2016/07/16;羽村漫歩;木瓜爺撮歩73-49 五ノ神社境内の仏様 (No.2747)

お盆の「迎え火」は13日なのですが、「送り火」が地域によって違うということを、始めて知りました。我が家で「曹洞宗」のお寺から頂いて来る暦では、16日に「送り火」と書かれているので、ずっとそうしていました。今年たまたまお盆のことを調べていて、名古屋の曹洞宗のお寺をみましたら、送り火が15日になっていたのです。説明の中で「名古屋地方は13日~15日がお盆になる」と書かれていたのです。何故なのかはまだ知りません。墓石をかっさらっていって、安土城を築いた織田信長の地元ですから、生きている人間優先で短縮してしまったのかもしれません。

m73-49-02 F2084さて、「まいまいず井戸」から地上に戻った木瓜爺、「馬頭観世音」に手を合わせます。この石碑、どこに有ったものかよく分かりません。羽村の石仏は、殆どがそうなのです。道路造りや住宅化の度に、適当な所に放り出されてしまうようです。とにかく、この「羽村」というろくでもない村には、「歴史を大切にする気風」はまるで有りません。「伝統」ということには無縁の土地。何故そうなったかというと、要するに貧しいのです。肥えた土地もなし、豊かな山林もなし。玉川上水の工事人足や、多摩川の砂利採掘で日銭を稼いだだけの村です。こちらの五ノ神村は、ややマシでして、曾ては鋳物などの職人が育った村でした。脱線を戻して、この馬頭観世音は「道しるべ」だったらしいのです。

m73-49-03 F2121

「嘉永二年(1849)」と彫られていますが、「西みち・・」とあるようなのですが、余に取れません。「阿蘇神社」を示しているのかも知れません。別の面には「北 ・・・」の字があります。真後ろには「五ノm73-49-04 F2123神」の文字がありますから、この近くの街道の辻にあった物でしょう。

もう少し文字を読む力があったらなあ・・と、思う木瓜爺です。最近、ひらめきが無くなってきて、判読出来ないのです。

m73-49-01 F2086

これは、何だろうと悩んだのですが、上下逆さまになっているのですね。木の根の部分です。そのうち化け物の化石がなんて言い出すかも・・・

m73-49-05 F2101

ここは、「五ノ神神社」の境内なのですが、仏教施設も二つあります。このお堂は薬師堂。「新編武蔵風土記稿」では「五ノ神村」にはありません。

m73-49-06 F2102

六地蔵は、この「薬師堂」の付属物なのでしょう。

m73-49-07 F2103

中を覗くと面白い像が見えます。08- 羽村漫歩;木瓜爺撮歩73-27 五ノ神神社 (No.2101) には、ちゃんと写してありますが、これはこれで面白い・・・

m73-49-08 F2104

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中