2016/02/09:南品川散歩;木瓜爺撮歩94-52 既成山 光明院 願行寺 [しばり地蔵] (No.2590)

今日書く「願行寺」は、すごく古い寺のようです。「有史以前?」があるのです。伝説m94-52-01 F9571願行寺では「行基菩薩」が草庵を作ったのが始まり、だそうですが、そのあとに、「年仏聖」が住んだ、というのが続き、「鎌倉光明寺八世長蓮社観誉祐宗(1426~1509)によって開創された。」と成って行くようです。

入口の石碑には「浄土宗 願行寺」、山号については、「新編武蔵風土記稿」に拠って書きました。まず、それから書きましょうか。『(南品川宿上)願行寺 除地六段六畝二十九歩 年貢地五畝十歩 海蔵寺の東隣なり 浄土宗芝増上寺末 既成山光明院と號す 行基菩薩の開基にして 寛正三年観譽祐祟再興す 観譽は上総州の人なり 慶順に投じて薙髪し業を受ること年久し 初同國木更津の地選澤寺を開き 後此寺の中興となり 又駿府寶臺院江尻浄土寺等を創め 後に鎌倉光明寺に住し 明應四年勅に應じ京師に入て十夜の法會許され 天照山の永式とせり 是より十夜の式同宗に行はると云 この餘寺を数ヵ所に開き 永正六年十一月八日寂せり 客殿八間四方東向 本尊阿弥陀は聖徳太子の作 又二十五菩薩を安ず 門は北に向ふ 兩楹の間七尺 江戸駒込願行寺は文禄中現住諦譽東胤 御帰依の僧にて屡營中に上りしに 路遠くして不便なれば願上で御城下にて寺地を賜ふ 別に一寺を創して己開祖となり 當寺をば後住圓達に附属す 故に山號寺號とも皆同じ 後御用地となり駒込に轉ずと云
鐘楼 門を入て左にあり 正徳元年の鐘をかく
辨天社 同右にあり稲荷天神を合祀す 社は二間に三間
石地蔵 客殿の前にあり 立像長五尺 承應元年建立ず 里しばり地蔵と云 病を祈るもの縄にて像をしばれば験あり 十夜に至て和尚其縄を解く 其後又しばる初むと云 (以下略)』

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参道を入って行くと、本堂の横に突き当たるので、左にカーブして正面にゆきます。尊前に、左の方に建物があるのです。

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m94-52-04 F9575ちょっと高い場所に「法界堂」というのが作られています。

「法界」というのは、仏教用語ですが、「因果の理に支配される全宇宙」というようなよく分からない言葉です。浄土真宗の場合は「真如」という言葉を使うこともありますね。 多分ここは、後で出てくるであろう「十夜法要」で使うお堂かな?

「有形文化財」に指定された文書があるのですね。これは本堂の横に立っていました。

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ブログの冒頭に書いた「行基→念仏僧」というのは、この立て札にあったお話です。

『願行寺は、鎌倉光明寺八世長蓮社観誉祐宗(1426~1509)によって開創されたが、行基菩薩が開基であるという伝説も残っている。寺伝によると、室町時代末の寛政三年(1462)頃、ひとりの念仏聖が品川の海辺に草庵を結んで念仏を唱えてうたが、その後、文明年間(1467~87)末に、開山である観誉祐宗がその草庵を現在地に移して一宇を建立したと伝えている。
同寺の文書は「十夜縁起「」本尊縁起」に「願行寺古文書」の計三巻十八点からなる。そのうちの「十夜縁起」は、浄土信仰に於ける十夜法要に基づくものであり、弘治三年(1557)に編述した縁起を、元禄二年(1889)に知恩院(京都・浄土宗総本山)と光明寺に奥書を求めたものである。同縁起には、十夜法要の由来と願行寺の由緒についても記述されており、他の「本尊縁起」や願行寺塔頭の記録を中心とした「願行寺古文書」を含め、近世仏教史上だけでなく地域資料としても貴重である。』

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m94-52-07 F9579本堂の真正面から写そうとすると、また「乱れ後光?」が出てしまうので、ちょっと行き過ぎて写しています。本堂には「願行堂」の額がかかっています。

先ほど書いた「十夜法要」というのは、『10月14日に行われる。明応4(1495)に、開山の観誉上人が宮中で阿弥陀経を読んだことに始まるとされ、江戸時代には浄土宗や天台宗の寺院で行われた。近在の人々が本堂に集まり、太鼓や双盤(鉦)に合わせて念仏を唱える。』のだそうです。これは、「しながわ観光協会」に教わりました。

本堂の前は「南無阿弥陀仏」で拝んで、此のお寺にしかない「お地蔵様」を探します。

大岡裁きのお話に「縛られ地蔵」というのがありますが、こちらのお地蔵様は「しばり地蔵」なのだそうです。但し、観光協会の説明は『しばり(しばられ)地蔵』と両方書かれています。
『・地蔵堂に安置されている。
・地蔵の身体を縄で縛ると、苦しみを肩代わりしてくれるといわれるため、以前は荒縄で首だけを残してびっしりと縛っていた。現在は白い麻縄を地蔵の胴にだけ巻いている。
・石の地蔵でも縛り続けてはかわいそうだからと、10月14日の法会の夜には、住職がこの縄を解いて、翌日また縛りなおすという。
・地蔵ほ、首がとれるようになっており、願をかける人が首をそっと持ち帰って祈願し、願いがかなうと首を二つにして奉納している。そのため、地蔵のまわりにはいくつもの首が並んでいる。』

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うーん、こちらの方向にはなさそうですね。この写真上部は「京急線」の線路です。つまりガード下にいます。東は墓地になっているようです。

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あそこです。「鐘楼」のように見えたのが、「地蔵堂」になっています。先ほどの「法界堂」の並びにありました。

「説明板」が横に立っていました。「新編武蔵風土記稿」も引用されています。下の写真が、その「しばり地蔵」。現在は胴を荒縄で巻かれています。

「地蔵の首」も並んでいますね。この地蔵様の首が外れるというのですが、持ち帰るのも重いのでやめておきます。返すとき持ってくるスペアの首を作るのがたいへんだ・・

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m94-52-11 F9586しばり地蔵

お礼に奉納された首の中には中が空洞になった「はりぼて」の様な物もあって、壊れていました。

ともあれ、散策の最後に、面白い仏様にお目にかかれました。m94-52-12 F9587

 

 

 

 

「願行寺」は、「品川区南品川2-1-12」。新馬場駅の南口改札を出ると、直ぐです。つまり、木瓜爺もこの改札から帰って行きました。 羽村駅に着いたのは、丁度17:00 だいぶ日が長くなっていまして、駅から冨士山が見えていました。

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明日からは、場所的には、この続きなのですが、日を改めて歩いた「青物横丁」です。

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