2016/07/20: 自宅における盂蘭盆会のお話〔1〕 (No.2751)

7月のお盆が終わりました。「旧暦のお盆」と「月遅れ盆」がどのくらいずれて居るのかなあ? と、思ったのが、このブログの始まりです。その頃、お盆に家で何をするのか、孫娘が全然経験がないから、一度ちゃんと見せて欲しいと倅に言われて、ちゃんとやっていない木瓜爺は、復習する必要があると思い調べたことも付け加えておきます。

まず、月遅れ盆の方ですが、今年の場合は、旧歴の盆が8/17になります。二日しかずれて居ません。これを調べたのは、「平成28年 曹洞宗宝暦」というこよみです。浄泉寺の「泉の鄕霊園」の事務所で頂いたものです。

この暦の5月~8月にかけて「盂蘭盆会」に関連したことが説明されていまして、大変役立ちました。

「盂蘭盆会」の話になる前に、「安吾(あんご)」という特別な修行期間のことから説明しましょう。これは、「総持寺」「永平寺」(曹洞宗の二つの本山)で行われていますが、別名を「百日禁足」ともいわれ、3ヶ月間道場から出ることもなく、座禅などを組んで心の修業をする期間なのだそうです。

この修業の起こりは、古代インドにさかのぼるようで、この期間は丁度インドの雨期にあたり、歩く事もままならないし、動植物も活動し始めの時期なので、踏みつけて痛めてはいけないという思いもあるようです。それで、各地を回って修業するのでは無く、一箇所に集まって研鑽する期間になったのだそうです。「夏安吾」とか「雨安吾(うあんご)」と呼ぶそうです。 中国では、冬の寒さが厳しいので、この冬の時期が、研鑽期間となり、「冬安吾」「雪安吾(せつあんご)」と呼ばれます。

インドでは「夏安吾」の終わる頃に、中国では少し事情がかわって、「収穫を記念し、ご先祖様を祀る」時がお盆に当たります。インドではこの時期に祖先を祀るということは無かったようですが、中国から日本に輸入された仏教は、日本の祖霊信仰と結びついて、お盆の行事が発展したようです。旧暦のお盆は、農作業が一段落する時期でもあります。明治時代に「太陽暦」が採用され、1ヶ月時期の狂いが出て来たのですが、農作業の少ない都市部では「太陽暦」の7月15日をお盆とし、農村部では、農閑期優先で、「太陰暦」の7月15日にちかい「太陽暦」の8月15日に祀るようになったようです。

寺院では、この時期にもう一つ大きな行事があります。それは「施食会(せじきえ)」、「施餓鬼供養」などと呼ぶ行事で、「ご先祖様や有縁無縁の多くの霊に、食事を振る舞う」という供養なのです。時期は決められているわけではありませんが、「盂蘭盆会」の時期に行われる事が多いのです。この「施食会」の元になったお話は、『盂蘭盆経』から始まるようです。ウイキペディアではこんな風に説明されていました。 『安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。』

お盆の時に「精霊棚」とか「盆棚」というものを作るというのは、この「施食会(せじきえ)」のスタイルが結びついたようです。

お盆行事として、家庭で行うことの中には矛盾したことも沢山有ります。木瓜爺なりに矛盾を省いて行こうと思うのですが・・・例えば、お盆にお墓詣りをして、ご先祖様をお連れすると云いながら、何故迎え火を焚かなきゃいけないのですか。迎えに行ったのなら、車に乗って貰って帰ってくれば、迷子になる事も無いから、迎え火など必要ないはず・・キュウリの馬も、ナスの牛も不要じゃないですか・・

前にも書いた事がありますが、祀る人の住まいと墓所の関係が無視出来ませんが、考え方は、墓参りをするのは「彼岸会」の方で、「盂蘭盆」は先祖の霊を自宅に招いて供養する時期。お盆に墓参りをしても、空っぽなのです。それで、「迎え火以前」若しくは「送り火以降」に墓に行って、掃除や草むしりなどしておけ・・といった處でしょう。

寺で行われる「施食会」は通常、15日ではなく、ちょっとずらしている事が多い筈です。それに参加して、供養していただくことは、墓参りとは少し意味が違いますね。

盂蘭盆会1 事前準備の墓掃除をしておいて、13日は「家で迎え火をたいて」ご先祖様に来ていただく、ということで良いじゃ有りませんか。

この13日の仏壇・精霊棚の方をどうするかというのも、疑問が多い部分です。「盆棚」とも云いますが、こう説明されています。『盆棚(精霊棚):真菰を敷いた祭壇を設け台の四隅に葉のついた青竹を立て、竹の上部にしめ縄を張ります。 ここに位牌、お盆の供物、故人の好物などを供えます。また、供養膳には霊供膳を供えます。 盆棚を設けるのが難しい場合は、仏壇に盆飾りをするか、 仏壇の前や横に小さな机を置き、白布を掛けて盆飾りをしてもいいでしょう。』

盂蘭盆会2木瓜爺の家は、こういう物を作れるほど広くありませんから、もっぱら、仏壇の前に小さな机を置き・・・の方です。普段、老人クラブ用のPCが乗っている小机が使われます。本来は机の上に「真菰」を敷くのだそうですが、ゴミ低減のため省略しています。好物を供えると云ったって、肉や魚を供えちゃいけないようです。つまり、精進料理に類する物だけです。とりあえず、甘味系の日持ちする菓子と、季節の果物・・木瓜爺の所では、一番新しいホトケ様である亡母が、晩年、メロンを持って行くと喜んでくれましたのでメロンが載ることが多いのですが、孫娘がメロンは嫌いだというので、来年はスイカにするか?などと、悩んでおります。つまり、後始末をする人間の都合も考える必要があるわけです。

盂蘭盆会3問題は、「供養膳」の方です。迎え火を焚いた13日から、これを用意する必要があるのか? 結構いろいろ手を患わせることが続きますから、途中で何か食べてから来てくれよ・・と、云いたくなるでしょう。木瓜爺の家では、先々代のあたりから続いて居る方式なのですが、この日は「そうめん」を供えることになっています。「かわらけ」という素焼きに近いお皿を盆のうえに3×3=9枚ならべ、そうめんを少しずつ盛って、味噌たれのような物をかけ供えています。箸はオガラで作っていますが、9組はいらないらしく、3膳分だけです。

面倒なのは、「鰹だしなどのめんつゆ」はいけないということで、干椎茸、昆布の出汁です。なぜ味噌味なのかは聞き漏らしてしまいました。多分祖母あたりの住んでいた所が、醤油よりも味噌を多く使っている土地だったのでしょう。自家製味噌だったのかも知れませんね。この「かわらけ」数が多いのは、有縁無縁の霊に施すという「施食会」の思想が入っているのではないかと思います。

地方によっては、茹でたそうめんではなく、乾麺の形で供えるというのもあるようです。関東地方では、お盆のお供え物「水の子」というのが、一般的らしいのですが、木瓜爺は供えたことがありません。『水の子は、なすやきゅうりなどをさいの目に切りmizunoko
洗ったお米を混ぜて、はすの葉をしいた器にもりつけたものです。』だそうで、水気の多い物と少ない物、バリエーションはありますが、『お盆に帰ってくるすべての霊に、いきわたるようにという思いがこめられています。また、家が絶えてしまって供養してもらえない霊や事情があって呼んでもらえない霊までも、広く供養して水の子を食べてもらう、という意味もあります。』と云うことですから、同じような目的です。

こうして一夜を過ごしたあとは、「霊具膳」。入力に疲れたので、明日にします。u

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2016/07/20: 自宅における盂蘭盆会のお話〔1〕 (No.2751) への1件のフィードバック

  1. tkutsu より:

    興味があります 適する言葉はありませんが、今あるは精霊のあるに対する感謝をいろいろな行事であらはしていると言うことでしょう。 今年は兄嫁の初盆です 我が家でもお供え物をします、九州の田舎は旧盆です。

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