2016/07/19: 羽村漫歩;木瓜爺撮歩73-52 児魂神社 (No.2750)

川崎村の鎮守であった「神明神社」は、川崎村の北の端なのですが、これから行く「児魂神社」は、南の端に近い多摩川の段丘上にあります。「新編武蔵風土記稿」の川崎村には、それらしい記述は見当たりません。「兒魂神社」のある場所は、川崎村では無くて、羽村なのかもしれません。微妙な位置なのです。羽村市羽東の東小学校の裏口に近く、直ぐ近くに「遠江坂(跡)」があり、その「遠江坂」という名前は「大石遠江守」の屋敷があったからとされています。「大石氏」というのは後北条氏の親戚でもあり「高月城」などの城主です。この「大石氏」は「新編武蔵風土記稿」の羽村に書かれてm73-52-01 F2165いますが、『北条氏照の旗本 大石左近太夫照仲 当村を知行す』 となっています。遠江守と同一人物なのかどうか、よく分かりません。

神明神社から、南に進みます。新奥多摩街道を横断して、・・この辺の道は説明が難しい・・川崎村の畑道だったところをぐにゃぐにゃ・・現在は全部家が建っているので、なお説明しにくい・・半分カンで歩いて居ります。ここだここだ、この道は、羽村から村山に送る送水管が埋められている道・・通称「水道道路」という道です。その終点にやってきたのです。

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此路のあの木立に入って行くと右側に神社があるのです。ここには鳥居はありません。m73-52-03 F2172ご覧ように物置的?社殿がぽつんと建っています。壁に説明板があるので、それを見ましょう。『祭神 草野姫命 イザナギ イザナミ 速秋津彦命 速伊佐那美命』「草野姫命」というのは「カヤノヒメ」とも言われる「草の神様」です。「速秋津彦命」は、日本書紀では「速秋津日命(はやあきつひのみこと)」古事記では別名「水戸神(みなとのかみ)」。「水戸神」というのは港などの神様。この附近、多摩川に渡し船がありましたから、その神様でしょう。「速伊佐那美命」というのは分かりません。「伊佐那美命」そのものではないかという説が有力です。住所は「東京都羽村市川崎4-7」ですから、やはり川崎村だったのでしょう。m73-52-06 F2179

「創建の由来・年代は不詳だが、古老の語り伝えによれば、当社地は古来一帯草原でその中央に樟(くすのき)の大樹があり、数々の奇異の禍いがあった。当時の住人、竹の上遠江守は、悪霊のお告げによって祠を建て、天正元年(1573年)4月8日、児魂明神を勧請して産土神として字名も竹の上と称したという。また、嘉永4年(1851年)神殿改築の際、地内から数個の石器を発見し、本殿に泰安し現在に至る。明治6年(1873年)神明神社境外末社児魂神社と改称した。」

「児魂明神」とはなんぞや? ですね。これが分からないのです。ただ、「木魂明神」と呼ばれた神社はありました。「樟の老樹」がイタズラをするので鎮魂しようというなら、これが本当じゃないかと思うのです。なお調べて、駿河地方の伝説を見つけました。「舟山神社(木魂明神)」に関わるお話です。

『大川村日向の原坂忠左衛門方にうつくしい娘があった。
ところがいつからから、毎夜、美少年が通ってくるようになった。娘は怪しんで母親に告げた。母親は17日の間、毎夜麻糸を紡ぎ、糸の端を美少年の袴の裾に縫いつければ、どこから来るのかわかるであろうと娘に言い、その糸の端を秘かに美少年の袴の裾に針で縫い付けさせた。
翌日、長く伸びている糸をたよると、ほど遠くない老木の梢にひっかかっていた。美少年は、この大樹も精であったのかと、みんなに相談して切り倒そうとしたが、大木なので、その日一日では切ることが出来ない、翌日も切らねばならぬとその日は引き上げ、翌日見ると切り口が塞がっている、そこで、木を切るごとに木片を火中に投じて焼き捨てた。老樹は「キリクイ」と異様な響きをして切り倒された。そこでここを切杭という。大水の時は、よくその切り口が現れるという。
また里人はその大木で空舟を作り、娘を乗せて大水の朝、藁科川に流したその船は安倍川の舟山で転覆した。このため、後世ここを舟山と呼んだのである。また途中赤沢の対岸の櫛筐(くしばこ)峠は、娘の櫛が落ちたところから、そう呼ばれたのである。またこの大樹は高さが三十三間(約60㍍)もあって、梢を清沢村の杉尾部落でも見ることができたので、この部落を杉尾と呼んだのである。このような因縁から、原坂家では畑に麻を作ることを忌んでいる、また同家に生まれる女子は、みな美貌が美しいという。なお、この老木は木魂明神と祀られた。』(引用:美和村誌/「駿河の伝説」小山枯柴編著・宮本勉校訂、羽衣出版、平成6年))

このお話から類推すると、「児魂明神」は「木魂明神」のことで、いたずらをした「樟の老木」自体を祀ったもの、といえそうですね。それが、明治期にいろいろな神様を押しつけられて、現在に至る・・という處でしょうか?

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神社の前から、羽村大橋が見えるようになっていました。「羽村大橋」の交通量が増加し、渋滞がひどいので、端の巾の拡張とか、奥多摩街道との交差を立体交差にするとか、いろいろな噂があります。その準備作業とでもいうのでしょうか、ここも整理工事がはじまっているのです。畑と人家が取り払われて、橋が見えるようになったようです。後日確かめましたが、羽村大橋の上から、鳥居が見えるようになっていました。そういえば、左の細い道(児魂神社の正面参道)を出て行ったところに、ビワの木があって、それを貰った話を書いたことがありますね。そのビワの木も無くなったようです。あたりには、工事の保護壁も出来て居ます。

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お堂の中には、「発掘した石器が納められている」と書かれていましたが、よく分かりません。神殿が置かれて、神体の丸石と御弊がおかれているように見えます。

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この神社には、観音様の文字碑もあるのですが、割れてしまって、何観音かわかりません。多分「馬頭観世音」だろうと思うのですが・・かっては、もう少し整っていたようで、手水鉢らしいものも並んでいました。

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「竹の上遠江守」となっていて、「大石」じゃないと叱られそうですが、もう少し読み続けて下さい。同一人物かどうかは分かりませんが・・現在は、横に銀杏の木があります。まだ老木とまではゆきません。お参りを済ませて、小学校のほうに行きます。

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ちょっとした広場・公園があります。そこに、説明板があります。それをご覧下さい。

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ここに「大石遠江守」が出てくるのです。この方が「竹の上」(地名)と呼ばれたのかも知れませんし、もっと前の話なのかもしれません。

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「東小学校」の裏門です。投票に来るときは、たいていここから入っています。この坂を下ると「奥多摩街道」なのです。では、こんな處で、羽村漫歩も一休みしましょう。

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