2016/07/05: 塩船観音のアジサイ;木瓜爺撮歩79-23-5 あじさい園とハイキングコース (No.2736)

二つ目の鐘楼は、参拝客が撞けるようになっています。ただ、位置から云うと、拝んだ後に撞く事になるので、御利益を帳消しにする鐘ということになります。この鐘楼の東側ちょっと手前に、山内図ですと「山王七社権現」と「児玉稲荷」がありました。

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「新編武蔵風土記稿」によると、『七社権現社 観音堂より西の方の山丘にあり 六尺余に七尺余の社なり 山王七社と称す 祭神詳ならす 或は是を観音の奥院と称す 村内の鎮守』と書かれています。稲荷については記述はありません。

観音寺の縁起によると、『塩船観音寺は、八百比丘尼が大化年間(645-650)に創始、天平年間(729-748)に僧行基が再興したと伝えられ、貞観年間(859-876)に天台宗の安然が比叡山から七社権現を勧請して、阿弥陀堂、薬師堂および十二僧坊を建立したといいます。武蔵七党の村山党の金子十郎家忠や三田氏から篤い崇敬を受け、慶安2年(1649)には寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。』つまり、比叡山から「七社権現」を勧請して、寺の奧の院にしたと考えて良いのでしょう。比叡山の七社権現は二十一社まで増えたそうですが、「上七社」が相当するとのことです。

鐘楼をすぎて、すぐ右に下る道がありました。

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山腹には、4m程の平らな部分が道のように続いています。この方向に進むと「明王院不動堂」を見た位置にまで行けるのでしょう。m79-23-55このあたりは、青系の花です。左に進んで、逆方向を探検することにしました。

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山側から下ってくる道は何本かあるようです。それから見ると、山内図のあじさい園は、ここを指しているのかもしれません。 暫く進むと、出口的なものがありました。

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更に進むと、アジサイはまばらになりますが、それなりに風情のある景色に変わります。

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あれ? この景色、見覚えがある・・・下の道を歩いたことがあります。塩船の平和観音の後ろから「つつじ園」を出て、靑梅丘陵、七国峠の方に行くハイキングコースだと思います。

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林間に咲くあじさい、良いですねえ・・密集させた「あじさい園」とは、ひと味違う・・わざとこういう植え方をしたのでしょうが、なかなか良い感じです。ハイキングコースのほうをまた歩いてみたくなりました。つつじ園の裏口はもう少し先のようです。そこまで道が続いているかどうかは分からないので、この辺で引き返します。

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m79-23-62元のあじさい園らしい場所まで戻って、斜面を登り、「平和観音」にお参りして、今日はおしまいにすることにしました。

時計を見ると、10:46。 すぐバス停の方に行けば、家に帰って昼飯が食べられるな・・それとも、吹上しょうぶ園を覗いて行こうか・・・m79-23-63

平和観音から、つつじ園の谷間を見ています。「新編武蔵風土記稿」によると、この谷に「御手洗池」というのがあったようです。現在は、人工池が出来て居ますが、何もない谷間にあった「御手洗池」はきっと神秘的な池だったのでしょうね。

再び、「ぼけ封じ薬師如来」に寄り、ご挨拶をして表にでました。「神明社」は道から一礼。河辺行きではなく、東青梅方面に行くバスが、丁度来る時間でしたので、それを待ちました。三分ほど遅れてきましたが、それに乗車。東青梅からJRに乗って羽村へ。11:55には帰宅出来ました。

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