2016/03/25: 青梅漫歩;木瓜爺撮歩02-04 吉野・菅原神社 (No.2635)

天澤院の横の石段を上がります。昔は歩きにくい道でしたが、現在は手すり付きの石段なので、有難いです。

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m02-03-04 F0212天澤院の境内に、「サンシュ」があったのをアップ忘れしていました。この木は梅の代わりに「梅の公園」でも頑張っています。「サンシュ(正しくはサンシュユ)」は漢字で書くと「山茱萸」などと書きますが、字は他にもあったような気がします。公園で、確かめてみます。「朝鮮半島原産の落葉性樹木で、大きくなると高さ6mほどに達します。元々は薬用植物として江戸時代中期に朝鮮から果実が持ち込まれました」ということです。

石段の下の鳥居から・・・額は「天満宮」になっています。

m02-04-02 F0224菅原神社

「新編武蔵風土記稿」には、『(下村)天神社 除地六畝 小名天神入にあり 中村の鎮守なり 小社の上に掩屋を立つ 神体は木の坐像にて長八寸 作しれす 例祭正月二十五日 村内天澤院持 當社の四辺に そこはくの梅林ありて 花の比は頗る賞す』

鎮守だったというのは良いのですが、村の名前が「中村」に化けています。多分、書くとき間違えたのでしょう。

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「掩(おおい)屋」に入っているという点は今も同じです。中を覗くとこうなっています。

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永禄4(1561)年の鎮座。ということは、「天澤院」より前からあると言うことですね。周囲に梅林があると云うことですから、梅の里発祥之地かもしれません。

この菅原神社には、境内社が幾つもあります。向かって右側です。直ぐ隣は何だったっけ? 八幡様だったかなあ? ちょっと昔のブログを調べます。「諏訪大明神」でした。m02-04-06 F0229

 

一番右が問題なのです。これは、「八坂神社」つまり「元午頭天王」こと「素戔嗚尊」です。お参りをしながら、「午頭天王といえば、厄除けの神様でしょう。どうして梅の木の病魔を追っ払ってやらなかったのですか?」と、イチャモンを付けてみました。

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どうも梅がお参りに来なかったらしい・・・

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八坂神社の横から、人家の方を見たところです。あちこちにあった梅林は、住宅に変わりつつあります。梅農家は皆無になる気配です。「再生プロジェクト」も公園だけかもしれません。

m02-04-09 F0238梅の公園

梅の公園も、「サンシュユ」がひとりさびしく咲いています・・・

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左側の境内社。左端は「琴平神社遙拝所」でした。

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其の横の神社が、前のブログでは額が読めないとぼやいていますが、木瓜爺も少し進歩しました。「三峯神社」なのです。

m02-04-13 F0242三峯社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通り参拝しまして、石段を下り、梅の公園に行きます。下の方に「サンシュユ」が何本か有りますね。「玄海躑躅」は咲いているのかなあ?ここからでは分かりませんねえ。

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