2016/06/03: 津久井散歩;木瓜爺撮歩97-37 小網諏訪神社 (No.2704)

今日は、生身の木瓜爺のほうは、羽村市の高齢者レクリェーションという運動会?会場に出かけております。例年、受付・案内・整理係で、駐輪場に立ちっぱなしになり日焼けしてしまうのですが、今年はどういうことをやらされるか? それにしても、午前9:30から午後4:30近くまで、働かすというのは、老人虐待ではなかろうか?・・という日なのです。

ブログの中の木瓜爺は、のんびり歩いて居ります。横断歩道を渡りまして、山の方にはいる脇道に行きます。

m97-37-01 F1205

ここで、地図を広げます。これは、パンフレットの地図をスキャナーで読み込んだものです。

m97-37-00 津久井013C

左上の「北根小屋」バス停の右の道を下(南)に入って来たと思ってください。突き当たりを左折し、真っ直ぐ行くと、No.04というところから、赤い道のつづら折れ登山道に入ります。若い方なら15分位で、No.18に達するのです。一見山頂に見える地図ですが、実際はそこから女坂と書かれた青い道をぐるっと回ってNo.17に行き、「太鼓曲輪」を通って375mの山頂に到達します。これが、木瓜爺の予定でした。登山口のNo.4の手前に、「小網諏訪神社」があります。今日のブログは、ここまで行きます。

地図を出したついでに、二つ説明してしまいます。一つは、「根小屋」の中心である城主の住まいのことですが、①展望広場の下に〈お屋敷〉という文字が見えます。このあたりなのです。つまり、城山の南西山麓にあったわけです。ですから本来の「根小屋村」というのは、山の南西にあったと考えられます。 もう一つは、山のほうですが、この山は双峰の山なのです。北西側のピークに「津久井城蹟」、南東側のピークに「飯縄(いづな)神社」が有ります。

「諏訪神社」も地図ではちょっと文字が切れましたが、「根小屋諏訪神社」と「小網諏訪神社」の二つがありました。今回は「小網諏訪神社」です。「根小屋諏訪神社」は、後日、「功雲寺」に行く時に回りたいと思っています。
バス停のあった「北根小屋」という名前は、実は「太井村」の「小名」なのです。新編相模国風土記稿」ではこう断っています。『・・・当村(根小屋村)の小名に本根小屋あり 太井村の小名に北根小屋有』

m97-37-02 F1209小網諏訪神社

m97-37-03 F1210予習をしている内に、「小網諏訪神社」にやってきました。この「小網」というのも「太井村 小網組」という小名の名残のようです。左の写真で、左に見えて居る道が登山道です。神社は右に入ります。m97-37-04 F1220

 

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社殿は、一段高くなっています。「新編相模国風土記稿」の「太井村」には『諏訪社 例祭七月二十三日 別當泉蔵寺』と記されています。

m97-37-06 F1215神社の所から見える西側の風景です。「小網組」という名前からの想像ですが、相模川で漁をする方々でも住んでいた集落でしょうか? 「風土記稿」によると、相模川には渡し船が一箇所有り「荒川の渡し」と呼ばれていたようで、『冬から春までの間は「土橋」を架す』と書かれています。水が増えると船、水が少ない時期は橋。土橋と書かれていますが、「荒川橋の図」という絵を見ると木造の橋になっています。これらの維持費用は、太井村と対岸の中沢村だけでなく、実に14村が出し合っています。「津久井街道」という甲州に通じる幹線街道だったようです。

m97-37-07 F1216

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「諏訪神社」にお参りし、縁側に腰を下ろして、早めの昼食にしました。そのあと、境内を一回りします。

m97-37-08 F1217鈴と鉦の両方が並んでいます。

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m97-37-10 F1221拝殿の奧に神棚があるようです。石碑を見つけたのですがよく読めません。中程に、この神社は、城山ダム建設の水没地にあったので、ここに引っ越したと書かれています。「建久四年(1193)」・・源頼朝が鎌倉幕府を開いたのが建久三年です・・・「築井太郎次郎義胤が津久井城に居住したとき、諏訪神社を勧請した」と説明されているようです。

実際は、おそらく「根小屋諏訪神社」が先に勧請され、その分霊を小網にも置いたということでしょう。

なお、築井太郎次郎義胤というのは、三浦一族です。三浦氏は、三浦半島の豪族ですが、後に、幕府の乗っ取りを企んだ執権北条氏によって滅ぼされます。津久井城の主としては、その後、後北条の家臣内藤氏が有名で、「新編相模風土記稿」では、『津久井城主内藤左近将監景定の城跡なり』と書いています。m97-37-11 F1223

 

 

 

「二十三夜塔」の横に「道祖神」が置かれて居ました。この「津久井湖」の上流に「相模湖」があるのですが、相模湖の湖底に「道祖神神社」が沈んでおり、その上の湖上に「大注連縄」が張られています。この相模川一帯は「道祖神」の勢力圏なのでしょうか・・

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ちょっと離れた所に、もう一つ建物がありました。この「小網諏訪神社」は「祭り」の情報をネット上で見かけます。お祭りが盛んということから、「御輿藏」かな・・と、覗きに行きました。やはり、御神輿が置かれています。が、神殿もありますね。本家の諏訪神社は宮が一杯有りますから、ここもいろいろ有るのかな?

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m97-37-14 F1229食休みも終了して、いよいよ登山開始・・・なのですが、また、チョイ呆けが始まります。 そうそう、境内に湧き水らしい水を引いてあるのですが、「この水は飲めません」と張り札されていました。 登山道もここでは舗装されています。これを進みます。

ひたすら直進すれば、問題なかったのでしょうが、ちょっとトイレに寄っていった方が良いかな・・地図を見ると、No.4地点、トイレのマークが有ります。・・これが、ボケの発端です。

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