2016/06/07: 津久井湖散歩;木瓜爺撮歩97-41 津久井湖記念館 (No.2708)

左折してからずっと左側の高台が気になっていました。水道局の施設だと思うのですが、なんとなく公園ぽい・・そのうちに正体が判明しました。

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「津久井湖記念館」を囲む公園でした。ここに寄るつもりはありませんでしたが、ちょっと通り抜けをさせて貰います。

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全体的な説明の看板が立っています。津久井湖・・相模川の貯水池というのは、東京ではなく、神奈川県の各都市(横浜市、川崎市、横須賀市、相模原市、鎌倉市など)の水がめです。そうそう、相模川は、山梨県では「桂川」、海にそそぐ前には「馬入川」と名前を変えます。

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川寄りの一段下がったところは公園のようですが、ステージでもあるのかな?

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もう少し下がって写せばよいのに、これではクイズ種ですね。上の文字読めますか?「くいこきねんか」・・・「津久井記念館」の本館部分です。

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色とりどりの花の向こうに、駐車場がありました。人影は見えなかったのですが、結構遊びに来ているようです。

通り抜けを終わって、この道(県道513のようです)を北に向かいます。神奈中バスの基地がありました。

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m97-41-08 F2277段々、山っぽく鳴ってきます。バス停がありました。「三本松」路線を見ると、あれ?です。このバスも「三ツ木」と「橋本北口」の間を結んで居るのだ・・まてよ? 「三井」を通っている・・あ、あれだ・・「峰の薬師」の下を通るバスです。へえーこんな所を回っていたのだ・・本数が少ないので、全く当てにしたことがない路線でした。発見はそればかりではありませんでした。次にビックリしたのが、この道標。

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「関東ふれあいの道」、高尾山の「梅の下」まで続いていて、途中に「峰の薬師」があるのです。木瓜爺にはおなじみの道ですが、末端がこんな所に来ていたとは知りませんでした。

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「小字 中沢」の説明が出て来ました。こうなると、「新編相模国風土記稿」の「中澤村」を見たくなりますね。『渋谷庄』という括りの中に、『上中澤村』『下中澤村』が有ります。ただ境目がはっきり分からないので、一村として記録するとなっています。

『江戸より十四里。北条氏割拠の頃は。内藤左近将監景定所領なり・・・』。当時の小名は「堂の前」「東沢」「入山」「大崩」。何となく分かる名前です。里見八犬伝なんて、詰まらないこと考えたなあ・・・「安西要五郎」というのは「三沢村 村長」だそうです。ご一新に浮かれて、へんな智慧をだしたのかなあ? 明治維新で、天子様への忠誠心を強化された時期なのです。

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中澤の集落に入リました。あったー・・・遠くに鳥居がみえました。

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