2016/05/22: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-47-2 五大尊つつじ公園〔2.五大尊堂〕  (No.2692)

いよいよ、五大尊堂です。眼下の眺めは、なかなか宜しい。

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この五大尊堂について、木瓜爺が興味を持ったのは、「行基」の建てた関東の寺について調べた時です。木瓜爺ブログでは、越生の法恩寺を書いた時に、挿入しています。

22- 越生散歩;木瓜爺撮歩88-30 松渓山 法恩寺 (No.2541)

法恩寺に伝わる文書などについては、『越生の散策・五大尊つつじ公園』という素晴らしいブログがありました。検索すれば見つかるとおもいます。木瓜爺が歩いた場所と重なっていますが、それぞれの場所で、いろいろな文献に出てくることを記述して紹介されています。 

m88-47-19 F1043五大尊堂

前述の木瓜爺ブログでは、「五大尊」の仏様が、行基の作ったとされる、「大日如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」「観音菩薩」が行方不明になり、後年、地中m88-47-20 F1047から堀出されたときは「明王像」に化けてしまった事を書いております。(この掘り出される部分については、「法恩寺年譜」という書き物の中に記されています。これは、面白い物語になっており、先ほど紹介した『越生の散策・五大尊つつじ公園』の中に記述されています)。

「五大尊堂」の額には、〔岩溪山 五大尊明王〕と書かれています。この「岩溪山」というのは、廃寺になった「長徳寺」の山号です。「新編武蔵風土記稿」の「長徳寺」を紹介しておきましょう。『(黒岩村)長徳寺  臨済宗今市村正法寺末 岩溪山と号す 本尊正観音 此の寺昔は五大尊の堂守なりしか丈慧と云 僧ここに住せし時より一寺となりしとなり』 そして、『五大尊堂 五大尊 中央は坐像にて長五尺 左右の四体は立像にて長各二尺二寸 行基の作なりといふ』

m88-47-23 F1050法恩寺の方の行基仏の記述は、『(前略)寺記を閲するに当寺は天平十年の頃 行基菩薩 東国遊行の日 創建する所にして 最も大伽藍の霊場なり 則 行基手つから 大日 釈迦 弥陀 薬師 観音の五軀を造りて 本尊となし 其後 宝亀 延暦 弘仁 天長 承和 仁壽 貞觀 元慶 仁和 寛平等 数多度の修造あり 保元平治の頃に至て 兵乱の為に僧侶寺を捨て山林に隠れ 堂塔仏閣の名のみ残りて廃地となり 土人其称を寺山と呼へり 其後 文治年中 當所の令たりし 倉田孫四郎基行と云者出家して瑞光坊と号し 其妻を妙泉尼と称せしか 当寺再興のことを右大臣頼朝へ願いしかは順て 越生次郎家行に仰せて堂塔以下 旧の如く造営ありしと 時に 建久元年のことなり(後略)』なのです。

現在の「五大尊」は「明王」です。中央に「不動明王」、東に「降三世明王」、西に、「大威徳明王」、南に「軍舎利明王」、北に「金剛夜叉明王」が配置されているとのこと。ただ、旧い仏像は、埼玉県の有形文化財指定になっており(埼玉博物館保存)このお堂には、新しい五大尊が安置されているそうです。そのことが彫られた石碑がありました。

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 堂内には、獅子も置かれています。堂前で、お賽銭を入れて手を合わせますと、お堂の中におられた方が、ゴーンと大きな鉦を打ち鳴らして下さいます。これは良い気分・・お参りして入る実感が味わえました。祭の日の余録ですねえ・・そのかわり、澄ました顔でシャッターを押すわけにもゆかず。痛し痒し・・・

 お参りをすませましたので、m88-47-22 F1051いよいよ「つつじ」の鑑賞を始めます。このつつじは、『享保年間(1716~36)の植栽』といいますから、樹齢300年の古木もあるのでしょう。公園の大きさは3ヘクタールといいますから、関東一の大きさというのもうなずけます。

 つつじ園に並んでいた霊場を作ったのは、天明元年(1781)越生の黒岩村生まれ江戸日本橋の商人「鈴木金兵衛」。いまでいう「古紙回収業」、「古帳庵」という俳号だそうです。此の人が発起人になり、境内に「四国八十八ヶ所霊場」「西国・板東・秩父 百観音霊場」を作り始めました。そのときは、完成に至らず、104基できたようです。平成になってから、越生町が全国市町村振興協会の助成を受けて、残りの84基を作り完成させました。

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この辺は「秩父観音霊場」です。一番手前が三十一番です。

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 かなり高い場所まで続いています。そろそろ、帰宅したい時間が迫ってきて、木瓜爺焦り始めました。m88-47-27 F1058

 

 

 

 

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休憩所で、一休み。

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m88-47-31 F1064同じような写真を並べても詰まらないでしょうから、帰りを急ぎます。この休憩所の所から、駅方面への近道を見つけてしまったのです。それで、時計とにらめっこして、これならうまく間に合いそうだ・・と、近道で駅に向かいました。前回、途中で「豆大福」に誘惑されて、一分遅れてしまったことを教訓に、せっせと歩きまして、無事五分前に越生駅に到着。ということで、今回の越生撮歩は終了です。

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m88-47-33 F1888まだ、沢山残っているのですが、先ほど書いた見事なブログを見てしまったもので、ちょっと歩く気が弱まっています。とはいっても、木瓜爺ブログには、既成ブログには出て来ないものが沢山含まれて居ます。前回の「摩多利神社跡の六地蔵」とか「大谷村住吉神社」、今回は「桜堂」、「恐竜地蔵」、「清水観音」こういうものを見つけられる見込みがあれば、残りも歩きたいですね。

明日からは、甲州街道の始まる「新宿」にある寺社を訪ねて見ましょう。ビルの並ぶ、都会の中にある寺社って、どんなことになっているのでしょうね。

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