2016/02/04: 南品川散歩;木瓜爺撮歩94-47 恵日山妙蓮寺 と 實相山 道場院 蓮長寺 (No.2585)

昨日の「本光寺」を興した「日什」さんは、根っからの日蓮系ではなくて、真言宗の僧だったようで、日蓮の教えを読んで転宗・・それで、寺そのものも宗派を替えたのでしょうか? 今日の「妙蓮寺」も同じなのでしょうか? 横断歩道を渡って、東に進む道に入った所に、入口がありあした。

m94-47-02 F9496妙蓮寺

「新編武蔵風土記稿」を見ますと、こう書かれています。

『(南品川宿)妙蓮寺
除地五段一畝 蓮長寺の西に隣れり 恵日山と號す 法華宗京都妙満寺末 開山日遵長享元年起立し 同年十一月二十日寂せり 享禄三年五月本光寺制札に妙國寺本光寺及當寺を連記す 客殿方四間本尊三寶祖師を安
祖師堂 門を入て正面にあり 二間半に三間 中老日法作の像を置
稲荷社 門を入て右にあり 小祠なり
門前町屋 間口三十八間餘 歩数四百八 延享三年町奉行の支配となれり』

室町時代の長享元年(1487)の開創。現在は「顕本法華宗系の単立寺院」のようですが、江戸期は法華宗妙満寺末(本光寺は法華宗妙福寺末)なので、従兄弟的関係でしょうか? 本光寺の古文書の一つですが「禁制 右三ヶ寺之竹木ハ不可伐 若背此旨押而切者有之者急度可被申上者也仍如件  享禄三庚寅年五月十五日  妙国寺 妙蓮寺 本光寺」と、書かれているので、この三寺は「法華宗」の同族と扱われていたようです。「妙国寺」も現在「天妙国寺」という名前で、「青物横丁」という場所に健在です。「木瓜爺 南品川撮歩」の最後の方で紹介出来ると思います。

m94-47-03 F9497

山門をくぐると、正面に本堂がありますが、新しい建築です。

m94-47-04 F9498

品川区の文化財における説明では、『現在の本堂は寛政年間建立の本堂を中に組入れた近代建築である。』となっていますので、この中に、もう一つお堂が入っているようです。住所は品川区南品川1-1-1 角地の良い場所にふさわしい番地ですねえ・・

このお寺には、「丸橋忠弥の首塚」というのがあるそうです。丸橋忠弥といえば、慶安4年(1651)、由井正雪らとともに幕府転覆を図ったが失敗し 鈴ケ森で処刑された人。処刑の翌朝、妙蓮寺住職の枕元に忠弥の首が転がっていたので、これを墓地の一角に埋葬したと伝えられています。なお、忠弥の墓は豊島区高田の金乗院(目白不動)にあるそうです。そちらは胴体?  ほかに、吉原の花魁だった「薄雲太夫」の墓もあるとか。此の人ちょっと理解しにくい部分があるのですが、「江戸時代前期の新吉原信濃屋の抱えの遊女で、才色兼備で義侠心に富む。某大身の武家が三千両で身請けしたが、肌を許さず、十指を一日一本ずつ切られる拷問にも屈せずに没したという。」と伝えられています。「薄雲太夫」というのは、何代も襲名?されていますので、木瓜爺の好奇心ムラムラ。分かりました。「初代 薄雲太夫」です。『初代薄雲 : 吉原京町1丁目、信濃屋藤左衛門の抱えで、和歌をよくし、書に堪能、俳諧に名あり、義侠心に富み、金銀にものいわせる客には目もくれなかったと言われた薄雲がいます。この薄雲は万治年間(1658~61)、仙台藩主第三代伊達綱宗の愛するところとなりますが、鳥取藩士島田重三郎に操を捧げて、半年におよぶも伊達綱宗には肌を許さず、三千両で身請けされたのちも意に従わず、ために一室に幽閉され,「十日に十指を断ち落とす」と脅迫されても、なおかたくなに拒み、ついに殺されてしまったということです。品川の妙蓮寺に葬られています。』 という記事を発見。

次のお寺は、「実相山 道場院 蓮長寺」です。m94-47-05 F9499蓮長寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『(南品川宿)蓮長寺
除地三段一畝十四歩 本榮寺の西隣なり 實相山道場院と號す 法華宗池上本門寺末 中老日法弘安年中開基し 師日蓮を勧請して第一世とす 日法は上総國夷隅郡興津村の人 佐久間兵庫某が嫡孫十郎左衛門重貞の長子なり 初興津村にて廣榮山妙覺寺を開き 暦應三年四月十二日寂す 本堂方四間門は南向頭間九尺本尊祖師の像日保の作なり 是を藪の祖師と號す 其故を詳せず
三十番神堂 三間四方 毘沙門を相殿とす 傳教大師の作立像長一尺餘なり
門前町屋 元禄三年寺社奉行戸田能登守忠貞の許を得て立 延享三年町奉行の支配となる 間口十間歩数百二十なり』と、「新編武蔵風土記稿」に書かれています。

m94-47-06 F9502

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m94-47-07 F9503

m94-47-08 F9508ここも、先ほどの「妙蓮寺」と同じく、ガラスの反射防御が完全で、中は拝見できません。

こちらは現在「日蓮宗」のようです。住所は「品川区南品川1-10-18」。本尊は「祖師像」のようです。

風土記稿に書かれている「毘沙門」ですが、こんな石碑が入口にありました。「開運毘沙門天王 安置」。現在も祀られているようです。

次は「本栄寺」ですが、ここも日蓮宗系統かなあ? 申し訳ないのですが、撮歩的には、日蓮宗系は苦手でして・・簡単にいうと、写すものが少ないのです・・

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩, 伝説 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中