2016/09/10: 江ノ島;木瓜爺撮歩10-07-2 延命寺2 (No.2803)

「上ノ坊 念仏堂」こと「延命寺」は、寺というよりも、納骨堂的な役割を果たしていm10-07-18 F4580るようです。この写真で説明します。後ろは岩山なのですが、そこに洞窟が掘られています。その洞窟が、納骨堂になっているのです。入口は3箇所になっています。ガラス戸の入口の所には、ショウウインドウのような場所があり、石仏が置かれて居ます。こういう形になったのは、ごく最近の事のようです。この延命寺を襲った土砂崩れの写真が貼ってありましたが、うまく撮せなくて・・一応お目にかけましょう。

最初の写真は、1961年6月、土砂崩れ当時の「延命寺」附近の情景です。m10-07-16 F4575

 

ガラスの反射で、見にくくなっていますが、この辺は「崖」で、「崖の上部」に、墓碑などが並んでいたようです。崖の下(右下)に屋根らしいものが見え、その左にも屋根m10-07-17 F4576があります。ここいらが「墓守の住むお堂」だったのでしょう。

次の写真には石段が写っています。左方にはお堂らしきものがあります。崩れる前は、こんな風景だったのでしょう。下の写真は、この石段が崩れてなくなったしまった所らしい・・

墓石がいくつか立っていますので、最初の写真の上部に相当する場所かも知れません。

『昭和36年6月18日の豪雨で土砂決潰し祖霊の墓碑も跡形も無く流された江の島稀有の惨事。祖霊を慰めようと延命寺納骨堂を有志と藤沢市の後援で昭和38年3月建設したもの。』 と、事情に詳しい方が書かれていました。なお、現在の納骨堂の中は、中央に閻魔大王が居られるようです。

境内には、この災害で崩れ石仏様を集めたのか、沢山のお地蔵様や観音様がおられます。m10-07-12 F4558

 

左は六地蔵様ですが、真ん中は六観音になっていますね。右端は「如意輪観音」です。

m10-07-13 F4564

六観音の中には「馬頭観音」「十一面観音」いろいろおられるようです。

m10-07-14 F4569

m10-07-15 F4568ちょっと場所が奥の方になるのですが、ここは「馬頭観音」から「お地蔵様」まで並んでおられました。こんなのもあります。多分、無縁墓をまとめて、塔化したのでしょう。というわけで、「延命寺」は石の仏様を勉強するのに良い場所でした。なお、ショーウインドみたいなところに納められている仏様も、扉が開きますので、撮せるものも有ります。

前に来たときは入口が見つけられなくて、退散したのですが、念願叶った御礼を申しあげ、江島神社参道に戻ります。エスカレータを使って、上がることにします。ただ、時間的に「奧津宮」まではたどり着けそうにないので、「江ノ島大師」という、これも今まで寄った事の無い場所は、参拝して行きたいと思います。

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参道に戻る途中、こういうのを見つけました。この臨海実験所跡というのは、何カ所かあるのですが、此所がホンモノということになったようです。『これまでの諸説やモースのスケッチを再検討し、更にその後新たに得られた資料を加味して総合的に判断した結果、現在の「恵比寿屋旅館」の駐車場と前の通路部分に当たるのではないかとしています。この結論は、実は藤沢の郷土史家であった内田輝彦氏がかつて『藤沢の歴史』(1966)で推定した位置、「恵比寿屋旅館」の敷地付近とほぼ同じです。そしてその内田輝彦氏の説は、昭和29年の 2月 3日に藤沢市がモースの「Japan Day by Day」の翻訳者である石川欣一氏を招いて現地調査を行い、跡地は「恵比寿屋旅館」中庭の旧弁天祠付近であるとした結論に基づくものです。結果的には、最初にここだとされた場所がやはり実験所跡だったと再確認された形になった訳です。』という解説記事がありました。(Vol.8, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Nar.,2002)より・・・

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