2016/08/10: 大井町散歩;木瓜爺撮歩94-69 仲町稲荷と海運稲荷 (No.2772)

梅雨が明けたのやら、明けないのやら・・・すっきりしない 7/28のことです。木瓜爺、海が見たくなったのですが、どうも東京湾では海らしくならないし、江ノ島あたりまで行くには、スイカの残額がこころもとない・・・そうだ、品川撮歩の続きで「品m94-69-01 F2211川水族館」にでも行ってこよう・・・と、家をでました。「しながわ水族館」というのは、大井・大森の中間、「鈴ヶ森」にあります。「鈴ヶ森」というと、刑場のあった場所です。京急線の「立会川」が、撮歩94-68 でした。たしか「天祖神社」まで歩いたのでした。其の先に「濱川神社」というのがあったから、それを拝んで、水族館まで歩こう・・・いきなり、「次は立会川」です。

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下りた電車が出て行きます。1000と書いて有るのは何だろうなあ?と思いましたが、1000型というモデルなのだそうです。408番・・3月にデビューした1800番の電車の写真には800と書かれていましたからこれは1408番なのかな?m94-69-03 F2213

駅を出ました。一見、旗指物(?)賑やかな商店街です。

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歩き出そうとしましたら、「木瓜爺、また無視するのかい?」 どこからか呼んでいます。??? お地蔵様ではなさそうですが・・・

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なんと、駅の東側の公園の高い所に、お稲荷さんです。この前歩いた時には全く気が付きませんでした、是は失礼しました。「仲町稲荷神社」だそうです。

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「由緒書」などはありません。「新編武蔵風土記稿」には稲荷社がいくつか書かれているのですが、「濱川町」の稲荷は「天祖諏訪神社」に合祀されていたようですし・・どれかなあ? ともかく、本日最初の神社ですから、交通安全のお願いをして行きます。

この小公園は、「品川区立北浜川児童遊園」ですが、ちゃんと見て歩くと、「坂本龍馬」に逢えたのだそうです。というのは、『江戸時代、土佐藩品川下屋敷がこの近く(第一京浜を挟んだ区立浜川中学校付近)にありました。嘉永6年(1853年)、坂本龍馬は19歳で北辰一刀流の剣術修行のため江戸に出て来ましたが、直後にペリーが浦賀沖に来航したため、幕府の命令で海岸近くの土佐藩抱え屋敷内に設けられた浜川砲台で沿岸警備にあたりました。ここで黒船を見た龍馬は、土佐にいる父親に次のような勇ましい手紙を書いています。「異国船所々に来た候えば、いくさも近き内と存知候。その節は異国の首を打ち取り帰国つかまつり候。」
浜川砲台跡地から敷石の一部が発見されたことを記念して、平成16年に高知市から龍馬像が寄贈されました。現在の像は平成22年に作られた2代目で、高知市桂浜にある龍馬m94-69-07 F2220像の修復時に出た金属片を溶かし込んであります。テーマは「20歳の龍馬」で、若き日の龍馬を再現し、履物もブーツではなく草履で全国的にも珍しいものです。』

この砲台跡地への道標をちらりと見た覚えがあるのですが、「龍馬像」には全く気が付かず、先を急いだ木瓜爺でした。

このみちは「旧東海道」として、品川宿からずっと続いてきた道です。鈴ヶ森に至るちょっと手前で、広い新道に吸収されm94-69-08 F2221てしまいます。立会川を渡ります。もうすぐ「天祖諏訪神社」ですが、今日はパスしましょう。 ここのことは、このブログをご覧下さい。

10- 大井町散歩;木瓜爺撮歩94-68 濱川・天祖諏訪神社 (No.2620)

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「天祖諏訪神社」を過ぎると、初めての道と云うことになります。「南大井」に入ったようです。m94-69-10 F2226

次の神社は、距離にして400m程先です。「海運稲荷神社」という名前ですが、「海運稲荷」は、港の近くに時々ある名前です。だのに、Google検索は知らないらしく「開運稲荷」ばかり集めてきます。試してご覧なさい・・

恐らく「海運業」に関係する人々が祀る稲荷様なのでしょうが、普通に考えると、金毘羅さんのほうが頼りになりそうですね。お稲荷さんは、陸上の方がお得意の筈。

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地図がありました。現在地を見つけて下さい。あれえ? 濱川神社の手前に水族館があるような書き方になっているなあ??? 木瓜爺、わけが分からなくなった地図です。鈴ヶ森中学校の前に「浜川神社」があるという事は分かりました。

進行方向右手に、小さい神社を見つけました。「お稲荷さん」です。

m94-69-12 F2230海運稲荷

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これが、「海運稲荷」のようですが、やはり「由緒書」的なものはありません。

ただ、直ぐ隣の建物が、「鮮魚 冷凍物 卸業 **水産」となっていましたから、多分こういう水産物の輸送の無事を願って祀られた稲荷神社なのでしょう。屋敷神だったのかも知れませんね。

今日はこの辺で・・・

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