2016/07/02:塩船観音のアジサイ;木瓜爺撮歩79-23-2 観音寺仁王門付近 (No.2733)

アジサイと云いながら、アジサイの登場しない初日でしたが、今日から出て参ります。実をいうと、木瓜爺は「塩船観音のあじさい園」にどこから入るのかよく分からなかったのです。一番分かりやすいのは、明日書くことになるでしょう。今日はそれを見つける以前のお話です。

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「大悲山 塩船観音寺」の山門前に着きました。この仁王門は『国指定重要文化財(室町時代建立). 八脚門·切妻造りの茅葺き屋根』・・つまり「国宝級」なのです。ここにおられる仁王様は『都指定有形文化財である金剛力士像二体』です。何はともあれ、仁王様にご挨拶。m79-23-09 吽今日は上半身です。

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「新編武蔵風土記稿」でも、この仁王門に関する長い記述があります。そこでは、金剛力士を「運慶の作」としています。鎌倉時代の仏師・名人です。

『仁王門 三間に二間餘 巽向 大悲山の三字を扁す 舎利軒龍峯と云る者書せり 左輔右弼の兩像長八尺 運慶の作 壽永三年甲辰造立の棟札あれと 至て古ひて文字辨すへからす 外に天文二年癸巳卯月再建の棟札あり 表背に文あり 今其要を摘んてしるせり ことに字様分明ならさるものあるは 姑く其ままに存す 表面に大旦那三田嫡男平朝臣弾正忠政定井綱定家門繁昌 杣保内萬民豊穣の文字見え 今政定等か子孫近村にある事を聞す 背に僧俗の名を録して杉本坊覺満 圓林坊昭傳 神門坊顕祐 寶聚坊顯秀 禅林坊 m79-23-10北之坊 橋本坊什海 寶積坊良満 寶蔵坊顯運 梅本坊宗雅 (□一之旦那) ■林坊永鎮  以上衆徒鎌倉大佛所弟子圓慶 顯祐 同宿豊後顯宗 因幡顯泉 肥前顯忠季坊 脇旦那興冨三郎 勧進之人數詠然然三郎三良四良太郎四五郎四郎三郎然次郎八郎四郎藤二郎三郎四郎三郎太郎彦七 渡邊殿 西大炊介殿 西三郎左門殿とあり 今その俗家の子孫を詳にせす いはゆる當村古へ十二坊と傳るもの 此を徴とすへし 鹽林坊即ち今の鹽船寺 梅本坊は今小名に殘れる梅本坊なり 但ここに載する所十一坊にして 小名の打越坊を合せて十二坊とす 餘は已に小名の條にみゆ』 木瓜爺には読めない字、ワープロが書けない字もあり、正確ではないと思いますが、ほぼこんな事でした。なお、風土記稿は濁点をうっていないので、推定して読んでください。

 右の写真は、阿弥陀堂の屋根を入れて、仁王門の脇の道から写したものです。というのは、参道からですと、こうなってしまったのです。写真としてはこの方が好きですが、阿弥陀堂が全然みえません。奧の暗がりにあります。

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白いのは、昨日書いた「西洋アジサイ」の代表みたいな奴ですね。「紫陽花」という漢m79-23-13字が使えなくなった元兇(?)です。ここが、「あじさい園」かと錯覚しそうですが、ご親切に?立て札がありました。「本堂右手の斜面」だと書かれています。

「本堂右手の斜面」だとすると、入るルートが三通り考えられます。この立て札の赤い矢印は、阿弥陀堂から左に出て、大杉の所から手水舎に行って階段を上がり本堂にお参りしろという「参拝コース」を示しているようです。全く違うコースとして、仁王門に入る手前まで戻り、「明王院祈願堂の駐車場」につながる右側の道を入ると、本堂の右側の斜面を下から見る位置に行きます。駐車場から、ダイレクトに「あじさい園」に入ることが出来るのではなかろうか? という事を考えました。この駐車場が作られた場所が、昔しょうぶが植えられていた田圃みたいな所ではないかと思うのです。 

もう一つ、第三の道があるはず。パラパラ見た?・・画面はパラパラとは云わないなあ? 何と云えば良いのかねえ? ちらちらでもないし・・ サーッとみたネット情報の中に「阿弥陀堂の後ろを上がると・・・」とう記述があったと記憶していました。これから探すことにしましょう。

m79-23-14やっと「阿弥陀堂」が写り始めました。 これなら、何とか「塩船観音のあじさい」に見えますかね?

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m79-23-17「阿弥陀堂」です。ここは、堂内撮影禁止なので、阿弥陀様のお顔を紹介できません。額でも眺めましょう。「無量寿」です。木瓜爺の記憶違いで、「院」は付いていませんでした。  「新編武蔵風土記稿」では、こう書かれています。『彌陀堂 観音堂の前にあり 其間二十歩許 堂は三間四方 三尊彌陀木の坐像 長三尺五寸 観音勢至各長三尺 慶長十五年の棟札あり 此堂背の丘上に古碑あり 永仁四年丙申九月十四日としるせり 土人傳へて八百比丘尼の立しものなりと云 いかなる故にてかく云ことを詳にせす』

塩船寺や塩船観音寺の起源として、八百比丘尼を初めとしている記述にお目にかかりますが、これは「阿弥陀堂」の話のようです。「八百比丘尼ってなんだ?」・・・弱ったなあ・・・コトバンクの解説を引用しておきます。『長寿伝説の尼。人魚の肉をたべて800歳までいきたとされ,肌が娘のように白く白(しら)比丘尼ともよばれる。若狭(わかさ)(福井県)小浜の空印(くういん)寺を中心に,植樹伝説や椿をもって諸国を巡歴した話が各地に分布する。宝徳元年(1449)若狭から京都にあらわれたという記事が「康富記」「臥雲日件録」にみえる。「やおびくに」ともいう』

それと、観音堂と阿弥陀堂が「その間二十歩」と書かれているのですが、歩いて20歩しかなかったのか? 現在はそんなに近くではないのですが、よく分かりません。

m79-23-18阿弥陀堂にお参りしてから、裏手に回って、あじさい園に行く道を探しました。山に上がる道が二本見つかりました。最初の道を上がると、墓地でした。そこにあった墓標が「杉本坊**家の墓」「観音院大僧都**」つまり、大旦那や住職だった方々の墓地のようです。「これは失礼いたしました」と下におりて、次の道へ・・・

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これは、何となく良さそうですね。観音堂に真っ直ぐ行けそうな感じもします。

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上がって行くと、右に入る細道が出来て居ました。それが、アジサイ園の上部に入る道の一つでした。そこからの眺め・・・今日の最後の写真です。

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駐車場が見えますね。あそこにあるお堂が「明王院不動堂」(明王院祈願堂と書かれたものもある)と呼ばれているお堂です。見回すと、ここは「アジサイ園」の南端のようです。明日は、山の下と山の上両方からのお話が混在しそうです。頭を整理します。

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