2016/03/06: 鮫洲散歩;木瓜爺撮歩94-64 高詳山 嶺雲寺 (No.2616)

『嶺雲寺 境内除地五畝七歩 小名濱川町にあり 曹洞宗にて同郡南品川宿天龍寺の末なり 高詳山と号す 慶長九年開山嚴育和尚の草創といへり 中興を不聞寶傳和尚と云 萬治三年十一月十五日示寂す 中興の開基は吉田半左衛門重房と称して境内に墳墓もあり その碑陰に記せし大略に云 重房は越前の人なりと 故ありて相州粕谷に来たりて住居せしに後当村に移りて村民となり当寺を開基し 萬治三年五月二十一日享年六十五にして死せりと 今此子孫をしらす 客殿五間に四間 本尊釈迦如来を安置す』

m94-64-01 F2595「瑞雲山 天龍寺」は1/31に書いていますね。あそこの末寺だと云うことです。これは、古東海道に面した入口です。実際の寺門は、30m程奧にあります。ここは、もう小名「濱川町」に入っているのですね。

m94-64-02 F2597嶺雲寺

本堂は、近代建築に変わっていますが、境内にお堂が一つ、右の方に見えます。先ほどの記述には何も書かれていません。ともあれ、お参りして行きましょう。

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郵便受けが置かれて居ますから、無人では無いようです。入って直ぐ右のお堂ですが、

m94-64-04 F2601

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「虚空堂」となっています。「虚空蔵菩薩」でもおられるのでしょうか? 養願寺に「虚空蔵菩薩」がおられたのですが、こちらは別の意味かも。「虚空」とは「空間」的な意味なので、禅寺ということを配慮すると、座禅などを組む場所につく名前かもしれません。

「猫」さんんも何も書いていませんね。写真を載せて「伽藍」と書いています。まあ確かに「伽藍」ではありますけど?

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本堂の方には「嶺雲」の二字額です。永平寺の方の揮毫です。扉の前に立って、合掌一礼!

「虚空堂」と「本堂」の間に赤い鳥居が立っています。m94-64-08 F2607北浜稲荷

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「境内鎮守」だと思いますが、これが「北浜稲荷大明神」。「北浜稲荷」とか「北浜三社稲荷」というのが、北品川の方にあると思いますが、その勧請か、北「濱川」なので「北濵」なのか分かりかねます。

m94-64-09 F2609

境内の「六道地蔵」様。後ろに単独の地蔵菩薩もおられます。「延命地蔵」ではなくて、「子安地蔵」のようです。

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この一画には、沢山の石仏が置かれて居ます。廃寺になった「清傳寺」にあった石仏もここに集結したのではないでしょうか? ついでに、「新編武蔵風土記稿」の清傳寺も書いておきましょう。『清傳寺 境内除地九畝五歩 小名御林町にあり 是も天龍寺の末なり 福田山と号す 開山は不聞寶傳和尚のよし 起立の年月を詳にせす 二世を授眼清傳和尚と称す 寛文元年三月十九日に寂せり 本尊釈迦如来客殿に安す』 つまり、嶺雲寺の中興と、清傳寺開山が同じ方なのです。ですから、清傳寺の廃寺に際し、この「嶺雲寺」がいろいろ引き取りをしているだろうと、木瓜爺は推測しています。

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「嶺雲寺」を辞して、東海道みちを少し南に進んだところに、お蕎麦屋さんがありました。m94-64-13 F2620角に「東海道」の石標が立っています。ここを右折して、元「清傳寺」があったという「鮫浜小学校」の方に戻ります。そこから、京浜急行の下をくぐり、第一京浜を渡って、「梶原稲荷神社」というのを探します。「新編武蔵風土記稿」には「梶原稲荷」はないのですが、「来福寺」の北に「梶原塚(梶原景時父子の旧蹟)」というのがあると書かれており、これが関係しているような気がするのです。この「梶原景時」は「鎌倉権五郎」の子孫、つまり、木瓜爺が浄泉寺の帰りに時折お参りする「御霊神社」の主の子孫というわけです。

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