2016/06/20: 八王子散歩;木瓜爺撮歩91-07-1 石川町 御嶽神社〔1〕 (No.2721)

先日、津久井を歩いた時に、八王子市宇津木町の龍光寺の末寺がありました。そういえば、この宇津木町は歩いていないなあ・・ということで、歩いたのは6/6。午前中に館町の浄泉寺に行き、その帰りに「JR八高線 小宮駅」を下車したところから始まります。 小宮駅の周辺から東のほうは日野市散歩のついでに歩いています。また、滝山街道の方もずっと歩いて来て、「左入」のちょっと西までたどりました。その食べ残し?が、左入町、平町、宇津木町、石川町なのです。今回は、時間も短かったので、全部は歩けず、石川町の「御嶽神社」「西蓮寺」「神明神社」、そして宇津木町の「龍光寺」を回ることにします。なお、地図上では「御岳神社」の文字になっています。

m91-07-00 F2870東福寺

「小宮駅」の改札を出たところから、窓越しにみています。あれは 「東福寺」の屋根でした。ブログを書いたのは、2014/11/19  No.2144 ですから、一年半前のことですね。本当に「光陰矢のごとし」です。東福寺では、十三重塔で阿弥陀様の印をいろいろ見せて頂いたのだった・・西側に階段を下り、線路沿いの道を南に向かいます。右手に見えるのは、「日吉神社」の入口です。あそこは、No.2141 で書いています。m91-07-01 F2871日吉神社入口

前を、高校生くらいの一団が歩いています。石川町にある國學院大學の学生かな?大学生にしては、身のこなしが幼い感じがしますが・・・m91-07-02 F2874

 

 

 

行く手に見えて居る高架は・・・右に曲がってから、あの道に入るのだったな・・・記憶が少々薄れていますが、歩いていると思いだしてきます。右折すm91-07-04 F2875るとご覧のように、高い所にあった道が、下りて来ます。そうそう、これを行くと、「天満宮」があるのだ・・・m91-07-05 F2878天満宮

学生達は、右折して天満宮の前の道を進んでゆきました。やはり、國學院のほうに行くようです。木瓜爺は天満宮の入口のある道には入らず広い通りを直進します。ここから、初体験の道です。m91-07-06 F2879「小宮小学校」というバス停がありました。このバスに乗ると、「日野駅」に行くようです。一時間に二便です。歩き疲れたらこれで帰ろう・・話は変わりますが、先日羽村散歩を楽しんでおられた「若いおばあちゃん」71歳と云っておられましたが、その方に阿蘇神社の近くで道を尋ねられたのですが、ラフな観光地図しか持っておられないので、「分からなく成ったら、右の方に行くと、ここに書いて有る奥多摩街道に出られますから」と云ったのです。すると、「そうですね、疲れたら奥多摩街道にでてバスに乗るつもりです。」と、おっしゃるのです。 「うーん、この区間のバスは、一日に2本しかありませんよ」・・羽村って凄いところなのです。昔は、もっと多かったのですが、自家用車全盛時代に乗客が少なくなり、バス会社が路線の権利を維持するためにだけ、福生-小作間の奥多摩街道に一日二回、空車を走らせているのです。年老いて車の運転を卒業してしまった住民は、「はむらん」という100円バスの方を使っています。これが一時間おきですが、目的地へ一直線のバスではないので、どこを通るか路線図を頭に入れていないと、ひどいことになったりします。・・・余談がながくなりました・・・

m91-07-07 F2881

あの道標の「169」というのに入って行く筈です。「田島橋」という交差点でした。m91-07-08 F2885田島橋交差点

ここで、右折しました。「中央道」の「八王子インター」のほうに進みます。しばらく歩くと「石川町会館」。もう少し先の「石川町の交番」の所から、右に入るはず・・一応地図はみています。地図上の最寄りバス停は「宮下」・・山にある神社の下という意味でしょう。 発見しました。このバス停、「石川宮下」となっています。

m91-07-09 F2887石川町会館

m91-07-10 F2892

 

道路の左手に「石川駐在所」があって、道が二つに分かれます。

m91-07-12 F2894

m91-07-13 F2896西蓮寺入口右の狭い方の道に入って行きます。すると、「西蓮寺入口」の石碑! あれれ?です。でも、其の先に神社の方も「石柱」が建っていまして、ほっとしました。「村社御嶽神社」です。

m91-07-15 F2899

 

神社へは、この道を入って行けばよいようです。そろそろ「新編武蔵風土記稿」を引っ張り出します。ここは「石川村」です。家数120軒と書かれています。日野本郷の原野と書かれていますから、文化的には「日野本郷」の領域だったのでしょう。「石川糸」という絹糸を作り、八王子の織物屋さんに供給していたようです。この「石川糸」というのが「上品」だと珍重されていると書かれています。

m91-07-16 F2901

道は山にかかりましたが、そこで左に分岐する石段がありました。最初通り過ぎてしまったのですが、どうも神社の入口らしいと戻って来て、そちらに入ります。

m91-07-17 F2903御岳神社

少し上がった所に鳥居がありました。鳥居の脇に、建物がありますが、トイレではないようです。お巡りさんでもいそうな小屋です。

m91-07-18 F2907

そこからは、真っ直ぐな石段。社殿の正面に続いています。途中、左の方に境内社があるようです。・・・今日はこの境内社の所で引っかかってしまうようです。それは後のこととして、「御嶽神社」の額が鳥居に付いています。『御嶽社 御朱印の内 社地百五十坪 当村の鎮守なり 社領七石の御朱印を賜ふ 社は山にあり 大さ三尺四方 覆屋あり 二間に二間半 南向 鎮座の年代 祥ならず』 別當は「西蓮寺」です。

ここは、祭神がすっきりしません。西蓮寺が「御嶽権現」を祀ったのだという人もいれば、「猫のあしあと」さんのように「日本武命」・・(日本武尊のつもりでしょうか?)と、書いて有るものもあります。どちらも、武蔵御嶽神社の系統と見られているようです。

「猫」さんのデーターでは、境内社は「八坂神社」、「稲荷社」、「蚕影社」となっています。この「猫」さんは、文献上のデーターをきっちり集めて書かれているので、大変有難いのですが、反面あまり実踏をされないらしく、現実とものすごく異なっていることもありますので、木瓜爺は分かる限り自分の目(実はカメラのレンズ)で確認することにしています。で、まず最初の境内社なのですが、ここで引っかかってしまったのです。

m91-07-19 F2909第六天と熊玉神社

小さな石祠と木の小社。木社のほうが「大六天社」・・神体は木の御札です。

「第六天」について、以前に調べた時、ウイキペディアが上手に解説されていた筈・・・『元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。』この神社は、関東地方に多いそうです。現在は総本社というような神社はないようですが、『千葉県香取市の山倉大神は前述の神仏分離まで大六天王(第六天魔王と同一)を祀っており(現在では近距離に所在する真言宗山倉山観福寺に遷座)、大六天王社の総社とされていた。』とのことです。 神体がわりの御札も、こういう所で発行されているのでしょうか? ん? 埼玉県の「武蔵第六天神社」というのがあるそうです。

m91-07-03問題は、もう一つの石祠です。「熊玉神社」と書いて有ります。こんな神社は知らん! 似た名前を、靑梅のどこかで見た記憶はあるのですが・・ということで、家に帰ってから調べようということにしました。それにしても「熊」の字なんだか違和感があるなあ・・

ブログを書く段階になって、そうそう「熊玉」というのを調べていなかったと、ネット検索を始めたのが運の尽き?というかなんというか・・どうも「幻想世界」に紛れ込んでしまった様なのです。熊玉神社というのは「クマノミナカヌシ」という熊の先祖を祀った神社だそうです。以下連綿とクマの神話があるのですが、これが「クマ温泉リゾート」という空想世界?のお話らしい・・インターネットの世界って恐ろしいですね・・・現実なのか、漫画の世界か、小説の中に取り込まれたのか、分からなくなってしまいました。で、無理矢理現実に戻って、「熊野速玉大社」という神社は、実際にあります。でも、「熊玉神社」というのは、ちょっと分かりません。明日は、御嶽神社と其の周りにある境内社を拝みます。

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