2016/07/28: 新宿散歩;木瓜爺撮歩102-14 泰翁山全長寺 と 宝林山養国寺 (No.2759)

「浄蓮寺」を出て北に進むと。地図では「金長寺」と書かれたお寺があります。

m102-14-01 F3724全長寺

このあたりかな?と思った所に出現したのは石垣の上に並んだ墓碑。無縁仏の集合地のようです。奥の方には近代的寺院が出来て居るようです。この石壁にそっm102-14-02 F3726て右に入りました。しかし、表札を見てアレッ? 「曹洞宗全長寺」と書かれています。指でなぞって見ましたが、点はないので、「全」です。「泰翁山全長寺」慶長7年(1602)本山全勝寺3世釣巌覚饋和尚が、麹町1丁目に創建し、寛永11年(1624)当地へ移転。という経歴です。地図の間違いのようです。

m102-14-03 F3728

この辺一帯は、空襲で焼かれていますので、建物は戦後の建築でしょう。ただ、横書きm102-14-04 F3729の「全長寺」が右から書かれていますので、世の中が落ち着いてからの再建でしょう。戦後直ぐですと、左から書いた筈。それはとにかく、見る物もなさそうな感じなので、境内のお地蔵様にご挨拶だけして行きます。m102-14-05 F3732

 

「全長寺」の横には、もう一つ曹洞宗のお寺がありました。それが、「宝林山 養国寺」。このお寺はHPが出来て居ます。

『宝林山養国寺は慶長七年(1602)、開山祥岩存吉大和尚により麹町半蔵門近くに開創されました。その後、寛永十一年(1634)現在の愛住町へ移転しました。400年以上の歴史を有するお寺でm102-14-07 F3733養国寺す。墓地には、幕末の外交使節だった竹内下野守保徳(1807―1867)の墓があります。保徳は文久元年(1861)、幕府の勘定奉行兼外国奉行となり、翌年には、幕府の開港延期のための使節として、イギリス・オランダ・ロシアなど六カ国に渡りました。一行は三十八名で、随員には福沢諭吉や福地源一郎などがいました。』

m102-14-08 F3734

こちらも本堂は近代建築です。「猫のあしあと」さんには、「御府内寺社備考」という江戸時代の文書の抜粋が掲載されていました。

『御府内寺社備考による養国寺の縁起抜粋: 四谷北寺町龍昌寺末 四ッ谷北寺町 宝林山養国寺、境内拝領地二千百十二坪半 開闢起立之儀者慶長七壬寅年麹町十一丁目ニ本院内相建仕其後四ツ谷御城御普請ニ付御用地ニ被取上寛永十一甲戌年十二月為替地只今之処拝領仕候。開山祥岩存吉和尚慶長十九甲寅年十月十五日示寂。開基位慶初的和尚寛文七丁未年七月十六日寂。本堂、間口七間奥行五間。本尊釈迦木座像、長九寸。』

本尊は釈迦のようです。最近の寺院HPを見ると、本尊など余り書いてないですね。養国寺のHPにも書かれていません。曹洞宗の場合は、書かれていなければ、お釈迦様と考えてよいようです。

こちらも、写真に撮したくなるものを発見出来ず、次に行きます。「西迎寺」なのですが、「さいこうじ」と詠むお寺が多いようです。

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