2016/04/20: 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-16-1 秋葉原・柳森神社〔1.おたぬきさん〕 (No.2661)

秋葉原という町は、町の性格自体が、大変化をした町です。木瓜爺が電気工学科の大学生の頃は、回路部品を購入するためにしばしばやってきました。社会人になってからは、家電やオーディオの新製品を見るために、通りに立ち並ぶ大型店舗を覗いて歩いたものです。電気の量販店が各地に出来たころから、こういう電気街の様相はどんどん消えて、そのうちパソコンショップが並び、さらに「メイド喫茶」というような、爺様にはよく分からない時代がはいり、今は、中国人観光客を中心とする外国人旅行者のための免税店が建ち並ぶ場所になったようです。

「メトロ日比谷線」は、JR秋葉原駅の東側、「昭和通り」の地下を通っています。そm77-16-01 F1329れは分かっているのですが、地下から出てくると、それがどこで、どちらの方向に向いて出て来たのかよく分からなくなる木瓜爺です。慎重に地図を睨んで、5番口という所から地上にでれば、「柳森神社」に最も近いらしいと、見当をつけました。 5番口を出て、右へ、橋を渡る・・この橋ですね。「和泉橋」です。海が近いので、水鳥も多摩川とは違っています。身体が白っぽくて、頭が黒い・・「ユリカモメ」のようですm77-16-02 F1330ね。 小さくて見えない? ちょっと引っ張りましょう。m77-16-02-2 F1332

 

 

「ユリカモメ」も夏姿では頭部が黒くなるらしいです。本来は、冬にやってくる渡り鳥らしいのですが・・いつでもいるような気がします。モノレール「ゆりかもめ」があるからでしょうか?

「和泉橋」を渡り切って、次の交差点で右折します。つまり、川沿いに西に進みます。m77-16-03 F1337

 

東北・上越新幹線の高架線路の少し手前に神社がある筈です。ここのようです。厳重に柵が巡らされています。あ、後ろを新幹線が通っています。

m77-16-04 F1338柳森神社

 

m77-16-06 F1340m77-16-05 F1339

 

 

 

 

 

神社は道路よりちょっと低い地面にありました。境内社が沢山あって、こんがらかりまm77-16-07 F1341すので、少しずつ説明しましょうか・・まず鳥居をくぐって入ります。右の方に色々ありますが、メインは左方です。是が又よく分からない。m77-16-08 F1342柳森神社

一番左にあるのは、神殿ではないようです。赤い鳥居がありますから、あそこが稲荷社なのだろうと思ったのですが・・・鳥居の両脇にへんなもの?がいます。

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m77-16-10 F1351左の方は「狸」であることは分かりますが、右の「猪八戒」みたいなのはなんでしょうねえ? 鳥居の額を見ると「福寿神」と、なっています。さあて分からない。順番に解きほぐします。まず、狸象から・・m77-16-11 F1353

 

 

意味はともかく、これは狸像です。「猪八戒」みたいなのは・・m77-16-12 F1354

 

これも、「狸」なのですね、八畳敷きといわれるものを、前に抱えています。どうも「柳森稲荷」とは関係なさそうです。「千代田区観光協会」にヘルプを求めます。

『柳森神社:長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城の鬼門除として現在の佐久間町一帯に植樹した柳の森に鎮守として祭られたのがはじまりとされ、万治2年(1659)に神田川堀割の際に現在地に移りました。柳の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。境内の13個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています。』・・・何だ、「福寿社」というのは、「おたぬきさん」という民間信仰の社なのです。この「福m77-16-19 F1370福寿神寿社の鳥居は、境内社の鳥居だったのです。それでは、真っ先にそれを片づけましょう。鳥居の正面にある小社です。説明板もありますね。『江戸開府以来、年と共に諸制度も完備して、漸く泰平の世を迎えた五代将軍綱吉公の時代、将軍のご生母桂昌院様によって江戸城内に福寿いなりと称して創建された。桂昌院様は、京都堀川の生まれ、八百屋の娘が春日の局に見込まれて、三代将軍家光公の側室となり、五代将軍綱吉公の生母となる。 大奥のお女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝したという。後世、元蔵前甚内橋際、向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、明治二年現在の柳森神社に合祀されました。開運、諸願成就の福禄神として、殊に近年は他を抜いて受験、勝運、出世運、金運向上などにご利益があると信奉されております。なお、当社において頒与する、”おたぬきさん”と呼ばれる土製の親子狸のお守りは、素朴で、たいへん愛されております。』

m77-16-18 F1368この福寿社の参道と、本来の柳森稲荷社の参道は直交しています。「左向け左」で、「柳森神社社殿」なのですが・・・

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こちらには、使い狐が置かれています。

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観光協会の説明にありましたが、最初は「佐久間町」という場所にあったようです。佐久間町というのは、先ほど見た川の対岸になります。つまり、川の北にあったのが、南に移った・・というか、この掘り割りを作るために、南に動かしたと考えれば良さそうです。

「柳森稲荷」の由来は、神社の左にあった建物の側面に、大きな掲示版がありました。しかし、高い所にあって、読みにくくて・・調べると、「猫のあしあと」さんが収録して下さっていました。おかげで、だいぶ楽になります。

m77-16-30 F1388『今を去る五百余年の昔この東京が武蔵野の原と称し足利時代の頃長禄2年(1457)太田道灌公江戸築城の時その東北方即ち此所に城郭鎮護鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請して御祀り申し上げ神田川土堤一帯に柳の木を多数植え繁茂したるに依り柳原の名と共に柳森神社の起源となった其の後江戸城を中心に年を追って江戸八百八町は繁栄しこの柳森神社も商売繁盛の神として非常に賑わいを極めたのである。元禄と文政の頃には徳川家より社殿造営の寄進があり其の造営物は大正12年9月の関東大震災にて惜しくも烏有に帰した。尚其頃迄には柳町小柳町元柳町向柳町柳原河岸などと柳に因んだ町名のあったことも此の柳の森より起因したものである。
昭和30年が当神社創建500年祭に相当するので崇敬者の発願に依って祈念事業として此の神楽殿を建立し同年5月15日楽慶大祭を執行した次第である。
例大祭は毎年5月14日15日。昭和36年5月吉日』

太田道灌が作った当時の江戸城の鬼門除けとして誕生した神社。道灌さんは、「稲荷神社」がお好きなようで、あちこちに道灌ゆかりの稲荷があります。ということで、終わりにし、その他の境内社に移ります。社殿脇で、木瓜爺またまた、変なモノを見つけてしまいちょっと悩みました。続きは明日に。

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