2016/08/31: 澤井-軍畑;木瓜爺撮歩36-05 黒地蔵さん (No.2793)

「澤井薬師」から元の道に戻り、東に向かいます。この澤井について、「新編武蔵風土m36-05-01 F4400記稿」の記述を読むと、柚子の樹が植えると土地に合っているのか力を費やさなくても実りが多く、馬に背負わせて江戸の町に行って売り、生活の糧にしたなどと書かれています。また、夏場は多摩川で、鮎やヤマメを取って、少し生活の助けにしたなどとも書かれています。多摩川には、「御嶽村」に行くための板橋が有ったようで、洪水の時でも通行出来たとm36-05-02 F4403ています。挿絵もあって、土人名付けて「萬年橋」と書かれています。この橋の位置は定かでは無いのですが、御嶽渓谷を歩くと、御岳大橋のちょっと上流に「萬年橋跡」というのが残っていますので、多分そのあたりにあったのでしょう。

 寺社に関しては、神社4、寺院10記述されています。その中には「地蔵堂」はないのですm36-05-03 F4404が・・まもなく珍しいお地蔵様にお目にかかる事になっております。

はい、これがその地蔵堂。といっても、木瓜爺はまだ中身を知りません。「何かお堂らしいものがあるぞ?」という状態。立て札が白くて読めない! 文字が消えてしまったようです。でも、お参りする対称らしいと、狭い石段を上がって行きました。

お堂の前に立って、中を覗こうとしていると、背後から声有り・・自転車で通りかかった小父さんが「扉開くよ!」と教えて下さったのです。「ありがとございます!」

m36-05-04 F4407

 お住まいなのは「お地蔵様」でした。写真を見て、すぐ気が付かれた方は鋭い! すごく珍しい形なのです。

m36-05-07 F2976

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このお地蔵様、輪切り?になっています。正しく云うと、六箇の石を積み重ねて作られています。こういうのを、印籠型と呼ぶらしい・・・「新編武蔵風土記稿」には何も書かれていませんが、文政6年(1823)m36-05-05 F4409年に幕府に献上された「武蔵名鑑図会」には、絵入りで紹介されており、『・・・伝え云、大同二年(807)造立の由を伝うるのみにて、年号、銘文等見えず。近年までは雨覆なく霜露に晒されるに、不図この地蔵奇験のことありとて近郷の僧俗群衆せしかば、そのときより小堂を営みて安置すると云。石仏なれど年月を経ること久しければ その形全からず。 古き謂われゆえに、おのずから黒地蔵とは称す』とあるとのこと。

木瓜爺が調べたのではなく、置かれて居たパンフレットをうつしています。

「黒地蔵」というお名前で、807年頃のお生まれ(?) 石の背面にもちゃんと衣の彫りがあるそうです。パンフレットには、六つに分かれて居るのは「六道」を意味して居るという説があると書かれています。

堂内には、古い奉納絵も掛かっています。

m36-05-06 F4411

読めないのは真ん中の額。左端は「堂」でしょうが、右の二文字が読めそうで読めない、ぱっとひらめく日も有るのですが、今日はひらめきません。

珍しい形の「黒地蔵」さまにお礼を申しあげ、出発。この先の道が、山の中を進む道と、青梅街道(奥多摩街道)を経由するみちの選択になります。

m36-05-08 F4413

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが分岐点。しばらく迷いましたが、山の道は遠回りになるらしいので、下に行くことにしました。所が、これが、ちょっと失敗。

m36-05-10 F2979街道に下って来ました。ここから、街道歩き・・・途中で左に入る道を見つける筈だっm36-05-11 F4418たのですが、みすごして、軍畑大橋まで行ってしまいました。ありゃしまった、かえって遠回りになってしまった。仕方がない、軍畑の駅まで行って考え直そう。というところで、今日はおしまいです。

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中