2016/03/17: 高尾山漫歩;木瓜爺撮歩51-09-1 金毘羅社 (No.2627)

物見台から金毘羅台に進みます。童子達の列はまだ続いています。これは一号路全域にm51-09-01 F0030あるようです。「智慧童子」・・・「知恵」というレベルではなく、もっと本質的な、深いものが「智慧」だそうです。「悟り」に近いものなのでしょうか?m51-09-02 F0033

 

 

 

 

 

 

右下に下る路と、その分岐点左に、なにやら並んでいます。右に行くのが一号路で、真っ直ぐが「金毘羅台」に行く道だったと思います。この「金毘羅台」には、特別な霊場が出来ていたように記憶しています。それは、薬王院の院内にある「八十八箇所霊場」とは別の「八十八箇所霊場」です。詳しい事は全く知りません。それで、このブログを書くときに調べてみましたら、「高尾山内八十八大師」というものだと分かりました。

「高尾通信」というサイトの記事を紹介しておきます。『高尾山内八十八大師: 高尾の山を歩いているとここかしこに赤いよだれかけをつけた石仏が目にとまりますが、これが八十八ヶ所の弘法大師の御影像です。  
 大本山高尾山薬王院 解説板によれば「高尾山内八十八大師は明治36年(1903)に薬王院の志賀照林大僧正が、広く東国のご信徒の為に山内を四国と見立て、八十八ヶ所の霊場の土を持ち帰り大師像の下に納め安置してございます。山内のご巡拝の道は豊かな自然に富み、同行二人の大師様の功徳は計り知れないものがあります。
案内図は別院(不動院)にありますので申し出て下さい。」とある。(中略)・・  数年前、年を経て散逸していた石像を集めて整備したが、その際、八十六体は見つかったが二体は行方不明のため新規に建立したという。
 ケーブルカー清滝駅前広場の山側に早速七つの大師が鎮座しています。このように八十八ヶ所の第1番は清滝の近くにありますが、その手前に置かれているのが「是より阿波國」の石柱です。碑側には「明治三十六年七月建之」と刻まれている。
 右から第一番 札所阿波国「霊山寺」、隣が二番札所「極楽寺」、三番札所「金泉寺」、四番札所「大日寺」と続きます。さて、実際に全箇所を巡拝すると、高尾山を二度上り下りしなければならず6時間以上かかります。

  • 清滝駅前広場の山側         1~8番
  • 二本松の前広場           9~16番
  • 十一丁目茶屋前           17番          
  • 十一丁目茶屋の右          18~19番
  • 蛸杉の右              20~22番・66番
  • 神変堂の横              23番・64~65番  
  • 仏舎利塔の正面広場         42番~62番
  • 男坂石段を登り右          63番
  • 権現茶屋の前             40~41番
  • 大師堂の裏             30~36番・24~29番
  • 天狗社の右             37番
  • 飯縄大権現堂の右石段横       38番
  • 奥の院の裏             39番
  • 蛇滝 水行道場内          67~68番
  • 蛇滝下り口左側           69~70番・75番
  • 蛇滝から下り            75番・69番
  • 蛇滝橋左              70番
  • 老人ホーム金網柵内の高台      71~74番
  • 金比羅社の左            78番・80~82番・85~87番
  • 金比羅社の右            79番・83~84番
  • 金比羅社一号路右          76~77番
  • 不動院本堂の前           88番(結願弘法大師)』 これによると、金比羅台の部分は、76番~87m51-09-03 F0034番の部分のようです。2往復しないと結願しないというのは、大変ですね。

交差点部にあった石仏群です。神木奉納の石碑なども混じっているようです。m51-09-04 F0036

 

 

 

 

 真ん中の地蔵菩薩に見える石像、これも「八十八大師」のようで、「道隆寺 本尊薬師如来」と彫られています。四国77番「桑多山 明王院 道隆寺」ですね。防火対策は、ローソクの火を消していってください、なるほど。霊場なので、「納札」が必要なのですが、このm51-09-05 F0038石はどう使うのでしょうか?「納札石」と書かれています。ポストの口はなさそうだし、わからん?m51-09-06 F0039

 

 

 

 

 

 分岐点の道路標識。「金比羅台を経て高尾山口・高尾駅」という方に進みます。m51-09-07 F0043

 

m51-09-08 F0044

 

 

 

また、一基、お大師様です。続いてまた一基。これは「五鈷杵」を持っておられるので「地蔵」とは区別出来ます。m51-09-09 F0046

「第八十五番」と書かれていますね。

m51-09-10 F0048

「童子」かな? 其の後ろに屋根が見えます。多分あれは「金比羅社」でしょう。「金比羅」か「金毘羅」かどちらを使っているかな?m51-09-11 F0052

 童子の方は「無垢光童子」。不動明王の眷属とされる36童子。五番目位にこの童子の名前があります。1番と2番は、木瓜爺も知っています。「矜迦羅童子(こんがらどうじ)」「制叱迦童子(せいたかどうじ)」、文字は別の文字が使われる事もありますが、「こんがら」と「せいたか」です。この三十六童子というのは、元になる教典がはっきりせず、天台宗と真言宗で造られた(?)と聞いたこともありますが、どうなのでしょうね?

 いよいよ、「金毘羅社」に到着です。おやおや、「狛犬」代わりに、「大師」様が座って居られるようですよ?鳥居の文字は「金毘羅社」です。

m51-09-12 F0058金刀比羅神社

m51-09-13 F0059

 「コンピラ」さん程、使われる文字の多い神社はないでしょうね。「金毘羅」「金比羅」「金比良」「金刀比羅」「金刀毘羅」「琴平」・・・木瓜爺はなるべく「額」に使われた文字を使うことにしていますが、同じ神社の中で違う文字が使われていたりして、悩みます。「琴平神社」としての基本の祭神は海から出現した「大物主命」なのですが、四国の「金比羅宮」では、「崇徳天皇」が合祀されたりしています。仏教系の神社? としては、「金毘羅神」が主神になるようです。「クンビーラ」という仏教の守護神です。この「金毘羅社」は多分、「クンビーラ」でしょうね。

m51-09-14 F0060

m51-09-16 F0064

先日訪れた「成就山浅川金刀比羅大権現」の場合は、山岳信仰も混じって居ましたので、修験道の方の「護法善神金毘羅」だったのでしょう。こちらと近いかも知れません。とにかく、拝礼して行きます。なお、八王子や青梅の山にある「琴平神社」系統(名前的には金比羅としていても)は、絹織物などを積んだ輸出船の無事を祈った神社ですから、「大物主命」が祭神と考えられました。

m51-09-17 F0068

東京が見えます。神社の下の広場で、一息いれましょう。

m51-09-18 F0069

「新編武蔵風土記稿」に書かれている「金毘羅社」のことを、今日書くのを忘れていました。追加しておきます。『金毘羅社 寺より二十町許にあり 此所の字を旗竿と云 社地五十歩許 神体はこれも白幣なり 小社にて覆屋あり 因に云 此所に落合駒木野へ通する間道あり 社地を通って坂両岐在 落合への間道は 土俗に すく路と呼ふ 路程十四町はかり 駒木野関への間道は十町許なりと云 此社地眺望いとよし 東南は山河を望み 就中(なかんずく と読みます) 東は蒼海渺漫(びょうまん でしょうか?)として白帆を浮へたるさま書図のことし』
此の記述、海が見えて居るのです。・・・これで、明日のブログにつながります。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中