2016/08/05:靑梅漫歩 成木街道;木瓜爺撮歩02-09-2 勧請山 釈迦院 延命寺 (No.2767)

延命寺のブログを書きながら、「また、忘れた!」というのを思い出しました。「延命寺」の持ちになっていた「八幡神社」が、この近くにあるはずなのです。Choi-Boke爺ちゃんが歩いた時に発見出来なくて、この次に・・と思っていたのですが、今度は探すのを忘れてしまいました。ただ、Choi-Boke爺ちゃんは、松の木トンネル入口附近に、神社跡らしい旗竿台だけは見つけています。それだけが残っているのかも知れません。話を戻して・・・

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山門を入った所で写した「延命寺のパノラマ」です。左に地蔵堂、山の上のお堂は、Choi-Boke爺ちゃんは「阿弥陀堂」らしいと書いていましたが、何か分からないお堂、正面が本堂、右手は無住となっている庫裡。

まず、本堂にお参りします。本尊「釈迦」は変わって居ないでしょうね・・・

m02-09-13 F3958延命寺本堂

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本堂の額は左から読んで下さい「勧請山延命寺」です。

靑梅市教育委員会編の「靑梅を歩く」本では、『勧請山釈迦院と号し、本尊は釈迦です。古くは延命坊と称し、安楽寺六坊の一坊で、鐘銘には武将畠山重忠(1164-1205)の開基 とある。本堂は嘉永年間に火災にあい消滅したが大正15年に再建さ れました。焼け残った山門は江戸初期以前の物とされ昭和43年に市 の有形文化財に指定されm02-09-16 F3968地蔵堂ました。境内の地蔵堂の地蔵には、永和5(1379)年の胎内銘があります。』と書かれていたと思います。その「延命地蔵」にお目通りします。m02-09-17 F3966

赤い頭巾の色がすっかり落ちてしまいましたねえ・・・

先ほどの靑梅教育委員会の記事にでくる「鐘」ですが、戦時中に供出されてしまったそうです。「新編武蔵風土記稿」には、鐘楼のことなどは書かれていません。

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正体不明のこのお堂、Choi-Boke爺ちゃんは、此の一画を大壇家が祖先を祭った場所とみm02-09-19 F3971たようです。それで、「阿弥陀堂」らしいと書いたようですが、今回ちょっと中が見えたのです。ずらり並んだ人形は「十王像」のようですが、真ん中に一体「奪衣婆」が混じって居ます。これを何と判断すればよいのやら??あの世に行く途中の「王」がずらりと並んでいるのですから、阿弥陀-地蔵菩薩-閻魔大王 のラインに関わるお堂なのでしょうね。Choi-Boke爺ちゃんの「祖先堂」という直感を信じたいと思います。奥の壁の張ってある写真が、もう少し鮮明にみえると、理解が進むかも知れません。m02-09-20 F3974

m02-09-21 F3975お堂の横に、小祠。これがなかなか凝った「祠」なのです。両サイドの昇り龍下り龍が彫られています。この屋根の反りを見ると、仏系の祠のようですね。神系は直線が多いように思います。守護という意味で、不動様でも居られるのか?

こんな所で、「延命寺」を辞し、「慈眼院」に向かいますが、途中の「上成木神社」に寄るか寄らないか・・悩みます。

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