2016/02/19: 高尾山付近;木瓜爺撮歩09-5-2 成就山浅川金刀比羅大権現 (No.2600)

昨日とタイトルが変わってしまいましたが、これがこの「浅川金刀比羅宮」の正式名称?なのです。どうやらここは、宗教法人ではなくて、氏子34世帯に支えられる神社(? 大権現 ですから、分類的には「寺」になるのかも)らしいのです。

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鳥居をくぐって、階段です。手すりもありますが、左の方に転がったハシゴのような物が気に成ります。昔の参道の残骸でしょうか?

左側は崖ですから、防護柵だったのかもしれません。石段を上がった所に、もう一つ鳥居があります。左の柵に付けられた「注意書」は、「神域につき 参詣者以外の立入を禁ず。信者一同」です。つまり、お参りをしない登山者は通行禁止ということです。

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けち! なんて云わないでください。34戸の信者で支えているわけですから、感謝して、拝礼して行きましょう。

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灯籠も健在です。ただ、後で撮しましたが、手水の設備などは、有って無いという状態です。水源の問題が絡むのでしょう。

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まず、由来書を読もうとしたのですが、薄くなっていますね。「浅川金刀比羅大権現」で始まっているようです。「ようこそお参りくださいました」・・・これを書き写したものでは無いようですが、ネット上のホームページらしいものに書かれていた記事を紹介して、代用します。『—–由緒書き—– 今から約400年前、北条氏の砦として山が使われ、江戸時代に入り全国に金毘羅信仰が流行った頃、山頂に祠が設けられて神社となりました。 甲州街道沿いにあるこの神社は高尾山の前山として高尾山に登る前に参拝されました。 明治になって高尾山の滝で修行していた修験者が山頂に社を築き、
関東一円から信者が訪れました。以来、地元ではここに参拝すると強運に恵まれると言うことで、第二次大戦中も弾除けの祈願をする方も多かったようです。
戦時中は大本営を移す計画も一時出て、地下壕も掘られました。最近ではこの山を崩して高校を建設する計画も出ましたが、信者さんと自然を守ろうとする人々の働きにより、山を残すことなりました。現在では、東京都の公園にしよういう計画が出ています。数年前に屋根裏から「成就山」と言う山号が入った看板が発見され、以来、「成就山浅川金毘羅大権現」と称しています。』

板書きのほうは、「明治三十年代建立・・・」というような記述もありますね。平成4年の板書なので、もう少し読めても良いと思うのですが、やはり風雪の影響が大きいのでしょう。

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狛犬は、「吽」が「子獅子」を連れています。結構獰猛な子獅子のようです。社殿の方に「龍」君も居るのが写っていますね。

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社殿そのものは、扉が閉まっています。先ほどの「由緒」が書かれたサイトには、「金比羅神像絵」が二枚アップされていましたので、多分この絵姿が神体がわりなのでしょう。

久しぶりに「多摩の神社準備室」を参照しましたところ、こう書かれていました。『浅川金刀比羅神社
鎮座地 高尾町
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
解説
浅川周辺7村の鎮守として江戸時代に祀られた。社殿は明治30年(1898)再建という。かつては「成就山浅川金刀比羅大権現」と言われた。』若干違うのは、「成就山浅川金刀比羅大権現」を過去の名前としている点です。明治にそう呼ばれ、「成就山」の札が見つかって、復活した名前ということになりそうです。

木瓜爺としましては、「新編武蔵風土記稿」をチェックします。どこかに書かれていたはず・・『(由井領 上椚田村 原宿)金毘羅社 字榎窪にあり 小祠 同上艮(うしよら)向』「高乗寺」の後ろに出てくるので、これかなあ? 「高乗寺」は境内除地三十七萬三千坪という巨大な領域で、記述の中に「榎窪」が出て来ます。最有力です。ただ、「榎窪」というのは低い場所ですから、最初は下にあったものを、明治になって山の上に移したという説が正しい話だと思われます。「成就山」という山号が出来たのは、明治期の修験者が祠を社にしたときでしょうか? 近くの「高乗寺」は曹洞宗なのです。あとでお見せしますが、「成就山」は真言宗の色彩が強いのです。高尾山の修験者の影響であれば、頷けますね。m09-5-30 G_9969

もう一つ「薬王院」のほうに『金毘羅社 寺より二十町許にあり この所の字を旗竿という』とうのがありますが、駒木野関への間道ありとなっていますので、多分、高尾山金比羅台にある神社のほうでしょう。

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これが何か? 木瓜爺には見当も付きませんが、修験者の祈祷用ツールに見えてしまいます。下の方に書かれた文字が判読出来れば、分かるのかも・・・m09-5-32 G_9976

この「龍」君ですが、口の中にパイプがあるようです。つまり、手水舎の水を吐出するm09-5-41 G_9994「龍口」のように思われます。帰りがけに見つけたのですが、手水鉢が階段の途中にありましたので、これとの組み合わせを考えていたのでしょうか?

狭い境内ですが、境内社があります。m09-5-33 G_9979

 

これが、興味深いのです。詳細写真を並べましょう。向かって左端は、神殿です。「新編武蔵風土記稿」の記述ですと、神体は「白幣」となっていますので、それにふさわしいような神殿です。真ん中にあるのが、「獨鈷」を持った「弘法大師」のようです。

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そして、左端が「供養塔の一部」らしい。墓碑かも知れません。他にも、こんな物が並んでいます。m09-5-38 G_9984「奉納」以外の文字が見えませんので、昔の石灯籠でしょうか?  登山道の方はどうなっているのか?と見回しましたら、トイレが見えました。このトイレの前を通って、下って行く道があります。

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この写真では分かりませんが、階段のように見える所の先は、かなり勾配のある斜面を下ります。この登山道を上った方のブログでは「最後の上りがきつかった」と書かれています。この部分の事でしょう。当初は、帰りは登山道の方を下ろうかと思っていたのですが、この坂を見下ろして「やめておこう」。軟弱になった木瓜爺です。上りは根気よく歩けば何とかなっても、下りは「転倒」「滑落」の危険が多くなっているのが老人です。魔の二時も近づいています。魔の二時というのは、老人の滑落事故発生の時間帯です。眠くなって、注意力散漫になるのかも知れません。

m09-5-42 G_9957平和観音

観音様に平和と、ついでに木瓜爺の帰り道の交通安全をお願いして、「成就山浅川金毘羅大権現」参拝を終わりました。

明日は、撮歩77 –13になるかな?「江戸の古社」を一つ訪ねます。

おや、今日はきりの良い連番ですね。No.2600 になりました。連続すれば、あと1年1ヶ月ちょっとで、3000です。行けると思う人、手を挙げて! うーん、上がらないなあ・・無理もない。今、このブログの総容量の75%を使っています。一杯になったら「続・木瓜爺ブログ」にするか?「大木瓜爺ブログ」にするか? なんて考えて楽しんでおります。ということは、本人まだ気力だけはあるらしいです。

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