2016/07/29: 新宿散歩;木瓜爺撮歩102-15 紅葉山 西迎寺 (No.2760)

木瓜爺の目玉が節穴になったようなのです。この西迎寺の名物である「阿弥陀如来」が木瓜爺に見えなかったのです。何故かわかりません。又来いということなのか?

m102-15-03 『山門を入るとすぐ高さ約4mの銅造の阿弥陀如来座像が鎮座しています』と皆さん書かれています。こんな「阿弥陀様」だそうです。なんとも不思議です。ひょっとすると、裏門から入ってしまったのか?

まあとにかく、木瓜爺のカメラに記録されたものを並べます。

m102-15-01 F3735西迎寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう門から入りました。入った所は、駐車場になっていたようです。門の前に、たしかに説明板はありました。

m102-15-02 F3736

ですから、意識はしていたのですが?

m102-15-04 F3740

 何もないなあーと、見回した筈です。それとも、右の方を見なかったのでしょうか?コンクリートのたたきの上を進んで行くと、もm102-15-05 F3741う一つの有形文化財である梵鐘がおかれていました。

 梵鐘の前を通り過ぎると本堂らしき建物だありました。

m102-15-06 F3743

 

 

この「西迎寺」・・これを何と詠んでいるのか? 「さいげいじ」なのか「さいこうじ」なのか、或いは「さいがじ」なのか? さっぱり分かりません。「猫」さんに相談ですなあ・・『増上寺末 四谷小寺町
紅葉山摂取院西迎寺、境内拝領地二千四百四拾四坪
開闢起立之儀者紅葉山西迎法師為太田道灌公菩提為庵開創西光庵と称し不断念佛修行在候。開山西迎法師明応八年四月十一日示寂世寿七拾一歳。六世中興信蓮社源誉昌敬光龍正保二酉年六日卒月不知
本堂、間口六間奥行八間。本尊弥陀坐像、丈二尺毘須羯摩作。二菩薩之像、各丈二尺。両大師立像、各丈二尺一寸。薬師如来座像、厨子入丈一尺余弘法大師作。日光月光立像、丈一尺二寸。十二神立像、各丈一尺二寸。(御府内寺社備考より抜粋)

よけい分からなくなりました。『西迎寺の概要:浄土宗寺院の西迎寺は、紅葉山と号しのます。西迎法師が、延徳2年(1490)、太田道灌の菩提を葬うため江戸城紅葉山に開いた西光院を起源とします。西迎法師は三浦四郎義広の嫡男で、大田道灌の父道真と親子の契を交わしており、父三浦義広、大田道灌の死後、仏門に入りました。』

太田道灌の父と親子のちぎりというと、道灌の兄弟分ということですね。その「西迎法師」が道灌供養のために「西光寺」という寺を建てた・・・ということは「さいこうじ」という読みで良いのでしょうか? 江戸城にあった寺ですが、家康が江戸城を拡張したときに追い出されてこちらに移転したということなのでしょう。

丈二尺「阿弥陀仏」の他に、二菩薩、両大師も丈二尺・・・大仏が並んでいたのですねえ・・凄い話が「御府内備考」に書かれているようです。

門を出て、横の方の道をたどると、墓地がありました。

m102-15-07 F3745 

m102-15-09 F3747この墓地にはお地蔵様がおられました。

m102-15-10DSCF3756 近くに「全勝寺」というお寺があるようなので、探したのですが、住宅ばかりで分かりませんでした。雨も止みませんし、又の機会と云うことにして「暗坂(くらやみさか)」から広い道に出ます。「暗坂」は「くらがり坂」とも言われたようです。新宿区教育委員会の掲示にはこう書かれていました。『くらがり坂ともいう。江戸時代中期より知られ、「御府内沿革図書」に暗坂、「江戸名勝志」にくらがり坂の記載がある。坂名はこの坂の片側の全長寺墓地の樹木が繁り暗かったためこう呼ばれたという。暗闇坂は明治以後の熟語で、本来は暗坂と書いた。』 「暗闇坂」という地名は、江戸には5箇所ほどあるようですが、「暗坂」と書くのはここだけのようです。

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