2016/05/27:新宿の寺社;木瓜爺撮歩102-04 十劫山 無量寿院 成覚寺 (No.2697)

m102-03-13 F2139道路にあった地図の一部から始めます。靖国通り、正受院と成覺寺の真ん中にいる木瓜爺です。「都営新宿線(地下鉄)」が、地下を通っています。この靖国通りを左に行きますと、「新宿五丁目東」という交差点にでます。そのまま靖国通りを真っ直ぐ行きますと、左に「伊勢丹メンズ館」右に「花園神社」という位置になるのです。話を戻しまして、「成覺寺(じょうかくじ)」のお参りします。

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こちらも、素朴な山門・門柱と扉だけです。入りますと、一段低くなるのですが、六地蔵が迎えて下さいます。

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「御府内寺社備考」によると、『増上寺末 四谷内藤宿 十劫山無量寿院成覚寺 境内拝領地八百四十一坪 当寺起立之儀者文禄三年 開山浄蓮社岌誉上人瑞翁直心和尚 在住三十年之後 元和九年千駄ヶ谷長善寺を起立候 正保五年閏正月二十日寂
本堂間口六間奥行六間 本尊阿弥陀如来座像長二尺春日作 前立阿弥陀如来立像長三尺安阿弥作 善導大師 円光大師  鐘楼堂九尺四方。大鐘長三尺五寸 差渡一尺八寸五分 半鐘長二尺指渡一尺二寸  十劫山額字、増上寺大僧正智堂書』

m102-04-03 F2144このお寺は「文禄三年(1594)の創建で、内藤新宿の遊女(飯盛女、子供ともいう)が死ぬと、当寺に葬られたことから、「投げ込み寺」とも呼ばれ、その数二千体を越えたといわれます。境内にはその遊女達(子供)を弔った子供合埋碑や、玉川上水で入水(自殺)した人たちを弔う旭地蔵、浮世絵師・狂歌師・戯作者の恋川春町墓などがあります。」なのだそうです。本堂は、あまり面白みのない近代建築ですが、境内に所狭しと墓や供養碑が並んでいます。

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m102-04-07 F2154「子供合埋碑」というのが、先ほど書かれていた「飯盛女達の共同墓」の「目印」です。人の目に余り触れない奥の方にあったものが、区画整理で前の方に出て来たようです。

品川宿にも「飯盛女」達の共同墓がありましたね。品川は「東海道」の最初の宿場、内藤新宿は「甲州街道」の最初の宿場。「中山道」ですと「板橋」ですね。板橋にも同じようなお寺があるのでしょうね。m102-04-08 F2156

 

 

 

吉原遊郭の遊女達の「投込み寺」は、三ノ輪という所にある「浄閑寺」です。「浄閑寺」も浄土宗のお寺だったと思います。品川の場合は、複数あるようでしたが、観光案内などに記述される「投込み寺」は「海蔵寺」。ここは「時宗」でしたが、いずれも、「なむあみだぶつ」の宗派です。やっぱり、「阿弥陀如来」は底辺を救ってくださるようですね。

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「旭地蔵」は直ぐ分かりましたが、「春町の墓」は文字がよめなくて・・多分この石碑でしょう。

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一通り拝んで、靖国通りに戻ります。

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「新宿五丁目東」の交差点まで来ました。道標を見ると「明治通り」との交点ですね。ちょっとおかしいかな? まあいいや、ここで、ちょっと別の日のミニ散歩を挿入したいのです。明日は「雷電稲荷」、明後日が「天龍寺」、そして、ここに戻って来て「花園神社」と続けます。

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