2016/05/29:新宿の寺社;木瓜爺撮歩102-06 護本山天龍寺 (No.2699)

m102-06-01 F0667墓地が見えたので、場所的には間違いはないけれど、入口はどこだ? と、一回りしてしまいます。

ようよう天龍寺の山門のところに出て来ました。山門は通れませんが、左の方から中に入れます。この「護本山天龍寺」、『前身は遠江国の「法泉寺」という寺で、法泉寺は徳川家康の側室である西郷局(於愛の方)の父、戸塚忠春(戸田忠春とも伝わる)の菩提寺であった。西郷局が江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠を産んだことから、家康の江戸入府に際し、法泉寺は遠江国から現在の牛込付近に移され、同時に名を天龍寺と改めたが、これは法泉寺の近くを流れていた天竜川に由来する。』と云われています。m102-06-02 F0668天龍寺

 

m102-06-03 F0669 開山は、小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚。開基は、戸塚忠春とその娘の西郷局。牛込にあった時には、江戸城表鬼門を鎮護する上野寛永寺に対し、裏鬼門を護る寺とされていたといいますが、天和三年(1683)牛込の火事で類焼、当地へ移転しました。

此の寺は、「時の鐘」で、有名なのですが、面白いのは、鳴らす時刻が、他の「時の鐘」と違って居たのだそうです。『当寺を菩提寺としていた牧野備後神成貞の寄進により鐘が寄進され、内藤新宿に時刻を告げる「時の鐘」として明治維新まで利用されました。当寺のある新宿は江戸城から遠く登城に時間がかかるため、江戸には八ヶ所ある時の鐘のうち当寺の時の鐘のみ、朝四半刻(30分)早く鐘をうっていたといい、新宿で遊興していた人々を追出す鐘とともなっていたため、「追出しの鐘」として頗る評判が悪かったともいいます。』なのだそうです。

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m102-06-05 F0673こちらが本堂です。宗派のことを書き忘れていました。『護本山天龍寺 住所:新宿区新宿4-3-19 宗派:曹洞宗 東京三十三観音霊場17番』本尊は、「千手観音」のようです。観音霊場としての情報で見つけました。なお、東京三十三観音の第一番は、先日歩いた品川の「補陀落山 海晏寺」でした。

本堂の扉に、大きな葵の紋がついています。葵紋も色々あるのですが、これは「徳川本家」の紋ですね。いわゆる「三つ葉葵」。ただ、この形は、徳川の後期に使用された紋です。牛込から引っ越した時に変わったのか、戦災後の復活で変化したのか? 前期ですと、軸の部分が長くついています。m102-06-06 F0675

こちらが、鐘楼です。m102-06-07 F0678

もう一つ、珍しいものが有るそうですが、現品は見られませんでした。それが、「やぐら時計」という物です。103cmの櫓の上に24.5cmの時計が乗っているようです。

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観音様がおられますね。「子安観音」のようでしたが、「聖観音」でした。

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そして六地蔵ですが、右端にもう一体追加されています。そして、供養塔が並びます。

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右側は、庚申塔でしょうか?

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なかなか良い物のようです。おっと、待ち合わせまでの、時間がなくなりました。名残惜しいのですが、出発します。

ブログ上は、伊勢丹前に戻ります。明日は、花園神社です。

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