2016/09/05:江ノ島付近;木瓜爺撮歩10-04-2 腰越・小動山 浄泉寺2 (No.2798)

「浄泉寺」というと、木瓜爺は、毎月お参りする八王子の曹洞宗寺院「釋尊山浄泉寺」の方を思い出すのですが、こちらは「真言宗」のお寺です。お寺の紹介記事が沢山ありますので、由来等はそちらから紹介します。

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「浄泉寺の歴史」というサイトの記述から・・・『浄泉寺の歴史:当寺は、鎌倉市腰越2-10-7に在り、山号を小動山(こゆるぎさん)院号を松岩院(しょうがんいん)と称し、古義真言宗大覚寺派で開山は弘法大師(空海)と伝える。中興開山は弘治四年〔注:=永禄元年1558年)〕寂した元秀(げんしゅう)である。
もと青蓮寺(鎖大師)の末寺であったが現在は京都大覚寺の末寺。本尊は左に剣を持ち、腕を交差させている「不動明王」である。大正六年七月(1558年)まで小動神社の別当で、中興後二十二世栗林龍照の時、神仏分離した。(「檀徒総代世話人会決議録」)腰越の老人のうちには、お祭りのとき当寺の住職が馬に乗って神輿に供奉したのを覚えている人があるという。「関東古義真言宗本末帳」には浄泉寺寺内御免と見えている。(鎌倉市史寺社編より)』???是ちょっとおかしい。大正六年(1558)じゃないでしょう・・西暦が正しいとすれば「永禄元年」だし、「大正六年」なら(1917年)です。全然信用出来ない!

 これは入力ミスだなあ・・〔注として木瓜爺が書いた西暦を変な所にドラッグ&ドロップしてしまったのでしょう〕 別口はないかな・・・どうも、しっかり書かれたものが有りませんね。別のブログ的紹介記事では・・『浄泉寺(じょうせんじ) : 小動山浄泉寺は、開山は弘法大師の空海と伝えられています。本尊は左手に剣を持つ不動明王像で秘仏と言われています。(非公開)(普通、不動明王像は右手に剣を持つ) 佐々木盛綱が勧請したという八王子宮(後の小動神社)は、長く浄泉寺に属していて、寺の住職が宮の別当を兼ねていたといいます。
 古い参道が腰越商店街から続いています。国道134号が開通するまでは山門はこちら側にあったといいます。現在は国道沿いにあります。』

空海開創とすれば、平安時代ということですが・・・「新編相模国風土記稿」を探して見ますか?・・これが、700頁近い写真版から、文字を見て探し出す大変な作業で、約4時間懸かってしまいました。何とか見つけました。

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『浄泉寺 小動山松岩院と号す 本寺前と同じ(手廣村 青蓮寺) 開山は空海。縁起に 弘仁中 大師 此地に至り 江ノ島神女の霊感により創建と記す 中興元秀 弘治四年四月十三日寂。 本尊不動 弘法作。長一尺二寸 左手に劔を持つ像なり。 及び地蔵 長五寸三分 恵心作 を安す』

時間はかかりましたが、気分的には爽快! 「弘仁」というのは西暦でいうと、810~824年。(「満福寺」のほうは行基開山、本尊薬師も行基作ということになっています、)。中興が1550年頃という結論とします。

m10-04-15 F3081「左剣不動」と、本堂の柱にも看板が掛かっていますね。

 不動様は、御厨子の中に入っておられます。不動様を拝み、境内を一周。m10-04-16 F3088

 

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これは、「大師堂」の中です。霊場用らしくお地蔵様が中央に居られました。

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これは、歴代の住職様方の墓碑及び供養塔です。それでは、道路を渡って「小動神社」に参ります。

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