2016/08/15: 三ヶ木散歩;木瓜爺撮歩97-53 行壽山 釈迦院 宗安寺 (No.2777)

例年「敗戦の日」というブログを書いている日がやってきました。思いは変わりませんが、今年は「撮歩」に集中します。書くとすればfacebook の方に書こう・・・

8/4のことです。予定は成木の続きを歩くつもりでしたが、寝坊してしまったので、時間制約の少ない「津久井」の続きを歩く事にしました。「津久井湖」に行く時は、「橋本」駅から「三ヶ木(みかぎ)」行きのバスに乗ります。その終点である「三ヶ木」には足を踏み入れたことがありませんでした。それで、今回は「三ヶ木神社」を訪れるのを主眼とした撮歩にしました。事前調査で、バス停より南にある「宗安寺」「安m97-53-01 F2501養寺」「八坂神社」、北側の「三ヶ木神社」「長成寺」を回ってくる、概略見込み1万歩コースです(実績は、羽村駅往復を含めて14628歩でしたから、現地はほぼ一万でしょう)。

バスの車窓風景から始めます。今日も暑い日になっています。若者?は元気いいなあ、自転車旅をしているよ・・・m97-53-02 F2503津久井湖

津久井湖の横を通過中です。裏高尾「薬師山」が見えて居ます。そろそろ「峯の薬師」にもお参りしなくちゃ。この前の撮歩は「日赤前」で終了したのでしたが、それを過ぎて先に進みます。バスは、暫くは413号線に平行な旧道のほうを走ります。そして、413に戻ったら、渋滞です。とろとろ走って行くと、右手にお寺がみえましm97-53-03 F2507熊野山祥泉寺た。地図を確かめると、「熊野山 祥泉寺」というお寺らしい。次の撮歩目標ですね。

バスは峠を越えるのですが、なかなか前に進みません。帰り道では、あっという間に通り過ぎましたが・・

峠を下り、三ヶ木のバスセンターに入るまで、渋滞は続きました。このみちは、三ヶ木の交差点が難所のようです。直進すると、412という道路で「道志橋」を渡って相模湖北岸に行く道、左折するのが413。413は、青山という交差点で、厚木に行く道と「相模湖ランド」のほうに行く道(413)に分かれます。

m97-53-05 F2513バスセンターは交差点の直前左側にありました。413号線で、青山のほうに向かいます。「新編武蔵風土記稿」によると、ここは「三ヶ木村」青山は「青山村」のようです。m97-53-06 F2514

←この道標の「厚木」方面に歩んで行きます。m97-53-07 F2521宗安寺入口

青山の交差点手前で、「宗安寺」の標識がありました。予定より早いのですが・・・この道の入口に「中央中学校入口」の石碑と「供養塔」が並んでいます。「供養塔」は八王子講中によるものですが、何の供養かよくわかりません。ともかく曲がって、進んで進んで行くと、「宗安寺墓地」の小さな看板がありました。これが、寺の入口への案内なのか、墓地への案内なのかよく分かりません。オマケに「土地分譲」の看板まで付いているので、余計意味不明になっています。

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ちょっと先に、丁度ご近所の方がおられたのでお尋ねしましたところ、こっちから行った方が迷わないという近道を教えて下さいました。

それが、この駐車場からの道です。奧に見える道がその近道。m97-53-10 F2528

m97-53-11 F2530稲荷社有難く、近道を行きます。すると、左手に鳥居を発見。社殿は見えないのですが、石碑に「正一位稲荷神社」などが並んでいました。多分区画整理などで、はみ出した神様を集めて、鳥居を建てたのでしょう。上の方は墓地になっているようです。そして、すぐ本堂が見えました。成る程これなら迷わない。m97-53-12 F2531

正しい参道は、最初に感じたように、少m97-53-20 F2552し先にあるのでした。そちらから入って行くと、「二十三夜塔」が出迎えてくれるのです。

それを確認して、本堂正面から入る事にします。山門はありませんが、六地蔵塔と六地蔵が並んでいなす。この「六地蔵塔」がちょっと変わった形式でした。写真の左一番手前と、右側の奧の方に分かれておかれています。角柱に三体づつ彫られているのです。

m97-53-13 F2532宗安寺

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こちらは横一列の「六地蔵」。

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そして、これが、三体づつ彫られた六地蔵塔です。左の塔は傘の部分がだいぶ欠けていました。恐らく「六地蔵」が並ぶ前は、対称な位置におかれていたのでしょう。

「新編相模国風土記稿」によると、ここは「三ヶ木村 宗安寺」で、『行壽山大正院と号す 古義真言宗 千良木村善勝寺末  本尊釈迦』となっています。なお、「大正院」は、ここも「釈迦院」と変更されています。先日、上成木で書きましたが、「大正」の元号が決まった時に改名したのではないでしょうか?  親寺の「善勝寺」は甲州街道に今も霊場として残るお寺ですね。

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「高橋石材店」の頁に、このお寺の紹介がありました。『宗安寺は行壽山釈迦院宗安寺といい、ご本尊は釈迦如来像であります。脇仏は、不動明王・弘法大師であり、本院は寛永年間1854年、宗安真快僧都の開基でできたもので、明治維新まで中野神社の別当を兼ねていたといわれています。 関東大震災に堂が倒れ崩壊しましたが、檀信徒の熱意で昭和初年に仮本堂を建立し、現在に至っておりました。
弘法大師御八定1150年記念事業と併せ、真快和尚菩提のため弘法大師像、愛染明王、不動明王を佛師に依頼して彫刻造作したと言われております。 昭和59年4月に入仏大法会を修行し、真快和尚並びに檀信徒先祖代々の菩提寺として、修理一新しました。 戦前戦後を通じ、地域の人々の集会の場とし、また、檀信徒の方々の心のよりどころとして、今日までの村の歴史が深く刻み込まれてきました。
m97-53-18 F2546永年無住のため、寺の荒廃ははなはだしく、修復を繰り返して昭和59年にようやく寺としての面目を保ってきました。
平成16年9月、本堂再建計画が檀信徒の賛同を得られて本堂建設準備委員会が発足し、再建に向けての研究を重ね、檀信徒の希望や要望を集約しつつ、平成18年11月12日の檀信徒臨時総会において本堂建設委員会への移行が承認され、本堂再建に向けた確かな足どりがはじまりました。
平成19年3月の檀信徒総会において本堂図面の最終提案がなされ、建設業者との工事契約も承認され、19年4月に解体工事、19年7月には地鎮祭、そして同年10月には上棟式と順調にすすめられました。20年4月には本堂が完成し、同年8月には落慶法要が執り行われました。』ということです。

新しい本堂ですが、もう八年経つのですね。境内に立つ「身代わり地蔵」。身代わり地蔵というのは、各地にありますが、何と云っても「日本昔話」でTVに載った「大分民話」のお地蔵様が一番有名かな? あのお地蔵様は刀傷を代わって下さったのでした。

そういう目に遭わないようにお願いして、次の「安養寺」に向かいます。え

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