2016/02/01: 南品川散歩;木瓜爺撮歩94-44 瑞雲山 大龍寺 (No.2582)

1900日の連続投稿・・馬鹿ですねえ・・でも、一病(?)息災が維持出来ていることに感謝して、あと100日続けたいものです。今日のブログは、「大龍寺」ですが、山号が「天龍寺」と同じ「瑞雲山」です。

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「天龍寺」の門前から細い路を一番奥まで入った所にありました。後ろは目黒川の遊歩m94-44-02 F9431大竜寺道のようですが、そちらから入る道はないようです。ご覧のように「黄檗宗」です。ところが、「新編武蔵風土記稿」を見ると、「現在では、まか不思議」なことが書かれています。

『大龍寺 除地五畝八歩 年貢地三段五畝廿七歩 本光寺の西隣なり 瑞雲山と号す 時宗黄檗派 宇治萬福寺末 昔 明王山東光院と号す時宗の古刹あり 寛正四年起立 開山は北品川長徳寺開山覺阿なり 故に長徳寺僧代々の隠居所と定めて其末寺に隷せしか 後衰微して法灯絶えなんとす 元禄十六年 檗僧百泉己が派に改んと欲し 本寺藤澤清浄光寺に請て奉行所に訴へ 許可を得て百泉譲受 隠元禅師の弟子慧林を請て 開山第一祖とす、天和元年十一月十一日休寂す これより先力を獲て開基せしは藤堂伊豫守良直なり 良直法號を大龍院といふ 故に寺に命ず 本尊釈迦観音勢至ともに坐像長さ三尺唐像なりといふ 本堂は東向き京間六間に四間なり、鐘楼門を入て正面にあり 寛永元年の鐘をかく
観音碑 鐘楼の側にあり 碑面に観音の立像を彫る 唐の呉道子か寫せし像を□刻す 百泉が立るところなり』

「時宗黄檗派」というのは、初めて見ました。というのは、「黄檗宗」というのは、開祖が「隠元禅師」ということになっていますが、元々は「中国臨済宗」という立場、「臨済正宗」と名乗ったこともあるくらいです。「時宗」は「一遍」を開祖とする「浄土宗の一派」、相容れないとまでは云いませんが、かなり隔たりがあります。「時宗黄檗派」は「新編武蔵風土記稿」作成時の担当者が勝手に作ってしまったのでしょう。あるいは単純な書き違い・・「禅宗黄檗派」と書くべきところを間違えたのか。とにかく、時宗の寺を、筋を通して、黄檗宗が引き取ったということのようです。しかし、黄檗宗の寺では「阿弥陀如来」を本尊とする寺も結構あるようで、時宗を吸収して勢力を拡大した歴史があるのかもしれません。m94-44-03 F9432m94-44-04 F9434

この「大龍寺」、境内立入禁止と書いています。「壇信徒」ではない「迷える人」を拒絶する寺など消えてしまえ! 木瓜爺はちょっと腹を立てています。こういう考えが、仏教自体を衰退させている事に気付かない住職さんなのでしょうか?「僧」という「人」が何をすべきなのか、本質的なところが狂ってしまったのかなあ? そのくせ、見学者のための説明板などは用意されているのです。矛盾だらけのお寺です。入って行って文句を云われたら聞いてみよう・・腹を決めて、お参りに行きます。

m94-44-05 F9435参道の突き当たりに、地蔵堂と稲荷が並んでいました。右手の方は「墓地入口」になっています。お稲荷さんは寺の鎮守でしょうが「圓珠稲荷」となっています。由来はわかりません。お地蔵様は「不休地蔵尊」だそうです。

m94-44-07 F9440円珠稲荷m94-44-06 F9437

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m94-44-08 F9441観音様も立っておられました。これは「水子供養」でしょうか?

以前に一度書いたことがあるのですが、木瓜爺の祖父は若い頃僧侶でした。戸籍簿が出来た頃の生まれなので、戸籍上の記録が少々おかしい所があるのですが、幼いときに両親に死に別れ、戸籍上で引き取った叔父さんが、おそらく経済的な理由が大きいかったのでしょう、養子に出してしまいます。その養父が僧侶だったのです。で、中学に通う頃から、京の町を托鉢して歩いたようです。祖父は、町を歩く間に、好きなことを見つけてしまいます。絵を描くことだったのです。托鉢の合間に、絵の先生の所に通ったようです。それが発端で、とうとう還俗して、大倉山、・今の東工大の前身である・工業専門学校に進み、今でいう「工業デザイナー」の道に進んでしまいました。祖父は、木瓜爺が生まれる前に亡くなっています。その祖父と祖父の養父の宗派がよく分からないのですが、木瓜爺の小学五年生頃、祖母を手伝って、仏壇の掃除をした時に、仏壇の中にあった僧の絵姿を見て、これは誰?と聞いたのです。すると、祖母は「隠元禅師だよ」と、答えたのです。「インゲン豆の隠元?」「そうだよ」。・・ということは「臨済宗」か「黄檗宗」ですよね。祖父の墓は「曹洞宗」のお寺にありました。祖父が亡くなった時に、父がそのお寺に頼んで墓を建ててもらったので、そこから曹洞宗に変わったことは確かです。祖父が家に置いていた仏壇は、きっと僧侶だった時代の宗派を引き継いでいたのだろうと思うわけです。ということは、「壇信徒のなれのはて」か。少し気を強くして、本堂に行こう!

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文化財の説明板がありました。「釈迦三尊」、風土記稿の頃と同じようです。「黄檗宗本山」の一つ「萬福寺」の本尊の胎内仏ですか・・・

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ほかにも「品川区有形文化財」があるのですね。

m94-44-11 F9445大龍寺

m94-44-12 F9447本堂前は工事中でした。あの額はよめるかなあ? 読めそうで読めない。あとでゆっくり調べます。とにかく、「釈迦三尊」に合掌。本堂の横に寺務所がありました。

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来た道を引き返します。永代供養墓の横に、今度は子供を抱えたお地蔵様を見つけました。m94-44-14 F9451

あれ?後ろにお堂の屋根が見えるぞ?

ちょっとバックして、塀越しに向こうを写します。m94-44-15 F9450本光寺遠望

 

 

 

 

三重塔もあるようです。地図を確認すると、「本光寺」という日蓮宗系の寺院のようです。あ・・「品川問答旧蹟のある寺」かな? ・・「本光寺」につくのは明後日になってしまいます。というのは、明日は、「時宗 海蔵寺」の方に寄るからです。

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