2016/04/18: 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-14 新橋・烏森神社 (No.2659)

「烏森稲荷」「柳森稲荷」「椙森稲荷」を江戸の「三森稲荷」という、ということを知ったのは、神田明神のブログを書いた頃でした。何時か訪ねて見ようと思っていたのですが、「新橋駅前」「秋葉原駅近く」「日本橋の堀留町」とばらばらなので、なかなか実行する気に成りませんでした。ブログ種の写真が乏しくなって、どこえ行こうかなと考えた時、ひょいと気がついたのは、「秋葉原」から「日比谷線」という地下鉄に乗ると、隣の駅が「小伝馬町」其の次が「人形町」なのですが、「堀留町」というのは「小伝馬町」と「人形町」の間にあるのだということでした。つまり、「柳森神社」と「椙森神社」は割合近いのです。「千代田線」は新橋には行きませんが、「銀座駅」で、渋谷線に乗り変えれば、新橋まで一駅・・・つながるではないか! ということで、3社を一気に回れます。 都市の真ん中にある「小社」を見つけるのは、意外に難しいことは承知していますので、住所だけは事前にメモしました。実際の撮歩は、考えた事と逆コースにしました。最後に秋葉原で捜し物をしたいと思ったからです(木瓜爺の頭の中の秋葉原は電気街のままなのです)。

4/15 出発です。歩きはじめた時のことは、昨日のブログに書きました。今日は「新橋」に到着したところから始まります。

m77-14-01 F1263新橋駅前

ここは「SL広場」です。実際に「烏森神社」を目指すなら、「烏森口」という所に出て、西に行く「烏森通り」をたどるのが一番分かりやすいようですが、ダウンロード・地図ではこちらの方が近く見えたのです。

「SL広場」の主人公はこちら・・

m77-14-02 F1264 c11

「鉄道ファン」「鉄道マニア」「鉄オタ」は、違うものなのだそうです。木瓜爺は、このどれでもありませんが、子供の時動くモノに関心を持ったと同じ程度のレベルで、普通に汽車ぽっぽも好きです。この蒸気機関車は C11 ですね。日本で最も多く作られた機関車です。381台だそうですが、現在「大井川鐵道」では現役で働いています。そのほか、動く状態で保存(動態保存 というのだそうです)されているのが、真岡鉄道と東武鉄道の鬼怒川線・・全部で5輪あるそうです。この、C11はマイナーチェンジが3回あって、全部で4種になっているそうですが、最初の1型は欠陥があったので、早い時期に全部引退させられたようですから、その後のものでしょうね。鉄マニアや鉄オタの型式に詳しい方ですと、この外観で、どの型か分かるらしいです。

SLの前を抜けてから、木瓜爺の迷走が始まりました。神社は「新橋2丁目9」なのですが、何故かこの番地に行き着かないのです。5番だからもう少し先かななんて歩いて行くと10番になってしまって、あれえ? というよな失敗をくり返します。持っていた地図の縮尺が不適当で、番地まで分からなかったのが最大の原因ですが、正常に戻った所から、続けます。

m77-14-03 F1265

SL広場の西側の通りを左に進めばよいのです。それを、例えばこの写真で、左に行くべきところを真っ直ぐ行ってしまうという失敗をしたわけです。

m77-14-04 F1267

左側は「ニュー新橋ビル」というのでしょうか? このビルが尽きるまでに、烏森神社への道が、右側に出て来ます。それを、見逃してしまった、ボケ爺になってしまいました。

m77-14-05 F1293烏森神社

これが、その入口だったのです。写真では明るく加工していますから、見逃しっこないと思われるでしょね。実際は、日影に入っていますので、サングラス(この日、風が強いので、埃よけにサングラスをかけていました。これが第二の原因)越しでは、文字が見えませんでした。

m77-14-06 F1271通り過ぎて、烏森通りに出てしまいます。そこで右折。すると、バス停がありました。この前が、参道入口になっていました。烏森口出口から烏森通りを歩いて来ると、ここに到着するのです。これなら、間違えなかったでしょう。m77-14-07 F1272

 

 

 

参道はご覧のとおり狭い路です。途中に提灯を吊したゲートがあります。この神社の鳥居は一風変わってm77-14-07-2 F1272いると書かれてものを見たのですが、これは「鳥居」ではないようですね。m77-14-08 F1274

 

 

 

 

さらに進むと、左側に「社務所」がありました。m77-14-09 F1275

神社の直前、左右に通る参道がありました。木瓜爺が見過ごしてしまった入口です。m77-14-10 F1276鳥居

 

 

 

 

右の写真が「一風変わった鳥居」です。鳥居の概念には当てはまりませんね。

これをくぐります。社殿もコンクリートハウスです。

m77-14-11 F1278右手に、神社由来が彫られた石碑があったのですが、何故かピンぼけになってしまいましたので、「猫のあしあと」さんから文意を教えていただきました。

『烏森神社縁起   御祭神 倉稲魂命 天鈿女命、瓊々杵尊
平安時代天慶3年(約1000年前)に平将門が東国で叛乱を起こしたとき 征討将軍藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも このとき勧請したとも伝えられている。室町時代の享徳4年(約500年前)には室町幕府の関東管領で古河公方と云われた足利成氏は、当社に戦勝祈願した。その祈願状は今日も当社に宝物として伝えられている。
江戸時代は稲荷信仰により祭礼も2月初午の日に執行せられ、稲荷祭としてその賑わいは江戸で一二を争うものであった。
明治以降は5月4・5・6日を祭日とし、夏祭りのはしりとしてその名をうたわれている。
当社殿は伸びゆく新橋の地にふさわしい近代建築美の中に、神社本来の伝統を加味し昭和46年12月、氏子の熱意により竣工をみたものである。』と、書かれていたのだそうです。

m77-14-12 F1280社殿に進み、参拝しました。振り返って、境内を見下ろすと、左右に狛犬が置かれて居ます。

m77-14-13 F1283これは失礼・・・写しに行きます。

m77-14-14 F1285

m77-14-15 F1287

「吽」が「子獅子」を抱えています。「猫のあしあと」には、「芝区誌」の記述が引用されていました。火災に何度もあっているようです。『烏森神社 新橋二丁目  祭神 倉稲魂命、瓊々杵尊、天鈿女命。
もと烏森稲荷と稱した。朱雀天皇の天慶二年、藤原秀郷が平将門追討の時、自己の封彄中で景勝の緑樹地帯を選び、稲荷の神靈を勧請したのに起源すると傳へられてゐる。
天正十八年北條氏没落の時、兵焚に罹って、寶物、舊記等は悉く焼けてしまった。其後再營の時、櫻田神社(其祭神は不明、天照大神、埴山姫命、大山祇命とも言ふ)を合祀したが、遂に舊時の壮観を偲ぶ事は出来なかつた。明治五年十一月村社に列し、明治中期以後、烏森藝者屋の發展に伴つて賽者多く、神社の維持は宜しきを得て、大正の大震災に炎上したが直ちに再興した。けれども震災後社地を擴張し得ず、境内は頗る狭隘である。
什寶に有名な鰐口(「下河邊行平建之。元暦元年甲辰□月吉」と刻してある)、足利氏書、宗近及び長船太刀一振づつ、飯村光重作神鏡一面がある。
氏子區域 新橋一、二、三丁目、田村一、二、三、四丁目、備前町、南佐久間町一、二丁目、田村町。
朱雀天皇天慶年中、藤原秀郷綿房州發向のとき、武州におゐて祈願せしに、白狐白羽の矢をくはへ来て秀郷にあたふ。此矢をもって東夷をしつめしにより、社を造立せんとす。ある夜狐来ていふ、神烏のむらがる所靈地也との教にしたがひ、社地をもとむるに、櫻田の郷にひとつの森あり。これ尋たる所の靈地なりと、社を建立ありしと也。烏森とは神烏のむらかりたる所によって號たるなるへし。
などと舊記にあるが、それは素より傳説である。(「芝區誌」より)』

m77-14-16 F1284参拝者が次々とやってきて、行列状態になっています。木瓜爺ここからもう一度頭をさげて、次の椙森神社に向かうことにします。

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