2016/05/14: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-40 弘法山観世音 (No.2684)

10日ぶりに、越生にやってきました。今回は「弘法山」から歩きはじめて、「五大尊m88-40-01 F0758弘法下つつじ圓」まで歩こうと思っています。「越生駅」から「弘法山下」までは、「ときがわバスセンター行き」に乗車しました。今まで知らなかったのですが、観音霊場の「慈光寺」に行くのに、「明覚」経由でバスセンターに行くのではなく、「越生」経由でバスセンターに行くのですね。そういう団体さんに席を占領されてしまう所でした。・・先日歩いた「越生高校北」の交差点から左に曲がって、「弘法山下」に下車した所から始めます。バス停のちょっと先が、30号線との交差点です。越生梅林への大きな看板のバックにあるのが「弘法山」です。「新編武蔵風土記稿」では「高房山」と書いています。

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交差点の所に、お蕎麦屋さんが有りますが、「弘法山観世音」に行くのは、あの後ろの道なのです、どこから裏に回れるのか・・・ちょっと左に入口がありました。そこを入ります。下の写真が入った結果です。邪魔物がなくなって、真っ直ぐ進めば良さそうですね。この日も、午後になると天気が崩れるという予報でしたから、2時頃には、越生駅まで戻っていたいと考えています。

m88-40-04 F0763弘法山

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道標がありました。「弘法山観世音」まで、0.2km・・200mでつくらしい。m88-40-06 F0765あの、坂道を上がるのですね。弘法山自体は標高200m程の山です。標高差でいえば、100m程でしょm88-40-07 F0772う。こういう坂道、たいしたことないととばしがちなのですが、歩きはじめですから、ウォーミングアップのつもりで、ゆっくり行きましょう。道の右手は、杉林。ここも整備計画が出来たようです。

潤滑油がほどよく溶け出す(?)頃に、観音下とでも云えそうな広場に到着しました。

m88-40-08 F0774弘法山観世音

右に、観音様に行く石段があります。右端に見える道標に「諏訪神社」と書かれています。この神社は、山頂にあると聞いています。観音様にお参りした後、一度ここまで下ってこないといけないのかなあ? 石段下には?あれ?観音様ではなくて「弁財天」と書かれているぞ? 何だか怪しいなあ? 落ち着こう。

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幸いに、広場の隅にトイレもあるようです。まず、小休止します。

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「説明板」の横には、「弘法山観世音」の名前が書かれています。

まず、「越生町教育委員会」の説明を読みましょうか。『弘法山と子育て観世音  弘法山は山頂に諏訪神社、中腹に観音堂、山麓に見正寺があり、全山に信仰対象が置かれている。古くは「高房山」と記されており、当地の小字名も高房(たかふさ)である。観音堂の本尊の観音菩薩が弘法大師の作と伝えられていることなどから「弘法山」と表記されるようになったものと考えられる。山頂からの優れた眺望については、江戸幕府が編纂した地誌「新編武蔵風土記稿」に「高房山麓」の絵入りで掲載されている。』山頂部に関しては、ちょっと中略し、諏訪神社の所で再度記述します。

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最後の部分に、木瓜爺ブログの参考になる事が書かれていました。『現在、浅間神社は、山麓から遷座した諏訪神社に合祀されている。妙見寺は廃寺となったが、残された観音堂は安産子育ての観音様として参拝者が絶えない。乳房をかたどったぬいぐるみを奉納する習俗は、民俗学的にも注目されている。 平成二十五年三月』 つまり、元々は「妙見寺」というお寺だったが、廃寺になって「観音堂」だけが残ったというのです。「高房山 妙見寺」というのが、「新編武蔵風土記稿」にあるのかなあ?

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廃寺になった妙見寺のお堂に住み着いた(?)のが「弁財天」と云うことでしょうか?ともかく、石段を上がります。

m88-40-14 F0786右手に「寄進札」が一杯懸かっていますね。大勢の信者に支えられているのでしょう。

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このお堂は、「如意輪観音」が祭られているようですね。「新編武蔵風土記稿」を探してみます。ここは、「成瀬村」になっています。西隣りに「小杉村」というのがあります。その小杉村に「天神」様があったようですが、その別當をしていたのが「妙見寺」だそうです。天神の方の棟札に記録されているとのことです。では、山頂に移った「諏訪神社」の別當はというと、これが山麓に残るという「見正寺」なのです。m88-40-16 F0788

『妙見寺 新義真言宗上野村醫王寺末 高房山と号す 小杉村天神社応永十二年の棟札の銘に当社別當高房山禅海開闢以来威光増益云々と見えたり 高房山は當寺のことならんには旧き寺にて その頃は天神の別當なりしことしらる 本尊地蔵を安す 客殿の傍に鐘楼あり 明和元年鋳造の鐘をかけおけり』『観音堂 如意輪観音の坐像 長二尺なるを安す 弘法大師の彫刻なりと云』

木瓜爺は本尊が何になっているのか、ちょっと確かめたかったのですが、本堂部分、隙間は作って有りましたが、中が暗くてよく見えません。

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お堂の向かい側には、縁日には「茶店」が開かれそうな建物があります。

お堂の左側に、石造りの観音像と観音堂が並んでいました。石の観音様は、「延命観世音」となっています。

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観音堂のほうはどうなっているのか?立っている幟は「馬頭観世音菩薩」なのです。

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仏像が二体ありますが、いずれも立像です。向かって右の小さいのは、馬頭には見えません、「聖観音」のようです。大きい方は、身体障害佛です。左手首がありません。右手も見えませんねえ?頭が螺髪に見えますね。・・これはお釈迦様なのかなあ? 馬頭観世音の大きな像なら、三面になりそうなものですが・・・レンズの位置が限定されてしまうので、よく分かりません。うーん、やはり、廃寺になって、素人管理になっているのかなあ? 筋が通っていません。残念ですね。御朱印旅のブログを見ると、「弘法山観音」「弘法山弁財天」の御朱印は庫裡で頂いたと書かれていますから、札所的には機能してるようです。

お堂や手洗い場を掃除してくださっていたのは、堂守さんでしょうか? 住職さんでしょうか? 廃寺ということで考えると、「堂守」さんが妥当な表現なのでしょうね・・いろいろ、お話を伺えばよかったのですが、聴力障害に悩む木瓜爺、あたりが静かですから聞こえるとは思うのですが、音がもがもがとして意味が分からなくなってしまうことが多く、何度も聞き返すことになりそうです。手間を取らせては申し訳ないので、諏訪神社に行く道だけお尋ねしました。

指さす方向を眺めると・・・もう、鳥居が見えて居ました。

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「弘法山観世音」についての、越生町の説明を探して置きましょう、と思ったのですが、これが見つかりません。観光協会の資料はないのか? これにも出て来ません。「弁財天」は越生七福神のコースに入っているのだろう? ネット上を探し回る木瓜爺です。公益法人「日本観光振興協会」という所の記事がありましたが、著作権云々・・中身は木瓜爺は写して来た看板の文面以上にはなっていません。あほらしい・・

別のサイトで、弘法山観世音・弁財天の住所:埼玉県入間郡越生町大字成瀬287

総合的な推定ですが、本堂部分の信仰対象は、「如意輪観世音」「弁財天」となっているようです。木瓜爺が知りたかった「新編武蔵風土記稿」時代の本尊「地蔵菩薩」は消息不明です。境内に、石造りの「延命聖観音」と「馬頭観音の旗を立てた観音堂」があるという部分は実踏で確認 ということで、終わりにします。明日は、山頂の「諏訪神社」に向かいます。

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