2016/06/19:津久井散歩;木瓜爺撮歩97-52 中野神社 (No.2720)

「寶壽禅寺」から、更に西に進みますと、「中野神社」の看板が見えて来ました。

m97-52-01 F1789中野神社

 

この神社、事前調査では、祭神が見慣れない名前でした。『主祭神 御穂須須美命(みほすすみのみこと)』どういう神様かというと、『中野神社の主祭神である御穂須須美命は出雲国風土記にその御名が記され出雲大社の御祭神の大国主命の御子神である。 』

m97-52-02 F1791なぜ、こんな神様なのか? 「新編相模国風土記稿」で、該当しそうな「中野村鎮守」を探してみると、『中野村 諏訪社 別當又野村實相院。宮守真蔵院。村中の鎮守なり。例祭七月廿六日。』とあります。どうやら、元は「諏訪大明神」だった神社のようです。諏訪神社は、大国主命のお子である「建御名方之命  ( たけみなかたのみこと )」ほかなので、まあ良いか・・・おそらく、神仏分離で神社を再編成したとき、どなたかが出雲風土記の中から見つけ出してすり替えたのでしょうね。  車で入る道が、手前にありましたが、正面に行きましょう。

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m97-52-04 F1793赤い鳥居に額が付いています。「正一位諏訪大明神」合っていました。この神社、明治以降、沢山の神社を合祀しています。「中野神社」のホームページから抜き書きします。

『相殿: 豊宇気比売命(とようけひめのみこと) 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)。(相殿とは同じ社殿に二柱以上の神を合祀すること)』

この相殿の神様は、「産業」に関係するようですね。「豊宇気比売命」は伊勢外宮の「豊受大神」ですし、「栲幡千千姫命」というのは、機織りに関係する神様です。それにしても、日本書紀などからこんな難しい神様を見つけてくるなんて・・凝り性の宮司さんがおられたのかなあ?m97-52-05 F1795

『中野神社の境内に祀られている神社  1.八幡神社 御祭神 誉田別尊 旧鎮座地 上森戸  2.瀧澤稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂命 旧鎮座地 南不津倉 上川和
3.八坂神社 御祭神 素盞嗚尊  (相殿) ・長田神社 御祭神 大物忌命 旧鎮座地 北不津倉(相殿) ・御嶽神社 御祭神 日本武尊 旧鎮座地 北不津倉 上奈良井 ・山王社  御祭神 大山咋命 若山咋命 旧鎮座地 上川和
4.日神社 御祭神 天照大御神
5.天神社 御祭神 菅原道真
6.厳島神社 御祭神 市杵嶋比売命(湧水の神池の中央に鎮座)  創建年代は不詳ではあるが神池の中央に鎮座しており、広島宮島の厳島神社の御祭神「市杵嶋比売命」の御分霊を勧請された。  この神は古来より七福神の弁財天と同一視されており、地域の人々から弁天様と称されている。』これは大変だ・・申し訳ないけれど、分かる物だけ写しましょう。石段を上がります。

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境内の狛犬一対。右側が逆光で真っ黒になるので、ストロボを光らせています。

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社殿は、獅子の木鼻などを備えた本格派です。欄間の彫刻なども整っています。見事!というほどの出来映えには見えませんでしたが、こう書いておられる方もいらっしゃいますので、そこそこの出来映えなのでしょう。『中野神社は承和2年(835)の創建といわれ、本殿は総浮彫、総檜造りの立派なものです。勧請は承和2年=835年といわれ、元亀2年=1571年再建と伝えられる。祭神として祀られているのは御穂須々美命(みほすすみのみこと)‥‥開拓殖産の神 豊宇気比売命(とようけひめのみこと)‥‥農業の神 栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)‥‥機業、織物の神』・・・木瓜爺は、あっちこっち見て歩いているので、少々辛くなっています。ゴメンナサイ。こういう物は、メンテナンスの技術でも、見栄えが変わってしまいますから、大変でしょうね。m97-52-09 F1808

 

社殿後部に覆殿があります。あの中に、本物の神殿が鎮座しているのでしょう。横の方に、合祀された境内社が並んでいます。

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いずれも、やや荒れた感じがします。これだけ多いと、手が届かないのかも。反対側の方もあるのですが、この石碑がちょっと気になりました。

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「昭和二十一年 妙法守護神」「昭和十年七月 妙法金神社」、一番大きいはお経のことが書かれています。いずれもお寺にあったもののようです。

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この横の末社は「八幡神社」の表示がありました。m97-52-14 F1822

 

 

 

 

 

広場を見回すと、あの建物は「神楽殿」でしょうか・・

木瓜爺は気が付かなかったのですが、この神社の向かい側のほうには「中野神社の湧水」がコンクリートのカバーをされていますが、健在なようです。「中野神社の湧水」と題したブログがありました。そこにも出てくる「厳島神社」を、木瓜爺も見つけました。

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車で入れる道と書いた参道から下におりようとしたとき、鳥居がみえました。池もあるし、「辨天様」だな・・と、下って行きます。

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池を渡るはしがあって・・赤い社殿の中には、木造の小社が置かれており、「厳島神社」と書かれていました。

m97-52-17 F1827厳島神社

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弁天池にはよく鯉などが飼われていますが、ここはひっそりとしてました。先ほど紹介した「湧水」のブログによると、昔は水量も多く、『津久井往還街道を横断しそこに橋がかかっていた。寛延2年=1749年の記録に、竪九尺、横六尺の土橋にて諸国への通路と記されているという。』と書かれています。

「新編相模国風土記稿」の「中野村」を読んでいて、こんな部分を見つけました。「川和」という小名の地域についての記述なのですが、『此所は民家相対して。軒をならぶ事八十二戸、往昔は毎月六度の市を立て、世に所謂川和縞 其外 庶物を交易して土地も賑わいしか・・・』市はなくなったけれど「川和縞」は昔に変わらず戸々に織出しているというのです。これが「栲幡千千姫命」信仰の元だったのですね。

今回の津久井散歩は、ここまでです。もう一回、又野村方面を歩いて見たいと思っています。「日赤前」から「橋本北口」行きのバスに乗りました。

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所が、このバスの経路が、「峰の薬師」の下を通って、「中澤」へ出て行ったのです。車の中で、あれ!こんな所に、寄っていない神社があった! なんて、撮歩のおさらいをしてくれました。 明日は、久しぶりに八王子散歩となりそうです。

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