2016/02/24: 湯島散歩:木瓜爺撮歩25-11 天澤山 麟詳院 〔東洋大発祥之地〕 (No.2605)

「湯島」という地名が、「新編武蔵風土記稿」に出て来ないのかと、あちこち頁をめくっていました。「豊島郡」の郡図、「元禄年中改定図」には、「神田明神」と「湯島天神」の鳥居は描かれています。「総説」という部分の一節に、こんな事が書かれていました。『湯島 由之萬と註す 風土記云 湯島公穀六百七十二束三字田仮粟三百九十二丸三字田貢鹿狐走兎血山鴿馬牛等と 今御符内見に湯島あり 地続本郷は湯島本郷ならん 其地の条合せ見るへし』 どこで切ればよいのか分からない部分はそのまま続けて書いてあります。でも、何だか凄い田舎だったようで、貢に使うのが「鹿」「狐」「兎」「山鳩」「馬」「牛」・・(「走」「血」の意味は理解出来ないので飛ばしています)・・・「走兎」で生きている兎、「血山鴿」で山鳩の血でしょうか? 「走兎」というのは、「大将棋」か何かの駒の名前なのですが、そんな物を年貢にするわけがない・・「山鳩の血」というのは漢方薬にあったような気がするのですが?

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木瓜爺左にある道から出て来まして、横断歩道を渡ってから振り向いて写しています。左の道というのが、湯島天神の東口から出て来た道です。右の道との間に挟まれた所に「十八割蕎麦」・・どういう意味だろう? このお蕎麦屋さん、「名人技、日本初、十割蕎麦と八割蕎麦の合せ一本打ちを是非お試しください」という文句をどこかで見ました。丁度よいチャンスだったのに、忘れてしまったボケ爺でした。テレビに出てきたことがあります。10割の方に竹炭で色を付けていたので、そんじゃ10割じゃないじゃん! ってつぶやいた木瓜爺でした。

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蕎麦屋の向かい側にある「平野屋」。倶利伽羅竜王が居て、お地蔵様が取り囲んでいます。何だか恐ろしい・・ここは、「仏具屋」さん。特に「念珠」が有名だったかな?

キョロキョロしながら歩いて、やってきましたのが「麟詳院」というお寺です。

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m25-11-04 F9866山門には「海東法窟」という額がかかっています。右の大きな石碑は寺名ではなくて、「不許葷酒山門」と書かれています。このお寺は、確かホームページが出来て居た筈。

臨済宗 妙心寺派 天澤山 麟祥院(りんしょういん)
当山は寛永元年(1624)春日局の願により三代将軍家光公の台命で、当地に境内地一万坪寺領三百石の御朱印状を拝領し徳川秀忠の御明御殿を賜り、殿堂を造立し、報恩山天澤寺と号しておりました。  はじめ、局の甥にあたる神龍和尚が住職しましたが、病気のため退院し、寛永七年野州宇都宮の興禅寺の渭川和尚の高徳であるのを局が聞き、当山の住職として拝請され開山となりました。その節、春日局の菩提所として、寛永十一年(1643)家光公より武州豊島郡柏木村(現新宿北新宿)の内に寺領百石を香華料として寄進され、後に豊島郡駒込村(現文京区本駒込)の内に弐百石ご寄進され合わせて三百石の寺領となりました。局は麟祥院殿仁淵了義尼大姉の法号を受けました。後に将軍家光公は春日局の法号をもって寺号とするように命じた為「天澤山麟祥院」と改号しました。』

m25-11-05 F9869「春日局」の菩提所です。墓地にはお墓もありますが、今回はそこまでは入りませんでした。ところで、この正面のお堂が一体何だったのか? よく分からないのです。

麟祥院本堂この堂の左に、生垣で囲われた建物があり、もう一つ門もついています。そこにお邪魔すれば、いろいろ有るようです。そこに本堂があったのかも知れません。ホームページや、寺社データベースに出てくる本堂は木造です。こういう写真が出ていました。つまり、木瓜爺はお参り出来なかったようです。左の方に木瓜爺の興味を引きつける「石碑」と「鐘楼」がありまして、そこで足止めされてしまいます。

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これがその石碑。「東洋大学発祥之地」となっています。実は何日か前に、仏教の宗派別にどんな大学を作っているのか調べたことがあったのです。そのとき「東洋大」は出て来ませんでした。それで、異常な?関心を持ったわけです。

『東洋大学発祥之地  明治20年(1887年)9月16日
井上円了は民衆に教育の機会を開放し かつ哲学を中心とする教育を行うことを
目的として, 東洋大学の前身である哲学館をこの地に創立した
昭和62年9月16日         東洋大学創立100周年記念建立』

「井上円了」という名前は、お坊さんぽいですが、この方は「哲学者」です。生まれは、お寺の生まれなのです。それでこういう名前なのですね。『安政5年、越後長岡藩領の三島郡来迎寺村にある真宗大谷派の慈光寺に生まれる。父は円悟、母はイク。16才で長岡洋学校に入学、洋学を学ぶ。明治10年、京都・東本願寺の教師学校に入学。翌年、東本願寺の国内留学生に選ばれて上京し、東京大学予備門入学。その後東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。』という経歴の持ち主です。この方が、「哲学」を学ぶための、私立大学を作ったのです。それが「東洋大学」の前身である「哲学館」。

もう亡くなられましたが、木瓜爺の中学生時代からの恩師は、中学生として教わった頃はまだ「東洋大学」の学生でした。1年位して、書かれた卒業論文が話題になり新聞に掲載されたことが記憶にあるのですが、論文の中身が何だったのかまでは覚えていません。でも、そんなことがありましたので、「東洋大学」という名前はしっかり覚えております。

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石碑の横にあった鐘楼。囲があって、近づけませんでしたが、改修工事をあいているようでした。拝見しなかったのですが、春日局の墓碑は変わった形をしているそうです。『春日局の墓石の四方及び台石には、夫々穴が穿ってあります。これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」と言う春日局の遺言に、衆議して建立したものです。 春日局の強運と賢徳に、又墓石に穴が通っていることから、「肖る」とか「願いが通る」と江戸時代より港間に伝えられてひそかに参詣する人が多くありました。  当院は時域の四囲を「カラタチ」の生垣を廻らしていたことから、「からたち寺」と言われて来ましたが、明治二十年頃より施工された度々の道路拡張などにより、カラタチの生垣はなくなりました。』 と、ホームページに紹介されていました。

中途半端ですが、木瓜爺はこれで失礼して、次のお寺を探します。「霊雲寺」という「真言宗霊雲寺派 総本山」があるのです。

ついでに、宗派と大学を教えろ? 先日浄土真宗の東西と大学は書きましたね。残りのほうをメモしておきます。詳細は大変なので代表格だけですよ。「和宗」ってご存じですか? 聖徳太子を開祖とする宗です。ここは「四天王寺大学」。分かりやすい。曹洞宗は「駒沢大」とか「鶴見大」、臨済宗ですと「花園大」でしょうか。法華関係は、「立正大」「身延山大」などありますね。「大正大学」というのは、天台宗、浄土宗、など複数の宗派の僧を教えていますね。真言宗は派によって別れているようで、古義真言宗は「種智院大学」、高野山真言宗は「高野山大」、そいえば、豊山派は先ほど出た「大正大」のようです。意外な大学でも仏教を扱っているのに驚いたのですが、「埼玉工業大」「東海学園大」「京都文教大」

最近、中年以降の僧侶志願が増えているのだそうです。まあ、昔でも、冥土が近づいてくれば、剃髪して・・・というのはありましたが、今の状態は少し違うようです。あえて云うなら、「僧」という「資格」を取りたい、という願望があるらしいのです。勿論本物の「発菩提心」による方もおられるでしょうが、どうも生きる為に「僧資格」を持ちたいと言うのがあるようです。寺側でも思惑があり、ある宗派では、廃寺寸前の住職のいない寺の住職をさせるからという名目で、僧養成募集をしています。

歴史的にみれば、「出家する」「僧になる」というのは「家」や「しがらみ」を捨て、「我」も捨てる、ことを意味していましたが、末世症状といわれるような混乱期には「私度僧」といわれるような自分勝手に僧になることが流行しました。僧形に成ることで、乞食が出来、何とか生きられるという切実な手段とされたのです。

何だか「仏教の本質は何なんだ?」という時代に突入してしまっているようです。「哲学」として、もう一度考え直さねば・・・と、思う「ちゃらんぽらん派」木瓜爺であります。

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