2016/02/21:江戸の古社;木瓜爺撮歩77-13-2 湯島天満宮(湯島天神)Ⅱ (No.2602)

この「湯島天満宮」は「湯島神社」という名称だった時期もあります。戦時中は多分この名前だったでしょう。地図などでは、今でも「湯島神社」としているものがあります。「湯島天満宮」になったのは平成12年だそうです。

文京区教育委員会掲示による湯島天満宮の由緒: 『湯島神社は菅原道真公を祀ったもので湯島天満宮又は湯島天神の名で有名です。菅公の徳は全国に浸潤し天神様と尊ばれ全国に祀られて、学問の神様として敬われています。
伝えられるところでは文和4年(1355)湯島郷民の勧請にはじまり文明10年(1478)太田道灌が修造したといわれています。
青松が繁る神境に野梅が盛んに香り風雅に富んだ所として古くから名を知られ、その後江戸幕府の朱印地になり、林道春、新井白石等の多くの学者に文神とし崇められました。 境内の梅は一時枯れましたが、現在では地元民の篤志により、数百本の梅樹が植えられ、2月から3月に行われる梅まつりにはみごとな花と香りで参拝者、鑑賞者を楽しませています。』

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改めて、入場します。入ってすぐ左に、末社があります。その前に目に入ったのは、「包丁塚」です。この大きな石碑ではありません。この後ろに隠れています。恥ずかしがっているようですから、写真は止めて置きましょう。こちらは、「料理包丁研鑽報徳碑」なのだそうです。

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m77-13-21 火伏三社稲荷F9779

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、右の写真が「火伏三社稲荷」だそうです。この「三社」の意味は「合祀」を表して居るのでしょうが、「火伏」がついた由来が分かりません。新橋に「烏森稲荷社」というのがありますが、あそこは「明暦の大火」にも焼け残ったということから、「火伏稲荷社」と呼ばれました。こちらにも、東京大空襲の焼け残りのお稲荷さんがあって、それを合祀したというような由来があると、理解が出来るのですが、だれもこの名前に「どうして?」って聞かないようです。 思い出しました「烏森」「椙森」「柳森」の「三森稲荷」を「江戸の古社」として歩こうなんて、ブログに書いたことを・・行く前に死んじまうぞ、・なんてお稲荷さんに叱られる木瓜爺です。m77-13-22 F9781

この「天神三丁目」は町火消「わ組」の管轄です。ですから、「わ組」の火消し達の守り神だったのかも知れませんね。

火伏稲荷に続いて「喫煙所」が設けられていました。合理的ということかな? 自動販売機で水も売っています。其の隣りに、「牛」が居て「手水舎」になります。

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手水舎の先にも、ちょっと大きい牛が寝ています。

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「天神様にはどうして牛がいるの?」・・・それが、大事なんです。そう思うのは頭が若返ろうとしている証拠・・いろんな説がありますよ。

1.道真の出生年は丑年である。 2.大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った。 3.道真は牛に乗り大宰府へ下った。 4.道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した。5.牛が刺客から道真を守った。6.道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた。

中には「ペットじゃないんだから!」って叱りたくなるのもありますね。当時は「牛車」が乗り物なのです。「北野天満宮」のHPに書かれていた次の説が有力でしょう。『菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でありました。延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております』 このお話は、国宝になった絵巻物にも書かれています。

国宝「北野天神縁起絵巻」の序文には門前にて休む茶色と黒色の牛が描かれており、絵巻物の巻五には菅公の御遺骸を運ぶ茶色と白色のまだら模様の牛が描かれています。絵巻の詞書には「筑前の国四堂のほとりに御墓所と点しておさめん奉らんとしける時、轜車道中にとどまりて肥性多力の筑紫牛曳けども働かず其所をはじめて御墓所と定めて今の安楽寺と申すなり」

そんなことで、天神様と牛は切っても切れないことになったようです。

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梅林のある境内の庭園部にやってきました。『奇縁氷人石:嘉永3年(1850)10月江戸で初めて建てられたもので、右側面に「たづぬるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。』 昔から悪い奴は、他人の弱みにつけ込む悪事を働きます。この迷子捜し情報をみて、「この子の居場所教えるから・・」詐欺を働く奴が出現して、町奉行配下の人々を悩ませたようです。

この、左の売店で甘酒を売っていました。紙コップを持った人々が一休みしています。

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白梅はまだ蕾でしたが、ピンクのしだれ梅?は咲いています。木瓜爺は少々悩んだ末、酒まんじゅうの蒸かしたてを1個買って、それを囓りながら梅見です。甘酒と両方食べると血糖値が心配!

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北口から入って、一旦南口に出て、入り直した木瓜爺ですが、「湯島天満宮」には、もう二つ入口があります。東に出る階段口は「湯島聖天」に行く道で、明日にでも出て行きましょう。いや、明後日になるかな? もう一つの西口は、この庭園部の端にあります。そこから切通坂の上部に出て行きます。その交差点に、有名なお蕎麦屋さんがあったことを、忘れていました。

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これは、「筆塚」ですが、「泉鏡花の筆塚」と呼ばれるものでした。『梅園の中には、満天下の子女の紅涙をしぼらせた「婦系図」のゆかりの地つぃて里見弴外16名の文筆家ら旧知関係者によって昭和17年(1942)9月7日に泉鏡花の筆塚が造立されました。』 「婦系図(おんなけいず)」に出てくる 「真砂町の先生」の「真砂町」は、直ぐ近くです(おんなけいずなんてふりがないれたのは、ワープロ辞書が無知で書けないからです)。m77-13-32 F9804

「合格祈願」の絵馬の山です。一箇所ではなくて別の場所にもありました。

そうそう、女性が操る猿回しも出ていました。楽しい境内です。

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まんじゅうを食べたら、よけいお腹が空いたようなので、表に出て、お蕎麦屋さんを見つけます(この時に、さっき書いたことを忘れていたのです)。 やっと、見つけて入ったお蕎麦屋さんが、不思議なお蕎麦を食べさせてくれました。太さがうどんよりは細いのですが、スパゲティ並みの○でして、不味くはないのですが、つるつる・・とは行かなくて・・・。  明日は、脱線して寄った「台東区」のお寺の方を書きます。m77-13-31 F9799

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