2016/05/12: 五日市散歩;木瓜爺撮歩46-16 徳圓山 福壽院 (No.2682)

連続投稿2000日達成! たいした事では有りませんが、病気にもならず、よくがんばった・・・身体の方を褒めてやりましょう。同時に、ちゃんと食べさせてくれた家内に感謝・・よく叱られるのです。ブログを書いていて、お腹が空いたら食卓につくと、料理が自然に出てくると思っているんでしょう! って。

m46-16-01 F1772ヤマザクラ?「深澤家屋敷跡」を出発した木瓜爺・・歩いているのは4/22。まだ、桜が残っているようだなあ・・あれ?これは湧き水かな?m46-16-02 F1773

などと、キョロキョロしながら歩いています。来るときとおなじ道なのですが、歩く方向が逆になると、目に入ってくる景色が違いまして、いろいろ見つけることもあります。m46-16-03 F1777「穴澤天神社」を通過します。横にこんな看板が出ていました。亀の形になっているようです。m46-16-04 F1779

 

暫く進むと、この花が目に付きました。

m46-16-05 F1782

m46-16-06 F1785「ウワミズザクラ」でしょうね。「上溝桜」と書きます。桜とおなじバラ科の木です。

m46-16-07 F1790分岐点にやってきました。来た道とは、ここでお別れで、ここから左に下ります。下り終わって、次の分岐が「山下自治会館」。ここで左に入り、三内川をわたり、向こう側の尾根筋を目指します。m46-16-08 F1793m46-16-09 F1794橋の名前は「下河原橋」でした。

m46-16-10 F1795しばらくは、川とほぼ平行な道をたどり、表具屋さんの所で右に上がって行きます。

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目印の「表具屋」の看板が電柱に取り付けられていました。下をみると、なかなか良い景色です。

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m46-16-13 F1800暫く歩くと、石仏が行列して迎えてくれました。多分この道を入った所に、「福壽院」があるのでしょう。

m46-16-14 F1803福壽院突き当たりの一段高い所に見えました。臨済宗建長寺派のお寺で、現在は「無住」。「新編武蔵風土記稿」に載っています。『福壽院 除地一段四畝二十三歩 境内千四百坪 村の西の方にあり 禅宗臨済派 小和田村広徳寺末山なり 徳圓山と号す 開山明天察和尚 寂年を伝えず 本尊聖観音 木の立像 長一尺余 客殿七間半に五間 南向』当時は境内に「八幡社」があったようです。

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少々殺風景な事になっています。あきる野市の寺院紹介によりますと、『福寿院(ふくじゅいん) 三内601  臨済宗建長寺派 創立は文安年中(1444~49)と伝えられる。開山は広徳寺3世天叔和尚の法嗣明天察禅師で、開基は明善庵主である。山号を徳円山といい、本尊は聖観世音菩薩である。』 と、書かれています。

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横に、地域の自治会館が出来て居ました。

めぼしいものはないかと、見回しましたが、特に見当たらないので、次の「諏訪神社」を探すことにします。

遠くに、それらしいものが見えました。

m46-17-01 F1807諏訪神社

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