2016/03/09: 大井町散歩;木瓜爺撮歩94-67 三宝山 神護院 大福生寺 (No.2619)

「来福寺」から「大福生寺」に歩いた道がわからなくなってしまいました。「来福寺」m94-67-00 F2666の参道入口の所から南西に歩き、次の四つ角で右折して「来福寺駐車場」に入った石段のところを過ぎてから左に曲がったのか、次の四つ角と書いた交差点をそのまま直進して、突き当たりを右に曲がったのか? 記憶では「林医院」という看板を見ながら歩いたように思うので、後者だったのかもしれません。途中の写真から推定ですね。東大井3-18 という所を通っています。海抜、やhり2.0mまで下がりました。

m94-67-01 F2667大福生寺

最後は「大福生寺」の裏口に到着です。ということは、林医院の方から行ったということのようです。

m94-67-02 F2668

「大福生寺」は、「新編武蔵風土記稿」にはありません。ずーっと新しいお寺のようです。

品川観光協会の紹介では『大福生寺(だいふくしょうじ) 天台宗 (山号)三宝山神護院 東大井3-21-25
江戸時代の中期、老中松平定信が霊巌島(現中央区)にある吉祥院に祀ったかんぎてん(歓喜天)が始まりという。
明治15年(1882)に中興といわれる宇賀神実海師が、日本橋蛎殻町に新しく聖天堂を建て、のち明治26年(1893)に現在地に移転した。当時、このあたりは旧土佐藩の屋敷の一角だったことから、「土佐山のしょうてん(聖天)様」と呼ばれた。現在は「大井の聖天様」の名で親しまれている。』と書かれています。これも、ちょっと怪しげな記述。霊巌島吉祥院が変化したというのか、歓喜天の像がそこから来たというのか? もう少し正しく書いたものは無いのかねえ? 石段を上がったところに、小社と地蔵が並んで居ました。これがまた、分からない。「福生辨天」様なのですか?「福生宇賀神王」って何ですか? 辨財天の冠の所におられる「宇賀神」を一緒に祀っているという意味かな?

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お地蔵様の方は、説明板がありました。

m94-67-07 DSCF2672是またよく分からない。霊能者の助言で寄進されたという事なのかなあ?

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裏から参上したのが悪かったらしいです。表に回ると、多生分かりやすくなるらしい。

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表の方にあった説明板です。天台宗のお寺です。それなら、天台宗東京教会のデーターを頼ります。

『三宝山神護院 大福生寺(通称:大井聖天) 所在地:東京都品川区東大井3丁目21番25号  交通:京浜急行/立会川駅 徒歩5分 開創:明治15年日本橋蛎殻町 明治25年5月現在地に移転 本尊:大聖歓喜天』 明治15年に日本橋蛎殻町に開創され、明治25年に移転した・・・と、割り切って書いて有ります。

『大福生寺は俗称土佐山聖天、現在に至り大井聖天と呼ばれ、東叡山寛永寺住職實観大僧正の法裔、宇賀神實海大僧正が目黒不動瀧泉寺を退き、隠居の寺として大福生寺を当時の日本橋蠣殻町に建立し、初代住職となる。
本尊の大聖歓喜天は千有余年前、第四代天台座主慈覚大師円仁入唐帰朝の折、将来してきた霊像である。その後駿河国総持院創立以来永く安置せる所、京都盧山の超空上人の霊喩により付属し、その後も享保年間に妙法院門跡圓恕大僧正がこの歓喜天像を感得し、数星霜妙法王府の霊殿に安置しており、歴代の皇室御尊崇も浅からず、近くは明治天皇大病の際、天台座主に病気平癒の御下命あり。比叡山の常楽院願海大阿闍梨大行満によって尊勝曼陀羅及び当歓喜天に一百日間浴油の大法を厳修して畏くも天皇平癒され、感激の二位局(明治天皇実母)が三尊の金の歓喜天を奉安。その一尊が当寺の御本尊として迎えられ、霊験あらたにして今日に至る。
又、本地仏としてある十一面観世音菩薩は、聖徳太子の御作にして徳川家光公の信仰厚く、牛込矢来の長安寺に安置せる所を宇賀神實海大僧正が蠣殻町の大福生寺に勧請し、その当時から本尊大聖歓喜天、本地仏十一面観世音菩薩として祀られておりました。その後明治25年5月に現在の地に移転、三宝山神護院大福生寺と新寺号公称。脇仏である聖観音は品川区文化財保護委員の鑑定で平安時代初期のものとされ今日に至る。昭和20年5月太平洋戦争大空襲で寺を全焼し、第五世藤本真靖大僧正の代で昭和25年本堂復興、昭和58年10月護摩堂を建立する。』

本尊とされる「大聖歓喜天」は慈覚大師が唐から持ち帰った仏像が、廻り廻ってここにやってきたようです。その本地仏とされる「十一面観音」も一諸に蛎殻町から来られたようです。脇仏の「正観音」も平安初期のもの。戦災を受けているのに、よく焼け残りましたね。

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これが正門になります。山王鳥居が立っています。昨日の「来福寺聖天堂」と同じです。正面に見えるのが、昭和58年に造られた「護摩堂」で、左側の提灯が下がったところが、本堂になります。

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まず本堂。即ち観世音菩薩と歓喜天のお堂です。

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ここの観音様は「東海観音16番」と成っています。鶴見の総持寺が一番で三十三番が川崎大師、番外というのが一つあって、品川から横浜にかけて全部で34の観音様を霊場に指定したものです。

m94-67-09 F2676護摩堂

m94-67-10 F2677こちらの「護摩堂」には、びっしり様々の仏様がおられるようです。不動明王、大黒天、五大明王、吒枳尼天・・・そうそう、「天満大自在天神」と書かれているのが読めますか? これ「菅原道真」つまり天神様の事なのです。

どういうことに成っているかのか、のぞき見します。護摩堂ですから、祈祷所なのですが、右の方にガラス棚があって、そこに並んでおられるようです。m94-67-11 F2681

m94-67-12 F2683物白い貼り紙を見つけました。「刀利てん」と書かれていますね。これは、「須弥山」の頂上で、「帝釈天」の住まいがあるところです。ただし、正しい字は忄のある刀だったと思いますが・・天界にも四つあって、下から二番目の層だとのこと。

護摩堂の横に神社があります。これが、「福生稲荷大明神」です。ということは、裏口にあったのは「福生辨財天」のお社と決定して良さそうです。

どうも、お騒がせいたしました。やっと全体が飲み込めました。と、改めて本堂の前に行き拝礼。歓喜天には馴染みが少ないので、ここは観音様の方を拝んでおきます。

地図を見ると、また「第一京浜」を渡って「立会川駅」のちょっと南にある「天祖諏訪神社」が、今回のゴール地点になるようです。あと、700m位かなあ・・

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