2016/07/23: 新宿散歩;木瓜爺撮歩102-09 大京神社の狛犬 (No.2754)

江戸の町の出入り口、つまり五街道(江戸時代の主要陸上交通路。徳川家康が整備した東海道,中山道,甲州街道,日光街道,奥州街道)の起点には「大木戸」が設けられ、万一に備えて、軍隊?が泊まり込めるように「寺」を沢山集めておいたのですが、ここ四ッ谷・新宿は「甲州街道」の基点です。普段あまり気にしなかったのですが、こちらでは「愛住町」附近と「須賀町」一帯に寺院が並んでいます。今回は、「愛住町」方面を一回りする予定でしたが、両町と離れた甲州街道の横に「笹寺」と呼ばれる寺があります。忘れそうなので、そこに寄っておこうと思ったのです。

m102-09-01 F3658甲州街道(正しくは「新宿通り」)を横断します。手持ちの地図では「大韓民国大使館」と書かれている場所は、現在は「韓国文化院」という交流の場になっているようです。

この建物を過ぎて、少し行った所で右に入ると、すんなり「笹寺」に行けたのですが、木瓜爺は、この建物の裏側に回ることばかり考え、手前で右に入ってしまったのです。所が、裏の方に入る道がありません。・・ちらっと「墓地」が見えたり、お堂の屋根が見えたりするのですが、住宅街の中の行き止まりばかり・・・大迂回をしている内に、小さな神社を見つけました。木瓜爺の持っていた新宿区の地図には書かれていなかったのですが、後で「新宿観光ガイドブック」というパンプレットをダウンロードしましたら、ちゃんと乗っていました。観光スポットとしては、割合有名らしいです。

m102-09-03 F3659大京神社

おやおや、カメラのレインコートが右上に入ってしまいましたね。「大京神社」と書かれています。この神社、元は大久保右京亮教隆・教勝の邸内社として寛永・正保年間(1624~1647)に秋葉神社として創建された神社だそうです。「秋葉神社」ですから、祭神は「火之迦具土神」でした。そののち、稲荷神社が合祀されたようで、「宇迦之御魂命」が加わっています。「東京都神社名鑑」にはこう書かれているとのこと。『現在の神社地は寛永・正保(一六二四-八)のころ、大久保右京亮教隆、同教勝の屋敷であり、その屋敷内の神社であった。創建当時は、秋葉神社であったが、昭和十一年に右京神社と改名され、昭和十八年に右京町と隣接の大番町と合併して大京町となったため、戦後昭和四十二年に氏子崇敬者より社名変更の要望があり、よって大京神社と社名を変更された。社殿は昭和二十年五月の大空襲により焼失した。しかるに戦後昭和二十九年に社殿を建設し、今日に至る。』・・・ちょっとおかしいのは、1624-8 だと「寛永」だけで良いはず。木瓜爺の記述は、この点を修正して書き始めました。昭和になって町名を神社にくっつけたようです。

ここを訪れた方でブログを書かれている方は結構多いのですが、拝見した限りでは、「なんでこの狛犬のこと書いていないのだろう?」と不思議に思います。今、写真を並べますからね。

m102-09-04 F3661

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これは日本狛犬ではないですね。両方空見て吠えています。これは、中国の獅子の形。

南大門の中国獅子← 日本で最古の狛犬と言われるのは、奈良東大寺南大門の胸をぐっと反らせた肢体です。これは中国の獅子の形だそうで、南大門の狛犬は建長7年(1196)製。この写真は「100万人の狛犬講座」から借用しました。

大京神社の狛犬は、そう古いものではないと思いますが、いつ、だれが、なぜ、こういう狛犬を置いたのか、興味があります。目下の所、情報は見つかっていません。m102-09-06 F8521

社殿の中は、神棚型でした。厨子部分は扉が閉まっているようです。

ここから、途中で見たお堂や墓地の方向に、迷路(?)を抜けて行きますと、笹寺の前にたどり着きました。

m102-09-07 F8522

今では珍しい「冠木門(かぶきもん)形」です。

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