2016/09/07: 江ノ島付近;木瓜爺撮歩10-05-2 腰越・小動(こゆるぎ)神社2 (No.2800)

「八王子権現」というと、関東地方では、東京都八王子市の名前のもとになった、八王子城山の「八王子神社」を思い浮かべる人が多いようです。しかしここは北条氏照の時代になってからなので、本家ではありません。それを誤魔化す(?)ために作られた話もあります。八王子市の昔話です。『わが八王子神社の由緒については、宗関寺(そうかんじ)(元八王子町)に伝わる古記録(こきろく)に記されています。それによると、平安時代、延喜(えんぎ)13年(913)の秋、京都から訪れた妙行(みょうこう)という学僧が、深沢山(ふかざわやま)(後の八王子城)山頂の岩屋で修行をはじめました。夜がふけると、にわかに強風が吹き、雷鳴がひびき、いろいろな妖怪(ようかい)が群れを成して現れ始めました。妖怪たちは、妙行の回りにおしよせてくると、たちまち姿を消してしまいます。その後、月明かりの下でお経を唱えていると、今度は岩屋の上から大蛇が降りてきて、妙行の回りにとぐろを巻いて眠ってしまいました。妙行が、手にした如意棒(にょいぼう)で頭を打ち「目を覚ませ」と言うと、大蛇はたちまち消えてしまったのです。夜が明けると、8人の童子(どうじ)を伴った神が現れ、「私に属する神々や弟子たちは、あなたの徳に感服しました。願わくば、この地にとどまってください。私は、あなたの神護(じんご)の法にしたがいます」と告げたのです。妙行が名前を問うと「私は牛頭天王(ごずてんのう)で伴っているのは八王子です」と答え、姿を消してしまいました。 妙行は、さらに修行を積み、延喜(えんぎ)16年(916)深沢山(ふかざわやま)を天王峰(てんのうみね)とし、周囲の8つの峰を八王峰(はちおうみね)とし、それぞれに祭祠(さいし)を建て、牛頭天王と八王子をまつる八王子信仰が始まったのです。翌年、深沢山のふもとに一寺が建立され、しだいに伽藍(がらん)も整備されていきました。天慶(てんぎょう)2年(939)、妙行の功績が都の朱雀(すざく)天皇の耳に届き、「華厳菩薩(けごんぼさつ)」の称号が贈られるとともに、寺名も「牛頭山神護寺(ごずさんじんごじ)」と改められたのです。』

腰越の「八王子社」は、佐々木盛綱の勧請ですから、当然、佐々木氏が住んでいた「近江国」の本家筋からの勧請です。本家の「八王子権現」は、ウィキペディアなどを見ますと、『八王子権現(はちおうじごんげん)は近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰と天台宗・山王神道が融合した神仏習合の神であり、日吉山王権現もしくは牛頭天王(ごずてんのう)の眷属である8人の王子を祀った。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、全国の八王子社で祀られた。』と、説明されています。

インターネットの情報には変な物もありまして、「八王子は素戔嗚尊の八人の子供」だなどと書いているのもあります。多分「午頭天王の8人の王子」という説明の方が正しいでしょう。牛頭天王が素戔嗚尊に習合する前の関係で云っておかないと、混乱してしまいます。

今日は「小動神社(元 八王子社)」の境内社の紹介ですね。社殿の左側から始めます。

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左側の白い鳥居が「金毘羅社」、赤い鳥居は「稲荷社」。後ろの長屋?の中に、小さい神殿(祠)が置かれています。稲荷社の方は五つほど並んでいました。社殿代わりに、石碑で間に合わせた神社もいくつかあります。m10-05-14 F3134 神武天皇白山神社m10-05-15 F3135国常立尊

 

左は「神武天皇 白山神社」と彫られています。組み合わせ的には意味不明です。右は「国常立尊 御嶽神社」となっています。その次は、ちょっと系統が違うようで、「青滝不動」となっています。どこの滝なのかな?

m10-05-16 F3136青滝不動

m10-05-17 F3137kame

 

其の先が、風土記稿以降の境内社です。海の傍らしい「海神」様です。おおきな亀の石像が分かりますか? 亀の像は「龍王海神」です。其の横に神社が出来て居ます。

m10-05-18 F3140海神

「海神社」と書いて「わたつみ神社」です。「綿津見」とは日本神話の海の神のことで、いわば「海上安全の神」。ただし、いつ頃の建設かによって、若干意味合いが変わることがあります。戦時中には「わだつみ」に、海軍の象徴的な意味合いがありました。

「小動神社」の社殿の向かい側にあったのが、「大六天社」です。風土記稿に書かれていた境内社です。その頃ですと、仏道修行を妨げる魔もの、「第六天魔王波旬(はじゅん)」や「他化自在天(たけじざいてん)」が祀られていたのでしょう。

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 何故魔物を祀るか、微妙なところが有りますが、二つの意味がありまして、一つは「お祀りしますから、おとなしくしていてください」の場合、もう一つはもう少し積極的に「われに艱難辛苦を与えたまえ」と修業する場合です。なお、第六天の場合は、誘惑を退けられると、信仰心が格段に強化されるという御利益があったようです。石段を上がると、お社があります。横に、石碑が並んだ場所もm10-05-21 F3156m10-05-20 F3152ありました。右の石碑は「庚申塔」です。真ん中は「庚申塔」文字碑。大きいのは「猿田彦大神」です。この第六天の南側に「展望所」があります。コンクリートで囲われたm10-05-23 F4481無粋な空間ですが、老人には住み心地が良さそうで、昼食を広げました。江ノ島が見えて居ます。そうか、ちょっと補足説明しておきましょう。古都「鎌倉」の西側の入口は「極楽寺坂」。そのすぐ西に「稲村ヶ崎」という、新田義貞が太刀を海に投げた岬だあります。「小動岬」というのは、稻村ヶ崎の西にある岬で、この二つの岬の間の砂浜は「七里ヶ浜」と呼ばれています。「小動岬」の西は、もう片瀬江ノ島の海岸になるのです。

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「小動岬」の西側は「腰越漁港」になっています。釣舟などがここから出港します。

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ちょっと見づらいですが、ヨットも走っていますね。風が強いので、数は出ていません。木瓜爺より15分位先にこの場所に来ていたアベック(古い言葉だなあ)が、邪魔するな! という顔をして、消えて行きました。安心してしばし休憩。・・・
ここまで来たのだから、江ノ島にも寄って行くか・・・寺社散歩として江ノ島を歩くとどういうことになるんだろう? 大変だと思うのですが、軽く試してみるか・・前に一度探して分からなかった「延命寺」とかいうお寺があるのですが、そこだけでもまた探してみようか・・・もう、13時を回っています。

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来た道を戻ります。

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