2016/06/24:八王子散歩;木瓜爺撮歩91-10-1 増寶山密嚴院龍光寺〔1〕 (No.2725)

「新編武蔵風土記稿」における宇津木村の戸数は52と書かれていますから、石川村の半分以下です。滝山街道を歩いたとき、しばしば名前の出て来た「谷地川」が流れていm91-10-01 F3019ます。歩いている道は谷地川の北側で、滝山街道のつづきなのです。「龍光寺」の北東は山でしたが、現在は大規模開発でインターヒルコーポランドという日本ではないような名前が付いた住宅地になっています。m91-10-02 F3022

 

 

「宇津木」というバス停がありました。持っている地図とは、位置が少し違うようですが、「龍光寺入口」と書かれているのは、次の停留所表示でしょうか? それとも、ここが龍光寺の入口だと云っているのでしょうか? よく分かりませんが、近いことは確かでしょう。

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16号線、八王子バイパスと思われる高架に沿って歩き出したことになるのか? 持っている地図が、さっぱり合いません。だいぶ昔の地図を抱えてきたようです。・・・あわてて地図の隅っこの発行日を見ると、1974年! 物持ちが良すぎます! こりゃ駄目だ・・・地図をバッグにしまって、両眼のほうを使います。

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これは、入口の表示かな? この辺を右に入るのだろう。入口に出来る道は3本ほどあったようです。どこを使ったのかよく分かりませんが(わすれているのです)、ちょっとウロウロしたのは、直ぐ横に末寺が一つありまして、「寺務所」になっています。最初そこに行ってしまったのです。これは違うと、さがしなおし、漸く正門前に来ました。

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「新編武蔵風土記稿」には、こう書かれています。『龍光寺 除地千百坪 新義真言宗山城国醍醐無量院末 増寶山密嚴院と号す 寺領二十石の御朱印を賜ふ 開山清雅法印は応永三年三月七日寂せり 本尊は大日 長二尺五寸坐像なり 本堂十三間に九間 未申に向へり 中門柱間八尺 楼門は九尺あり 裏門は長屋つくりにして二間に六間はかりなり 鐘楼六尺五寸四方 鐘の径二尺五寸 銘文あり 武州多摩郡宇津木村 増寶山龍光寺洪鐘一口 ・・・』以下漢文で 金がなくて数年かかったけれど、妙林禅尼の寄附によって完成することができたというような意味らしいことが書かれています。この辺は後で、「猫の足あと」さんの記述で確認します。「元禄九年製」のようです。

境内の記述らしい部分には『弥陀堂 三間四方』『青龍権現社 境内の鎮守なり 三尺四方宮造にて覆屋九尺に八尺』そして、問題の板碑のことでしょう『古碑一基 文和二年十一月廿一日と刻し上に恐曇及び蓮華等を彫る』という記述があります。

というところで、石段を上がります。

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この山門の額は最近のものらしく、左から「増寶山」になっていますね。

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正面が本堂で、露座の仁王様がおられるようですね。石碑は右の方にありました。

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「八王子市指定文化財 龍光寺文和の板碑」という立て札が付いています。大きな石碑で「南無阿弥陀仏」の六文字ですね。これは、詳しい解説がありそうです。ちょっと探します。「龍光寺(りゅうこうじ)六字名号板碑」と呼ばれるようです。所在地の住所(東京都八王子市宇津木町738) 時宗 二祖 他阿(たあ)上人の三十五年忌に造立したと伝える六字名号板碑で、時宗板碑の代表的作品。南北朝時代前期 文和二年 1353年、緑泥片岩、高さ 170Cm 下幅 44Cm) 身部は、蓮華座上に「南無阿弥陀仏」の六字名号を楷書で大きく刻み、向かって右側上方に「他阿弥陀佛」、左側上方に「時阿弥陀仏」と刻む。 碑面には、時宗の衆徒 百六名の法名(阿号)、下部の中央に紀年銘、左右に願文を刻む。」 「他阿弥陀佛」というのは、「時宗の実質的開祖 他阿真教上人」です。「時阿弥陀仏」というのは、この板碑を作った時宗の上人でしょう。前にも何度も書きましたが、時宗の開祖とされている「一遍上人」は最後まで「浄土宗」のつもりでした。「一遍」が亡くなって、殉死をしようとまで思い詰めた一番弟子「他阿真教」が、「一遍」の教えをもっと積極的に広めたいと思い直し、「一遍」を「時宗開祖」として、自分が「二世」を名乗ったのです。「他阿真教」は當麻の無量光寺で亡くなったのでしたね。もう一回くらい「無量光寺」には出かけたいなあ・・ここ「無量光寺」は、Choi-Boke 爺ちゃんのブログの方ですが、10月17日:木瓜爺撮歩(19-4) 時宗本山 當麻山金光院無量光寺 で書いております。

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ちょっと脱線しますが、後ろの方に見える塔が面白い・・・これ、「梵鐘代用品」なのです。「電子梵鐘塔」だそうです。大きなトランペット・ホーンのスピーカーが付いていました。緊急時の通報用としては、この方が優れているのかも知れませんねえ? 人語を鳴らせるでしょうから・・m91-10-09 F3045

 

 

 

 

 

こちらの「石塔」はあまり見慣れない形ですが、「宝筺印塔」の一種。「文和の板碑の右にある「宝篋印塔」は、寛政11年(1799)3月当山第21世寛英の代に建立されたものです」 ということでした。

今日はここまでにします。今日は歯医者でまた一本抜歯されることになっています。7本が6本に減ってしまいます。70代の初めの頃は、まだ30本ほどあったのですが、10年でこんなことになるとは・・所謂、歯槽膿漏で、全体が弱ってしまっているのです。

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