2016/04/21: 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-16-2 秋葉原・柳森神社〔2. 様々な境内社〕 (No.2661)

柳森神社の本殿を礼拝して、境内社の方にめを向けたのですが、本殿の前に「幸神社」m77-16-16 F1361という木札があることに気が付きました。

京都の観光案内などによく出てくる「幸神社」は「さいのかみ」と読むのですが、猿田彦大神などを祭っています。こちらの「幸神社」は、系統が違っていて、「幸稲荷」様のようです。写真の「幸神社御由緒抜粋」もう少しはっきり読めるとよいのですが、どうもこういうことが書かれているらしい。『幸神社は元、芝増上寺大門付近にあり、岸のいなり、幸稲荷等と称されていた。創建は御小松天皇の御代(1382~)、足利義満の金閣寺と同じ頃とされている。
増上寺の寺域拡張のため、岸町の住人は神田に代地を受けて移った。今の富山町の一隅に一祠を建立し、富山町東松下町五百余戸の氏神と祀った。
昭和20年、太平洋戦争が一段と激しくなった頃、堂守りの某が暮夜ひそかに柳原宮司を訪ね、袖に巻いた御神璽を示し、戦災からお守りできなくなったので、こちらで預かって欲しいとのこと。一度は断ったが、再三の頼みによりお受けした
その直後の空襲で富山町東松下町一帯は灰燼に帰してしまった。これは単なる偶然だったのでしょうか。正式には昭和22年当社に合祀されました。』

最後の方に「当社に合祀した」と書かれているので、本殿に収用されたということだと理解して帰りました。ところが、柳森神社について書かれたブログを見ていると、最も本殿に近い下の写真の祠が「幸神社」だと書かれているものが有るのです。その記事のm77-16-17 F1367中に「由来書」がそっくり記述されていましたから、信じて良さそうです。木瓜爺は写せませんでしたが、この小社には、竜の彫物(色彩つきです)が有るのだそうです。m77-16-17  竜の彫物部

なお、「猫のあしあと」さんに書かれている境内社は「金比羅宮、秋葉大神、明徳稲荷、福寿神」の4社です。このDBは、文書上の記述を確り集めて下さっていますが、時として「実態」とは違う状態になっています。ここもそういう状態が発生しているようです。お知らせしても反応なし、メンテナンスされないようなので、ここに書くだけにとどめます。

「幸稲荷」の横に、「福寿神」があって、次が「金比羅宮」です。

m77-16-20 F1372金比羅社

m77-16-21 F1373金比羅

m77-16-22 F1376明徳稲荷 「金比羅宮」の隣が「明徳稲荷」・・「明徳稲荷」は「日本橋茅場町」にありますね。

m77-16-23 F1377秋葉大神最後は、「秋葉大社」。これで終わりの筈でしたが、もう一つ見つけました。

m77-16-24 F1378辨天

これが、「辨天様」のようです。「江島大明神」などと書かれていますね。ここに「竜」が置かれて居るでしょう。ひょっとすると、「幸稲荷」は「辨天様」のお宮を譲って貰ったのかも知れません。

m77-16-25 F1343

m77-16-26 F1345境内に入ったところに、「冨士講」の石碑がありました。「北口 神田講」のは、彫りが良いのか、くっきり読めます。

m77-16-28 F1384

こちらは、「力石群」です。

m77-16-27 F1383

m77-16-37 F1386境内の端っこに、小公園があるのですが、そこは猫のたまり場らしいです。この日は一匹だけいました。警戒心むき出しの顔していますね。

さて、帰ろう・・・明日は、ほんのちょっとですが、ここから秋葉原駅まで歩きます。本当は今日書いてしまうつもりでしたが、眠くなってしまいました。

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