2016/05/15:越生散歩;木瓜爺撮歩88-41 弘法山頂の諏訪神社 (No.2685)

諏訪神社の鳥居前にいます。「村社」の石碑が建っています。

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ここから、長い階段上りが始まるようです。「新編武蔵風土記稿」の時代には、山麓のm88-41-03 F0806「見正寺」近くにあったようで、次のように書かれています。『諏訪社 慶安二年 社領五石の御朱印を賜ふ 神体は長一尺許の丸き石なり 村の鎮守とせり』

最初はきちんとした石段ですが、其の先は山道ふうに成って行きます。

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全部で300段位でしょうか・・山道と違って、とくに歩きにくいという場所はありません。m88-41-05 F0810

 

「諏訪神社」という石碑があれば、そこが最後の上りです。

山頂は平らな場所です。おっと、狛犬君がいるのですが、写っていませんね。別に写しましょう。小形の狛犬です。最後に木瓜爺とツーショットで写しますので、大きさを理解して下さい。

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社殿に進みます。

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社殿は、拝殿のようなので、ちょっと横から観察。やはり覆殿が後部につながっていました。

m88-41-11 F0823諏訪神社

 

 

 

 

そこに納められた神殿が右の写真です。

合祀されたという「浅間社」もこの中に納められているようです。

「新編武蔵風土記稿」では石の神体になっていましたが、現在はどうののでしょうね。特別なことがなければ、そのままお祀りしてあると思います。

末社が四社有りましたが、そこは「御札」が祀られていました。

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向かって左から「稲荷社」「熊野社」「神明社」そして小社の「稲荷社」です。このうちの「神明社」は、「諏訪神社」と同じく「見正寺持」だったようですが、『神体は鼠色にて石剣の如きものなり 長一尺許』と記録されていますので、多分其の名残でしょう。「熊野社」のほうは村持 となっています。

それでは、「新編武蔵風土記稿」に記されている「眺望」の点検?です。ここは浅間社の小祠があったのです。『・・頂には浅間の小祠を建 祠邊より眺望 最も打開けたり 先東の方は筑波の山を始めとして 比企 足立 江戸を打越て遠く房総の山々を見渡し 南は八王子の邊まてのあたりに見え 西は秩父カ嶽 及 比企郡笠山 乳首山なと連なり 北は三国峠より信州越州の高山見えたり』 凄いですね。

木瓜爺カシミールを使って調べて見見ますと、房総では「鹿野山」、そして「筑波山」「男体山」「日光白根山」「谷川岳」が見えます。信州の山は、近くの「堂平山」などの影に入りそうです。現在は、木立が増えてしまっているので、あまり見えません。何枚か並べます。

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m88-41-16 F0829この方向しか見えませんねえ・・・

狛犬君と遊んでいる木瓜爺です。この程度の大きさなのです。暫く休憩してから、山を下ります。次は「能満山 見正寺」に寄ります。廃寺になったと書いてあるけれど、建物は残っていると、堂守さんが、云っておられました。

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