2016/08/20: 三ヶ木散歩;木瓜爺撮歩97-57 西栄山 長成寺 (No.2782)

連投2100達成! この「木瓜爺ブログ」だけで云えば、1086ですが、支えて下さった皆様に感謝します。「木瓜爺ブログ」の初日が2013/09/01 No.1699でしたから、まもなく、丸三年。3Gのキャパシティは、三年しかもたない・・・1G/年。あと、どうしようか? まだ決まりません。
m97-57-01 F2723話を、三ヶ木撮歩に戻します。「保育園」のフェンスに、こんな注意書が張ってありました。m97-57-02 F2726

近くの山は、墓地になっています。墓地に食料を探しに来て、人里にも出没するのでしょうか? 熊の出没注意は、相模川の北岸では「南高尾山稜」・・つまり三沢峠~西山峠~泰光寺山~中沢山~大洞山のラインだったのですが、川を渡って南岸まで来てしまったのですね。高尾山も人が増えすぎたからでしょうね。

m97-57-03 F2727長成寺

「三ヶ木神社」の前にあった石柱によると、約200m先に「西栄山長成禅寺」があります。此の寺は「新編相模国風土記稿」には名前がないのですが、見ている内に妙なことに気付きました。風土記稿には、「禅寺」として「庵」が二つ書かれています。まずそれを書きますので、よく睨んで下さい(アンダーラインを付けた文字に注意)。

壽庵。久山と号す。臨済宗鎌倉建長寺末。 開山一華心林 文安三年四月十五日化。本尊如意輪観音。木坐像。長四寸四分。運慶作』

就庵。西嶺山と号す。臨済宗。根小屋村雲居寺末。本尊阿弥陀。』親寺は違いますが、同じ「臨済宗」。雲居寺は、既に撮歩に登場していますが、建長寺末でした。17- 津久井散歩;木瓜爺撮歩97-50 興徳山 雲居寺 (No.2718)

「西」「栄」「長」「成」。これは、どうも合体して、一つのお寺になったようです。

m97-57-04 F2729

インターネットで「西栄山長成寺」を検索してみると、HPが出来ており、そこにいきさつが書かれていました。

『當山は、室町時代、大覺派一華心林大和尚(建長寺145世・円覚寺124世、文安3年(1446年)4月15日寂)を開山とし、建長寺末久栄山長寿庵と称していました。
隣寺に根小屋雲居寺末西嶺山成就庵≪開山/心渓順和尚(元和2年(1616年)寂)≫があり、大正2年、成就庵焼失後、両寺協議して合併を決定し、寺号は長寿庵の“長”と成就庵の“成”をとり、“長成寺”と号することとし、山号もまた一字ずつとり、西嶺山の“西”と久栄山の“栄”をとり、“西栄山”と称することとしました。
こうして、両寺互いに山号寺号共一字ずつあわせて西栄山長成寺となり、今日に至っております。』

「成就庵」が焼失した大正二年(1913年)に合併したのです。疑問が解けました。山号寺号まで気を配った合併です。「臨済宗」ならではの配慮ですね。

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とはいえ、仏様などは、焼けていない「長壽庵」が優位ですから、「如意輪観音」として、拝んでおきました。HPによると、この観音様は『御本尊様 如意輪観世音菩薩:当山の御本尊様の如意輪観世音菩薩は、木造約50センチメートルの高さで、胎内に小像一体が納められていたことから、子育て観音とm97-57-06 F2732も呼ばれ、妊産婦や母親の信仰を集めています。この子観音は、午歳本開帳のときだけ拝観できます。』とのことです。風土記稿に書かれた「長四寸四分」(約13.3cm)の仏像は、胎内仏の方でしょう。それを「子観音」と表現しているようです。

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庫裡は本堂の横に鍵型に付いています。海外は、波形の箒目が立てられており、乱して歩くのは気が引けますので、踏み石上だけ通行しています。

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砂の海の向こうに、築山が作られ、そこに石仏がおられるようですが、木瓜爺泳げないもので、対岸から望遠で拝みます・・・本堂の裏の方に回ってみます。

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これは、中沢山のあたりでしょうか? 中沢山にも観音様がおられたなあ・・・

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本堂の前に戻って来ました。そろそろ失礼しましょう。「三箇木神社」の提灯街道を、三ヶ木バス停に向かいます。m97-57-12 F2748

 

m97-57-13 F2752淡々と歩いていたのですが、「庚申塔」があった場所の反対側に、見落としていた石仏群がありました。「廿三夜塔」と、「馬頭観音」そして、首なしの「お地蔵様」。まだあります。m97-57-14 F2753

 

石灯籠の左側二つの石は、何か分かりませんでした。

バス停について一休み。待合室には冷房が付いています。中学生くらいの子供達が何人か涼んでいましたが、バス待ちではなくて、家からの迎車待ちで、それが来ると次々と帰って行きました。

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 朝、渋滞していた峠道も楽々通過し、帰途につきました。途中の「(元)中野村」「(元)又野村」には七寺社が残っています。413号線の南と北に分かれていますので、もう二回くらい来ないといけないようです。毛細血管(道路)の先っぽにある寺社なので、簡単には巡回できません。また、地図を研究です。

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