2016/05/30: 新宿の寺社;木瓜爺撮歩102-07 花園神社 (No.2700)

Choi-Boke 爺ちゃんのブログからの通算であるシリアルナンバーが2700 になりました。現在の木瓜爺ブログとしては、1004かな?

新宿で、最も著名な神社が「花園神社」ですが、木瓜爺が新宿をうろうろついた(?)時代には、まだ「花園稲荷」と呼ばれることが多かったように思います。歓楽街のはずれ見たいな場所で、なんとなく怖い場所でも有りました。

入口は三方向にあります。「明治通り」に面した、東側のいわば「表門」から紹介しましょう。ここの門柱には、「花園稲荷神社」の文字が残っています。ここからですと、社殿は、真正面になります。m102-07-01 F2181

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段、参拝者が一番多いのは、伊勢丹の脇を抜けて行った先にみえる下の写真の鳥居です。

m102-07-02 F2215正面から見ると、鳥居が見えるので分かりやすいのですが、横の方から行くと、入口が凹んでいるので、どこだっけ? と、迷うことがあります。ここは、神社としては「正門」らしい・・もう一つの入口は、「ゴールデン街」を出た(?)所です。裏門の感じです。

m102-07-03 F2210ゴールデン街側

m102-07-05 F2209向かい側にある「ゴールデン街」の看板を見せておきましょう。うらぶれた飲食街になっています。かっては、水商売の人々が、この入口からお参りして賑わっていた入口です。

後で書きますが、大昔の「花園稲荷」はもっと南、伊勢丹のあたりにあったようです。では、表門から入り直しましょう。

m102-07-04 F2183花園神社鳥居の外に、大きな狛犬が一対あります。

m102-07-06 F2185

m102-07-07 F2186

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐると、右の方に、テントが張られています。これは 「花園神社野外劇場」m102-07-08 F2188などと呼ばれる場所です。酉の市の頃には、昔ながらの奇怪な見世物がでます(見物に行った方のブログなどは、インターネットで検索できます)。普段は、小劇団の公演・・アングラ劇場?・・が行われています。今は「唐組」の公演準備中のようです。この劇団は、ここを拠点にした活動を行っているようでした。

社殿に近づくと、右手に別の「お稲荷さん」がありました。m102-07-09 F2190

「威徳稲荷」だそうです。「花園神社」は立派なHPがあります。其の記載に寄れば、『威徳稲荷神社:戦災で資料が焼失したため詳細は不明ですが、昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、女性の参拝者に人気の高い神社です。奉納された赤い鳥居が並び、異界へのトンネルに足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれます。』ということです。寄り忘れたのですが、野外劇場の裏の方に「芸能浅間神社:御祭神は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)。江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名です。宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子の歌碑も、このお社の隣に建っています。」が、あると書かれていました。

m102-07-10 F2192

m102-07-11 F2193社殿の正面にきました。この位置で、伊勢丹側からの参道と合流しています。真ん中の立て札、気になりますか?

右手に神楽殿があります。丁度、伊勢丹方面からの参道の正面になっています。そちらから入り直しますが、神社としての正しい参道は、この伊勢丹側からの道だと分かりました。m102-07-12 F2167

 

 

というのは、「由来書」「歴史的価値のある狛犬」「定書」などが、この参道にあるのです。m102-07-13 F2168

厳重に金網が張られた狛犬です。頭に角があります。新宿区指定文化財になったものかどうかは分かりませんが、多分、その形を伝える物のように思います。文化財説明として、『文政4年(1821)に造立された雄雌一対の銅製の唐獅子像である。内藤新宿の氏子たちにより寄進されたもので、台座の銅板には発願者等の名が刻まれている。像高75cm、台座は高さ137cm、幅119cmで、江戸末期の鋳工として名高い初代村田整珉の作である。花園神社は慶安元年(1648)尾張公の別邸内に創建された。別邸内に花園があったところから花園神社と呼ばれ、内藤新宿の鎮守として信仰された。』という教育委員会の解説を見たことがあります。

m102-07-14 F2169

m102-07-15 F2178

m102-07-16 F2179

 

 

 

 

 

鳥居の右には宝物殿、正面に神楽殿という景色を通過して、先ほどの社殿正面に至ります。社殿にお参りします。

m102-07-17 F2196神額の三社で、祭神を推定しますと『倉稲魂命、日本武尊(旧大鳥神社)、受持神(旧雷電神社・・つまり、これも稲荷でした)』ということになるようです。

「花園神社」の由来は、前述の「花園神社HP」に詳しく書かれていますので、それをご覧いただければと考えます。ただし、HPには、祭神が書かれていません。なんとも不思議です。「花園大神」になってしまったのかな?・・・ちょっとHPの冒頭部分を写します。『花園神社は、徳川家康の江戸開府以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていた。徳川氏が武蔵野国に入った1509年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。花園神社は寛永年代までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。』その後、「雷電神社(昨日のブログ)」や「大鳥神社」が合祀され、「花園神社」に成長していったわけです。「酉の市」というのは、ここ「大鳥神社」のお祭りです。

由来の冒頭にある「吉野山から勧請した稲荷」というのが、木瓜爺にはちょっと引っかかっています。吉野山に、そんなメインになるような稲荷神社があったかなあ? 「源九郎稲荷」というのは有りますが・・・あと、「後醍醐天皇導稲荷神社」というのがあります。これは「伏見稲荷」の系統です。

m102-07-18 F2198

m102-07-19 F2200社殿を横から見ると、何層にも神殿がつながっていることが分かります。「ゴールデン街」口から来ると、この位置に入って来ます。最後に、このゴールデン街口にある狛犬の写真をお見せします。一対有るのですが、写真は片方だけ・・相当痛んでいますが、ユニークな表情の狛犬です。

というところまでで、新宿の寺社は小休止・・再開はいつになりますかね?
四ッ谷の大木戸付近を歩きたいので、そのとき再開しましょう。

明日は、寺社を離れて、昭和公園5月下旬の花を見に行きます。

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