2016/03/20: 老連旅行;木瓜爺撮歩99-34 妻沼聖天山 歓喜院 長楽寺 山門見物 (No.2630)

3月の初めに、老人クラブ連合会の一泊旅行が有りました。その中から二箇所選んでブログの撮歩に入れることにしました。木瓜爺と致しましては、極めて不本意な内容になっています。今日のタイトルがそれを物語っていますね。〔山門〕しか見ていないのです。その内、Choi-Boke仲間達と再訪出来たら、ちゃんと書きましょう。

「妻沼(めぬま)聖天山」は、埼玉県熊谷市妻沼1627 にあります。羽村を出発したバスは、青梅ICから圏央道に入り、狭山で休憩した所までは、分かるのですが、其の後が記憶にありません。・・居眠りのせいです。この間に、車内用にお菓子の入った袋が配られたのですが、結構なボリウムで、間食をあまりしない木瓜爺のおやつ1週間分くらいあり、旅行が終わって4日ほどまかなえました。あれを初日で空に出来る老人って、糖尿病には縁がないのでしょうね。ウラヤマシイ!

「妻沼」というのは、利根川の縁に有ります。妻沼の解説にはこんなことが書かれています。『妻沼の地名は往昔、目沼・女沼とも記す。現妻沼町中央部北端、利根川右岸の自然堤防上に位置し、東は善ヶ島村、西は台村、南は八ッロ村と弥藤吾村、北は利根川を隔てて上野国の古戸村と境村。今は東に行田市北河原、南は熊谷市中条と奈良別府、西は深谷市明戸、北は群馬県太田市を境としている。江戸時代には中山道熊谷宿から上野国に至る脇往還の宿場であり、聖天宮の門前町としても栄えた。』

m99-34-01 G_0080.妻沼聖天jpg

やがて、聖天山に到着。ボランティア・ガイドの方を頼んであるというので、その後ろについてぞろぞろ境内に入って行きましたが、出迎えてくれたのは、「斎藤実盛」です。この方は「開基者」相当の方なのです。『妻沼聖天院は、斎藤別当実盛が、治承3(1179)年、古社を修造し、守本尊の大聖歓喜天を祀って聖天宮と称して長井庄の総鎮守としたのが始まりである。』とされています。

ガイドの説明は、実盛から始まりました。実盛は「平家物語」の第7巻だったかに、最後の模様が描かれた武将ですが、木瓜爺撮歩では嵐山の駒王丸(木曽義仲)の脱出に手を貸した方でもあります。『実盛は源義朝に従っていたが、地元の源義賢の幕下になろうとしますが、こうした武蔵衆の動きを危険視した義朝の子・源義平は、久寿2年(1155年)に義賢を急襲してこれを討ち取ってしまいます。実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻るが、一方で義賢に対する旧恩も忘れておらず、義賢の遺児・駒王丸を畠山重能から預かり、駒王丸の乳母が妻である信濃国の中原兼遠のもとに送り届けた。この駒王丸こそが後の旭将軍・木曾義仲である。』という人なのです。平家物語に書かれた「死に際の話」というのは、ご存じの通り、白髪染めで、年を隠して戦場に望んだお話。加賀国の篠原の戦いですが、昔助けた「木曽義仲」に敗れて死にます。首実検で、洗って白髪に戻ったところで、義仲が気付きます。

ボランティア・ガイドは、おじいちゃんです(といっても、木瓜爺よりは若そうでした。)説明が長いのです。銅像の横に実盛の歌が流れる機械があるのですが、最近、壊れているようで、この歌まで歌ってくださいました。・・・見学の時間が足りなくなるよ。木瓜爺列をそっと抜けだして、山門のほうに行きます。「総門」に相当する門のようですが、「惣門」の文字を使っていますね。

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m99-34-05 G_0086「貴惣門」という「国重要文化財」です。側面に特徴があります。破風の三重ね。これは、写し甲斐が有りそうです。と思っていると、実盛を終えた集団がやってきました。m99-34-09 G_0094「貴惣門」の額はちょっと変わった文字が並んでいます。何か願いが叶いそうですね。ちょっと総門を離れて、門前を写します。「御嶽山大神」なんて石碑が有ります。「地蔵堂」も有りました。「延命地蔵」のようですね。

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m99-34-08 G_0093 あれ、集団が先に進みそうです。一旦仲間入りしないと、はぐれて迷子になります。惣門の木鼻彫刻だけは写して置こう。「貴惣門」を入って、振り返ります。

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回れ右すると、もう一つの門が見えます。右の方にお堂が一つ見えますね。そちらへ行くのかと思ったら、右の方にそれてしまいます。どこえ行くのだろう?

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m99-34-18 G_0098「平和の塔」という物らしいのですが、そんなところ見ていたら、肝心の国宝「聖天堂」が見られないじゃあないか・・・木瓜爺また一匹狼?に戻って、護摩堂前に行きます。「護摩堂」というのは、下の写真ですが、『不動尊を本尊とし、白衣観音、役行者神変大菩薩を祀っています。主に自動車の交通安全加持祈願を行います 』とのことです。m99-34-11 G_0095

そして、中門の方を見に行きました。中門はなんと言うこともない普通の門。それをくぐると「仁王門」です。こちらを写します。

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仁王門の真ん中には、大きな銅鉦がぶら下がっています。妻沼聖天院のホームページにある仁王門の説明は『仁王門は万治元年(1658年)の創立と伝えられています。明治24年台風によって倒壊したので、明治27年に再建されました。門の左右に配置された仁王(金剛力士)像は、向かって右側が口を開けた「ア」形、左側が口を結んだ「ウン」形です。』と書かれています。真ん中の銅鑼のことは説明がありません。説明板がありましたが、文字だけでは分かりませんねえ。

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ホームページの境内図を拝借します。

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こんな風になっているのだそうです。旅行の「添乗員」が居たので、もう集合時間だけれど、どうなっているの? と尋ねると、拝観は致しませんという返事。つまり、お参りもしないで帰るのだそうです。 何だよー、早く言ってくれれば、境内後回しにして、御本殿に行くのに! 慌てて、本堂にお参りだけしてきました。時間切れで、ここで回れ右です。

m99-34-17 G_0099この旅、木瓜爺はキャノンのG9というコンデジだけで出かけていました。これが失敗の大元だったのです。G9はワイド端が35mmなので、ちょっと画角が狭く、近づくと入りきらないのでした。後ろに下がっていったら、仁王門の基石が邪魔します。

HPの入口頁にある写真はもっと綺麗に写っています。それが、下の写真です。

m99-34-19 honden_front半分寝ぼけていたとしか思えぬ木瓜爺の失敗で、せっかく「聖天山 歓喜院」にお参りしたのに、「貴惣門」と「仁王門」の写真しかありません。本殿の外に廻らされた柵の内部に入る「拝観料」は700円ですが、拝観時間は10:00~16:00。バスが到着したのが10:35でしたから、ボランティア・ガイドさんには申し訳ないけど、単独行を取るのだったと、後で悔やみました。といっても、滞在時間45分では無理だったかな。まあ、下見をしに行ったのだと思いましょう。

このあと、食事をとる場所まで走り、食事後は、更走って、造り酒屋さんに寄って買い物、ここは、なんと尾瀬に行く時通る道だったような気がします。雪がちらついて、庭にも積もっていました。

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夕方には「四万温泉」グランドホテルに到着しました。明日は、此の続きです。

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