2016/06/17: 津久井散歩;木瓜爺撮歩97-50 興徳山 雲居寺 (No.2718)

「新編相模国風土記稿」における根小屋村の寺は、「功雲寺」、「雲居寺」と其の支院「東光庵」及び「東渓庵」、「本慶寺」「日應寺」「賢太郎坊」それに「藏師堂」二となっています。「藏師堂」というのは 「薬師堂」の間違いではないかな・・などと思う木瓜爺です。風土記稿自体は筆で書いた文書なので、私達が読めるように「活字化」する過程でのエラーが紛れ込んでいることがあります。

m97-50-01 F1691雲居寺

「雲居寺」の入口にやってきました。「臨済宗建長寺派」のお寺です。「新編相模国風土記稿」には、こう書かれています。『奧徳山と号す。 臨済宗。開山鎌溪是尊。嘉永元年に創建して文和元年九月十日化 中興鉄叟 天正十一年六月三日化す。 本尊地蔵 伽羅陀山地蔵と称す。木坐像。長一尺六寸五分。弘法大師の作なり。 慶安元年。十五石七斗余の御朱印を賜ふ。御文言は別巻に録す。是寺旧とは今の寺地より己西三町許奧にありしか。山崩れの災に罹り。ここに移すと云ふ。』まだ構築物の説明がありますが、順に挿入しましょう。この時点では「奧徳山」だと思っていました。

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惣門の横に、石造りの観音様がおられます。「知足十一面観音大士霊場」というらしいです。m97-50-05 F1697この「観音大士」という表現は、平安時代の観音信仰に使われたそうですから、初期の「津久井観音33霊場」の名残なのかも知れないと、調べましたら、やはりこちらが「第一番札所」になっていました。現在は43番まであるそうです。小網の「大蔵寺」は「第41番」にありました。m97-50-04 F1694

 

 

 

 

 

 

 

m97-50-03 F1693観音様に行く前に、社のような物がありましたが、現在は空き屋のようです。 それで、山門なのですが、四脚門でしたが、風土記稿の記述では『表門 九尺二間。 奧徳山。三大字の額を掲く。』とあります。m97-50-07 F1702

 

 

 

 

この朱い門は、額がかかっています。m97-50-08 F1704ただし、「興徳山」なのです。さて困った。「奧徳山」なのか「興徳山」なのか・・仕方が無いので、津久井霊場第一番で検索。『興徳山雲居寺(うんごうじ)。臨済宗建長寺派 。本尊は地蔵菩薩。鎌渓是尊禅師の開山。鎌倉建長寺十刹の一つで光明寺と同様、建長寺の中本寺末。当山21世 (鎌倉建長寺202世)大雲禅無和尚が、江戸中期の安永年間(1772~1780)津久井三十三所観音霊場を唱導し、霊場第一番札所 とす。堂宇は明治15年焼失、現在は新本堂の建立が成る。4月24日の施餓鬼は有名。三畳敷の貴重な涅槃絵図もある。:札所代表:小野瑞昌(ずいしょう):札所住所:津久井町根小屋2339(寺沢):連絡電話:042-784-0317 :御開帳期間外巡礼:可 』と出て来ました。

「新編相模国風土記稿」では、「奧徳山」で全部(鐘の銘も含めて)記述されていますから、明治年間の火災の後、縁起を担いで山名を変更したなどといういきさつがあるのかも知れませんねえ?

m97-50-06 F1695この門なのですが、ワイヤーで補強してあります。相当傷んでいるようです。

m97-50-09 F1705

 

 

 

 

 

 

 

門を入ると、右手には、新しい建物と旧いトタン屋根の建物が並んでいます。先ほどの霊場の説明ですと、火災にあっているそうですから、トタン屋根もその後の建設でしょう。まず、鐘楼を拝見。『鐘楼 方一間半。(以下略)』鐘銘について詳しく記録されています。この中で『相州愛甲郡毛利庄津久井縣。長竹村。奧徳山雲居禅寺。』と書かれているのです。その他、拙僧貧乏なので沢山の人に勧請して、これを造ったなどと書かれています。

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m97-50-12 F1710ただ、現在の鐘は違うようでした。もう一つスペアの鐘が出て来ますが、それも銘らしいものは見えませんでした。太平洋戦争で供出してしまったか・・・この鐘楼の飾りに使われた獅子です。目玉が良いですね。青い目をしています。人形なみに外国渡来かな?

トタン屋根の建物には「寺務所」の看板が掛かっていました。m97-50-13 F1715

 

 

江戸期には「客殿」「庫裡」「開山堂」「舎利殿」などが並んでいたようです。新築された本堂。前を工事中でした。

本堂の右側に墓地への入口があり、そちらの方にトイレの標識も見えました。m97-50-14 F1716

 

 

 

 

 

 

 

 

m97-50-15 F1720本堂前で、合掌一礼。ご本尊の所までは見えません。

風土記稿の頃は、本尊の「地蔵」以外に、「釈迦木像」「辨財天」「十六羅漢」その他、狩野派の絵なども並んでいたようです。このうちの「辨財天」は、後背に手形があって「空海」と書かれていたようです。『護摩修行の焼灰を梃て作る所の像なり』って、どういう物だったのでしょうか? 焼けぼっくいみたいなものなのか、灰を固めた物なのか? 見当がつきません。

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本堂の横に、大賀蓮の入った釜がありました。

物置的建物があって、その脇に、こんな物が見えました。m97-50-17 F1725

 

 

 

建物の中には、鐘が入っていました。m97-50-18 F1726 何だか面白いものが沢山有るお寺でしたが、少し疲れてきたので、引き上げることにします。どこに戻って、バスに乗ろうか・・・地図とにらめっこ。便が多いのは「日赤前」だろうな・・直線距離なら、600m位なのですが、山を越えて行くようでジグザグ曲がっています。二倍はありそうです。・・途中に、神社がありますね、寺もあるみたいだ・・

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