2016/05/16: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-42 能満山見正寺 (No.2686)

m88-42-00 F0836諏訪神社から、山を下っています。鳥居をくぐって右は観音堂ですから、左に行きます。つまり観音堂下の広場で見た標識の所に下って行く道です。

m88-42-01 F0842

 

新緑の林を眺めながら、山を下りきり、山裾を右に進みます。寺の屋根らしいものを探しながら、歩いて行きました。

m88-42-02 F0849見正寺

広場があって、その奥の方に赤い屋根のお堂らしいものが見えました。多分あそこが「見正寺跡」でしょう。広場には入らず、そのまま道を進むと、右に入る道がありました。山門も残っています。この広場が、諏訪神社があった場所なのかもしれませんねえ・・・
m88-42-03 F0850

 

m88-42-04 F0852山門はごく普通の四脚門のようです。側面にある3本の柱の真ん中が「本柱」で、両側が「控柱」というのだそうです。「控柱」が四本あるので「四脚門」と呼ぶ、というのが素人にはよく分かりませんねえ? どうして「六脚門」でないのだろう?

「新編武蔵風土記稿」では、『見正寺 新義真言宗上野村醫王寺の末なり 能満山と号す 本尊正観音を安置せり』と、書かれています。こちらも、観音様がご本尊でした。その他に『虚空蔵堂 虚空蔵は坐像にて長二尺 仏師春日の作』と書かれています。「虚空蔵菩薩のお堂」は残っていまいようです。仏師「春日」というのは、鎌倉時代の腕の良い仏工なのですが、正確なことは分かっていません。「宮廷絵師」に、春日という姓を用いた人がいます。藤原基光(春日基光)という方で、その系統の仏師がいたという説もあるようです。「新編武蔵風土記稿」では、あちこちのお寺の仏像に「春日作と伝えられる」のフレーズが出て来ます。

m88-42-05 F0853

「六道地蔵」は健在です。これは、比較的新しい建立のようです。

m88-42-06 F0854

m88-42-07 F0856

m88-42-11 F0867本堂には小さい「見正寺」の額がかかっています。「廃寺」といっても、それほど傷んでいる感じはありません。山門の蔭に、こういう札を見つけました。

「札所」22番なのです。さて、何の札所かなあ? 木瓜爺の記憶がフル回転?

『入比坂東三十三観音』ですね。この中の「21番:妙見寺:越生町成瀬:弘法山観音」「22番:見正寺:越生町成瀬」「23番:長徳寺:越生町黒岩
廃寺、五大尊公園」という部分です。

つまり、21番から23番まで、総て廃寺になってしまったようです。でも変な感じ・・気になったので、自宅に戻ってから、越生町の宗教法人リストを調べました。すると、この「見正寺」は、ちゃんと登録されていました。『真言宗智山派 見正寺 越生成瀬330』です。教育委員会の掲示板は間違いのようです。墓地の入口に、立派な倉のようなものが建っています。寺に伝わる貴重品(仏像など)を収容してあるのかも知れません。これが「虚空蔵堂」だったりして・・・

m88-42-08 F0858

 

 

m88-42-09 F0859

境内には、若干の供養塔が残されていました。 では、次はどこに行こうか? ここは、「成瀬村」なのですが、越辺川(おっぺがわ)を渡ると「津久根村」に入ります。そこに「八幡様」や「高蔵寺」があるようなので、川を渡ることにしましょう。

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中