2016/06/25: 八王子散歩;木瓜爺撮歩91-10-2 増寶山 密嚴院 龍光寺〔2〕 (No.2726)

m91-10-07 F3038真言宗の龍光寺に、何故時宗の石碑があるのか? 不思議でしたが、「大正初年頃までは、谷地川沿いの街道に立っていた。時宗の板碑を代表する名品で、結衆板碑として貴重」と書かれていて、納得しました。谷地川ぞいの街道から、ここに引っ越ししたのでした。 もう一度、本堂の写真を入れました。

ここは、多摩八十八所霊場の79番と、入口に書かれていましたね。今度は、仁王様にご挨拶です。足元に、「仁王尊の功徳と利益」と書かれた札が付いています。

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「猫のあしあと」さんが、八王子市史の記述を収録されていました。戦災のことなど書かれているはず・・・『増宝山密厳院と号し、本尊大日如来、開山は清雅(応永三年 一三九六 三月七日寂)であり、清雅の法流は高尾山薬王院と同じく、東密三宝院流の支流たる松橋流で、清雅は醍醐無量寿院俊盛より受法したものである。また同村埼玉権現社・姫宮八幡宮および若宮八幡宮の別当であった。江戸時代には寺領二〇石の御朱印m91-10-17 F3052を賜わり、寺勢はなはだ盛んであったが、昭和二〇年八月二日戦災のため本堂その他を焼失し、現在の本堂は大谷町報恩寺の本堂を移築したものである。境内に文和二年(一三五三)一一月二一日の板碑がある。また鎌倉時代の銅磬、長享三年(一四八九)在銘の銅製鰐口を所蔵する。(八王子市史より)』

この本堂は、大谷町の報恩寺だった建物ですって・・

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これは、鐘楼。不動堂の写真どこへ行った? ありました。こちらでは、直接的に不動様にはお目にかかれないのですが・・・

m91-10-21 F3061不動堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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石仏も用意されています。こちらは、「納札所」ですが、中にいろいろおられました。

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一通り、拝ませて頂いたので、末寺のほうに行きます。「報恩弥陀院」の「報光殿」とm91-10-25 F3076表示されています。

ここは、「南無観世音菩薩」と「南無阿弥陀仏」の二種の幟が立っています。

ガラス越しに、中がみえましたが、祭壇は阿弥陀三尊のような形式に見えました。m91-10-28 F3082

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「新編武蔵風土記稿」にあった「青龍権現社」が楽しみでしたが、現在はないようです。木瓜爺は、この名前から二つの想像をしていました。一つは、「倶利伽羅竜」つまり「不動明王の化身」を祀った神社、もう一つは「清瀧権現(せいりゅうごんげん または せいりょうごんげん)」という、京都市伏見区所在の真言宗醍醐派総本山、醍醐寺の守護女神。・「龍光寺」の親寺が「醍醐無量壽院」(真言宗醍醐寺の山内にある院)という点からは、後者が有力でした。

宇津木村の名刹、龍光寺も戦災の為に昔の姿は、分からなくなったように思われます。。このあたりで、失礼して帰途につきます。道を渡ると、「埼玉権現社」「若宮八幡社」など宇津木村の神社があるようです。次の機会に回ります。道路を横断するのが大変な場所でして・・作戦を練ってきます。

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