています。

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灯籠の後ろに、狛犬が置かれていますが、これがちょっと珍しい形でした。

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「子獅子」が背中に乗っています。靖国神社にもこんなの合ったような気もしますが、阿吽並べて見ると、やっぱり見慣れない形です。

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とにかく、お参りして・・・そろそろ説明開始しましょう。まず、神社のHPから・・『荏原神社は元明天皇の御代、和銅2年(709年)9月9日に、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1247年)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古より品川の龍神さまとして、源氏、徳川、上杉等、多くの武家の信仰を受けて現在に至っています。明治元年には、准勅祭社として定められました。神祗院からは府社の由来ありとされました。現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、平成20年で164年を迎えました。』和銅年間の勧請というと、相当古いほうになります。江戸の古社シリーズの11にした方が良かった・・・と、撮歩番号を94から77に変更です。

説明はまだ続きます。『往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していましたが、明治8年、荏原神社と改称。旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の中で最も由緒のある神社であったことから、荏原郡の名を冠した社号になりました。神殿に掲げる荏原神社の扁額は、内大臣三条実美公、貴布禰大明神の扁額は、徳川譜代大名源昌高のお染筆です。古より当社に祈願すれば叶わぬことは無いといわれ、勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋等に特別の御神徳があります。』

神社名の変遷のことが書かれています。「竜神」を祀った時代が「貴船」とか「貴布禰」、「牛頭天王」が「天王社」でしょう。では、「品川区文化財」の言い分は?

『南品川の鎮守である。社伝によれば、和銅2年(709)9月9日、藤原伊勢人が、武蔵国荏原郡荏原川(目黒川)のほとりに勧請して当所の鎮守となした。一説には天長年間のこととも云、此神は大和国丹生神社と御同体で祈雨止雨の守護神である。当社の旧地は枝郷三ッ木の地であるとも伝えており、現在旧地に貴船神社がある。
康平5年6月19日、源頼義、義家両朝臣が、勅命により陸奥の安倍貞任、宗任を征伐の為、下向の節、武蔵国府総社六所宮(府中市大国魂神社)に祈願し、又当社にも参詣し、社頭の海浜に身を浄め、一心に祈願奉幣して出陣した。勝利を治めて無事帰途の際に六所宮ならびに当社に御礼を奉幣された。
此吉例によって、以来総社の大祭である5月5日の前、4月30日に神主社家一同が神馬をひきいて当社に来たり、社頭の浜に各自が身を浄め、塩水を汲み取って持ち帰り、5月5日までの間毎日潔斉し5日の祭典を奉祀するのを管領とする様になった。
天正18年徳川家康関東に下向の節当社に立寄り、由緒故実等を尋ねられた。
当寺の神主鈴木正根が参上し、由緒等を差出した処、古社であることによって左文字の太刀一振りを納められた。ついで翌19年11月神主正根が召出され、家康より5石の朱印状を賜った。以来代々この将軍より判状を受けてきたのであるが、途中北の稲荷社(品川神社)との間で争論が起こり、結果としては二分して2石5斗づつに分割されるようになったのである。(「品川区の文化財」より)』

新しい情報として出てきたのは、最初は別の場所にあったということで、その場所には今は「貴船神社」があるということですね。もう一つは「北の稲荷社」との争いのことです。そして、この「荏原神社」の「天王祭」という現在も行われているお祭りの起源のこと。ここのお祭りは、年三回あるのですが、その一つが「天王祭」と呼ばれ、御輿が海に入ります。神社のHPでは、こう説明しています。『凡そ一三〇〇年の昔より、荏原神社の氏子区域である天王洲は、昭和初期までは海でした。室町時代、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事がおこなわれるようになりました。このことから、名もなき海域が天王洲と呼ばれるようになり、時代の移り変わりとともに様々な変遷をたどって、現在では、荏原大神様のご加護のもと、近代的なビルが立ち並ぶ東京の新名所として知られています。

天王祭は宝治元年六月、京都八坂神社より牛頭天王が当社に勧請されたことに始まります。江戸時代には大江戸夏祭りの花形として盛大を極めました。現在においても都内で唯一、御神面を神輿につけての海中渡御が行われており、荏原天王祭~かっぱ祭りとして、全国に知られています。
荏原天王祭は、御神面の須佐男之神が水神様でもあり、「かっぱ」が水神様の使いであることから、祭礼に参加する崇敬者たちを「かっぱ」になぞらえ、俗称として「かっぱ祭り」と呼ばれるようになりました。凡そ二十五年前までは、 品川神社の神職が当社の神輿に付ける稲穂を取りにきて当社に倣っ た祭りをしていましたが、今ではお断りしています。』

いまだに、品川神社と荏原神社はギクシャクしているのでしょうかねえ?

「新編武蔵風土記稿」を読んだ時、「品川神社」のことが今ひとつ読み取れなかったのですが、この荏原神社側からの記述を読んで、はっきり分かって来ました。「新編武蔵風土記稿」では、品川神社は「北品川宿 稲荷社」として記載されています。ここには、『(前略)・・・東海寺の北に隣れり 祇園貴布禰を相殿とし 又東照宮を祀奉り四座を総て品川大明神と称す・・(後略)』と記述されています。一方、荏原神社は『南品川宿 貴布禰社 (前略)・・天王横町の奧にあり 祭神 闇靇□ 山祇□ 罔象 三神各深秘す 祈雨止雨の守護神なり 社伝に和銅二年(後略) 神主鈴木帯刀 』 木瓜爺に読み取れない字を□にしていますが、ここは「水神様」と解釈しているようです。さらに面白いことを見つけました。同じ南品川にもう一つ「貴布禰社」があります。これが「貴船神社」の方かもしれません。そこの記述なのですが、『除地一段七畝八歩 枝鄕三ツ木にあり其地の産神なり (中略)常には神体を北品川宿稲荷社中に置き例祭九月九日彼所より神輿を奉還して祀ると云 稲荷神主小泉出雲持』

m77-12-15 F2254つまり、「貴船社」の旧地らしき神社は、「北品川 稲荷社」の出張所?になっていたらしい。これは、複雑怪奇です。「荏原神社」の奧神殿は、横から拝めました。

神社のHPで祭神をみますと、『右座 豊受姫之命 右座天照皇大神 中央 高靇神 右座 須佐男之神 左座 手力雄之神 大鳥大神 恵比須神』『末社 伊邪那岐命 伊邪那美命 稲荷大神 応神天皇 徳川家康公 白山姫命 大国主命 木花咲耶姫命 市杵嶋姫命』となっています。

水神三神は、高靇神にまとめられたようですね。

 

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こちらの神社の特徴は、屋根から覗いて居るこの龍。二匹います。これを見逃さないように・・龍のよだれは、下にある「天水桶」で受けていますので、気に入ったらなめて下さい? 龍行性の病気にかかっても責任はもちません。

おっと、神楽殿のことを忘れていました。こちらには「品川拍子」というお囃子が無形文化財になっています。こういうものも、此の神楽殿で演奏するのでしょうね。

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神社の住所は書いていなかったかな? メモを貼り付け(?)て・・(備考)元准勅祭社、郷社、東海七福神の恵比寿神  住所:品川区北品川2-30-28

さて、左隣にある末社へ・・・

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三社並んでいるようです。

m77-12-20 F2212末社

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熊野神社、稲荷神社、八幡様です。あれ?徳川家康公 白山姫命 大国主命 木花咲耶姫命 市杵嶋姫命 (辨天様) がおられないなあ? 「東照宮」「白山神社」「大黒天」「浅間神社」「辨天宮」がどこかにある筈。木瓜爺見つけ損ねたようです。

お参りに行かれましたら、是非、見つけてください。恵比寿様と梅の花をもう一度見て、出発します。さて、明日は撮歩94に戻って、「東海寺」を探しましょう。

m77-12-22 F2268

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